『コントロールできないもの』を無視し続けてきたけれど

物事を『コントロールできるもの』と『コントロールできないもの』で切り分けて考えられるようになってから、大袈裟ではなく、生きるのが幾分楽になったように思う。

少し前まで、「なんであの人は俺の言ってることを分かってくれないんだろう」「この組織のやり方がそもそもおかしい」というように、『自分がコントロールできないもの』に対して不満を募らせていた。

『他人の感情や行動』はコントロールできないものの筆頭だ。

「他人をコントロールすることなんて無理なんだから、相性が悪い人とはサクッと距離を取るべきだよね」という思考がインプットされてから、人間関係で悩むことがほぼなくなった。

他にも『政府のコロナへの対応』『不祥事を起こした人間を必要以上に吊し上げるメディアやSNS』『納得できない組織の方針』など、以前だったら無駄にイライラしていたであろう事象にも、「まあ、俺がコントロールできることじゃないし」と割り切れるようになった。

これはこれで、成長したことだと思う。一方で、ずっとこのままでいいんだっけ?とも感じる。

このまま『コントロールできないもの』を無視し続けたら、自身の半径1m以内のことにしか関心が向かない人間になってしまうのではないか、という恐怖が少しずつ生まれてきた。

「コントロールできないものに思考のリソースを割かない」は正しい考え方だと思う。でも、今の自分がコントロールできるものの範囲内に留まり続ける人生は、全然ワクワクしないし、楽しくないとも思う。

『コントロールできないもの』の中でも、『どうあがいても人間が介入できる余地のないもの』と『今の自分には影響力が足りないからコントロールできないけど、コントロールできるものになり得るもの』に分解できる。

前者は『自然現象』『確率』『死』といったものだ。何をどうしたって台風や地震は発生するし、その確率をコントロールもできないし、人はいつか必ず死ぬ。

一方で、例えば『納得できない組織の方針』は組織のトップに立てば改善できるかもしれない。今の自分にはコントロールできないだけで、永遠にコントロール不可能な事象ではない。

『コントロールできないもの』の中でも種類を切り分けて、「今の自分じゃまだ無理だけど、いつかコントロールできる自分になるぞ」と考えることが大事なのではないかと思う。

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少し前の話だが、オリンピックの開会式で約4000食分の「食品ロス」が起きているというニュースがあった。

自分は中学3年間で給食を残したことが1回もなく、まだ食べられるご飯を捨てる、という行為を見ると本当に悲しくなってしまうので、このニュースがテレビで流れた瞬間に、チャンネルを変えた。

ニュースを見なければ感情が動かされることはないし、『自分がコントロールできないもの』に対しては、思考や感情のリソースを割くだけ無駄だからだ。

そう割り切っていたはずなのに、心のモヤモヤは晴れなかった。今すぐ自分が解決できる問題でもないのに、「何かできることはないのかなぁ」とダラダラと食品ロスについて調べたりもした。

このような感情を「どうせコントロールできないんだから」で蓋をせず、しっかりと覚えておきたいと思うようになった。いつか、この感情が原動力になる日が来るかもしれないから。

今はまだ『コントロールできないもの』の方が圧倒的に多いけど、『コントロールできるもの』をコツコツと増やしていきたい。




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