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【小説】電車で聞くシャッター音

カメラのファインダー越しに見た空は真っ白だった。左目を開けると全く同じ色の空が広がっていた。松岡は一定のリズムで体を揺られながら窓の外をながめている。外の景色は色褪せていて霧がかかっているようだった。白昼夢のようだと、松岡は思い視線を足下に落とした。自分の影は紫色で赤と青の輪郭のはっきりしない球体がモヤモヤ動いて見えた。一体いつになったら家に帰り着くのだろう。ふとスマートフォンを開く。数字が四つ並んでいるが、松岡にはその数字が何を表しているかわからなかった。体がゆっくり引っ張られ電車が停止したのだと思った。
「一旦この駅で降りよう」
女性の声が聞こえる。明るく軽やかなだがトーンは落ち着いている。聞き馴染んだ声だ。女性の顔を見るが、髪の色、輪郭、目の形、鼻の形、口紅の色、全ての情報が統合されずに誰なのか認識できなかった。「そうだ、一旦降りよう」松岡は自分の影を見つめながら、呼吸に合わせて独り言のように呟いた。

カシャッ

カメラのシャッター音と共に自分が駅で降りたことに気がついた。駅員に行き先を伝える。
「戸畑駅ですと、この駅から直接はいけません。一度&*$線に乗り換えてください。」
目的地である「戸畑駅」は松岡の実家がある場所だ。彼は実家に帰ろうとしていたことは思い出すが、何線に乗って良いかわからず、見慣れた顔の電車に乗りこえた。どうやら戸畑駅で降り遅れたことはわかった。真っ白な光が遠くにみえ、ゆっくりと目の前に電車が止まった。ガラガラとキャリーバックを引きずり電車に乗り込む。座席のシートは赤黒いが白っぽく見えた。妙に疲労感がきて端っこの席に座りぐったりと手すりに寄りかかった。

カシャッ

窓の外は森だった。ゆっくりと景色は流れている。手入れされていないのか、電柱に植物のつたがウネウネとまとわりついている。おもむろに窓を開けようとすると人肌のような暖かさの風が指先を撫でた。電車には窓がついていなかった。木から葉っぱがちぎれ、ゆっくりと車内に落ちてきた。座席の上に落ちると、カメレオンのようにシートの色に溶け込んだ。色は緑だった。視線を落としじっくりと影を見つめる。影の中には緑と紫がモヤモヤ蠢いていた。

カシャッ

陽が落ち辺りは暗くなっていた。空を見ると夜にもかかわらず真っ白でもやがかって見えた。
「ねえ、親に迎えに来てもらおうか?」
聞き慣れた女性の声が聞こえる。軽く頷くと、女性は電車から降りていった。窓から女性が走って車に向かうのが見えた。程なく電車が動き出した。スマートフォンがひっきりなしに振動しているが、電源はつかなかった。ぼーっとしていると女性の声を思い出した。LINEグループ作ったから親とはこれで連絡して。女性はそう言っていた。もう一度スマートフォンの電源ボタンを押すとトーク画面が表示された。

松岡くんもう行っちゃった?

2023/03/13 19:23

首を力なく傾け自分の影をじっと見つめる。黄色と茶色のモヤモヤが見えた。

カシャッ

また、カメラのシャッター音とともに場面が切り替わる。松岡はホームの端っこに立っていた。表札には「1番ホーム」と書かれていた。戸畑に行かなくちゃという思いしか彼には残っていなかった。向かい側のホームには灰色のネズミが列を作って点字ブロックの上を歩いている。銀と赤の物体がぬるりと視界を奪った。ゆっくりドアが開くと中からでた霧がくるぶしあたりのすね毛をゆらす。キャリーケースを引きずり電車に乗り込む。電車の中はもやがかっていて、座先の下の黄色い照明が足元を照らしていた。車両には誰もいなかった。女性の声が聞こえる。

「松岡くん起きて、、、」


駅についていた。空は真っ黒で星が輝いていた。大きな月も出ていた。さっきまでと違い冷たい風が電車のドアから入り込んできた。松岡はようやく夢から覚めたことに気づいた。
「間も無く、3番ホームから列車が発車します。ドアにご注意ください。」
トートバッグを掴み電車から飛び降りる。ガムが練りつけられた表札には「赤間」と書かれていた。そうか寝過ごしてしまったのか。そのまま向かいのホームで電車を待った。時間を確認しようとスマホを開くと妻の写真が表示された。スーツのボタンを開け、ネクタイを締め直した。
黒いネクタイなんて買ったこともなかったな。
彼はボソリと呟き、同色のスーツのボタンを閉めた。盆に実家に帰るのなんて初めてだ。丁寧に包装された紙袋を開ける。
カシャッ
バームクーヘンを取り出し写真を撮った。慣れない手つきでモグモグと口に押し込んだあと、コーヒーで流し込んだ。

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