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焦りはなぜ起こるか

先日、初めて人に対して鍼を打ちました。
人の肉をぷつりと貫いている生 感がありました。

もちろんそれにもビビった私もいたのだけど、
それよりも向き合わなきゃいけないことを見たので
それどころではない。

同級生何人かとその機会に恵まれたのだけど、
その人が持つ特質が現れちゃう、のです。ほんと。

怖いもの知らずな感じな子は
もう、つるりとこなすし。

私の場合は、振り返ると、焦りが全面的に出てんなあと。
鍼を刺すのにも段階があって、ざっくりと以下。

①切皮:表面の皮膚をやぶる
②刺入:目的の深さまで入れていく

今回は員利鍼という太い鍼だったのでそれが見えやすい。
私は①をすっ飛ばして、②中まで向かおうとしている。
だから嫌な感じがするって言われた…

授業でも言葉として習っているはずなのだけど、
振り返ると確かに授業でも、全部一挙にやろうとしてる気がする。

『そう頭にすりこまれているのかもね。』と言われて。
最近そう感じることが結構あるのですよ…。

例えば、押圧するときに力を無理に加えても、
実際に相手が感じる力の強さは比例しない。
むしろ力を入れずに、体の使い方が出来ないと、力通じない。
頭の中で、力強いことがいいこと、感が刷り込まれてる感じする。

大人になると、自分でできるはずの事を留めやすい、
そんな話を学校の先生がよくされるのですが、
それに気づく学生生活です…。ほんとに。

少し話が飛びます。なんかもう本当に
いろんな事を混同して考える癖があるなあって話なのですが。

学校でよく言われます。
ヒトの体表を用いるのが私たち。
これって一体?って、きっと思ってしまっていて
左耳から右耳にスルーしてる。(と気づく)

でも、体表(というか、私が大事と思いやすい所から遠い所)って何かと
治療に使われている。(きっと断片的にしか見えていないけど)

例えば井穴の存在。
この経穴(いわゆるツボ)は手足の爪のそばにあるとされてるもので、
体の末端(一番遠く)に配当されている、大事な経穴。
古典だと『脈気が出る所』なんて書かれてて、さらに?となる。

で先日先生と話したらこんな話をされた。
湧水が出ている所があるとして、そこが葉っぱや泥で詰まってたら
水が出てこないで、その先の場所が淀んだりするでしょう?って。
(井穴の他にも、穴の名前があって、それぞれ水の流れに喩えられてる)

西洋医学的に考えても、なんとなくしっくりくる。
心臓が全身の血液を押し出す、その血液はどうにか体の末端まで流れて
細胞に栄養素や酸素を送っている。(じゃないと、細胞は機能しない)
送り出すのは心臓だけど、戻すのは他の要素が行うものらしい。
(例えば筋肉の収縮=体を使うことや、静脈に逆流を防止する弁がついてたり)

流れが途絶えれば、調子が出なくなる。
東洋医学でいえば、気の巡りが滞ると病になる。
西洋医学でいっても、あえて言葉にされること少ない気がするけど
おんなじようなニュアンスのものがあると感じる。

あとその末端、指で触れたとき、
絶対何かが流れてる人は、いると思う。
そこを指差すだけで、何かによって腑に落とさせる人がいる。
素材に触れる、触れたい素材に身を置くことが
そんな指/手になる訓練になるのではないかと思う。

東洋医学には、気という言葉が出てくる。
いかにも怪しい響きのある言葉だけれど、
なんだか怪しいものじゃないなと最近腑に落ちてきている。

昔の人が、何にも分からない中で、説明できないものだらけだったから
それをまるっと『 気 』と呼んだんじゃないか、と先生が話した。

西洋医学として認識でき始めている、血流、神経、リンパ、
その他諸々、それらをまるっと、
体を動かしているものがあるということだけがわかるから、
それを言うために名付けただけ。

ちなみに脳の支配領域で見ると、手の領域はとても広いそうで。
つまり手は情報を得るための神経がやたらと発達している。
手は面積的には狭いけれど、脳に与える影響力が大きい。

いろんなものにがんじがらめになっている私が、
ああだこうだ頭で考えても、どうにかなる話じゃないな。と思いつつ。

分解して分解して、大きく捉えて焦る前に、
まず掴む所を見て、ひとつひとつを
進めていきたい気持ちでいっぱいです。