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明日死ぬなら刺身定食②

この文章は、下記の「明日死ぬなら刺身定食①」の続きです。まだの方は、こちらからどうぞ↓


ところが、その夜のこと。父がお風呂に入っていた時のことだ。

と、その前に、まずは、父のお風呂に入る時のルーティーンを書いておこうと思う。

いつも、夕方のだいたい決まった時間に、父は入浴する。元々、大の酒好きで、毎晩、風呂を先に済ませてから、パジャマ姿でゆっくりと晩酌を楽しんできた。だから、初めて脳梗塞になって以降、たまにしかお酒を飲ませてもらえなくなった今も、変わらず、夕飯の前に入浴を済ませ、パジャマ姿で夕飯を食べている。

入浴の際、父はまず、寝室で服と靴下を脱いでハンガーにかけ、下着姿で、寝室の向かい側にある洗面所で裸になる。そして、

バンッ!きゅるきゅるきゅるきゅる…

という音と共に、お風呂場へ。

「バンッ!」は、洗濯物入れに下着を放り込み、納戸の開き扉を閉めた音、「きゅるきゅる」は、風呂場の引き戸をゆっくり閉めた時に鳴る音だ。

この音が聞こえると、私はリビングやキッチンで家事の手をとめ、脱衣所へと向かう。そして、すぐに中へは入らず、廊下から脱衣所を覗き込むようにして、注意深く床を観察する。

あー、やっぱり。

父は、裸になった時、脱衣場でシッコッコをこぼしてしまうことが多い。1~2年前までは、ごくたまにだったのが、最近は、かなり確立が高くなってきている。うっかり何も考えずに洗面所に足を踏み入れてしまったが最後、私のスリッパの底は、父のシッコッコ給水シートと化す。

最近は、できるだけ父をトイレへと促すように、声をかけるのだが、絶妙なタイミングで言わないと行ってもらえないことが多く、今日は怠ってしまった。

ま、別にいいけどね。よくあることだし。

始めの頃は、「ギャーッ!!」とか「ひぇ~!!」とかなっていたけれど、もう慣れてしまった。それに、今日は何といっても、お昼に食べた刺身定食の満足感に満たされているから、ぜんぜん許せちゃう。

シッコッコをふき取るために、洗面所に常備しているトイレットペーパーと、トイレ用除菌スプレーで丁寧にふき取って、はい、おしまい!

ここからがやっと本題。入浴の際は、前もって脱衣籠に、着替えの下着類を用意しておくのだが、

父が脱いだアンダータイツには、”社会の窓”あたりに、たっぷりとシッコッコが染み込んでいる。父は、普通に洗濯物として放り込んでくれるのだが、他の洗濯物に尿が染み移ってしまわないようにアンダータイツを別の場所に取り除ける。

次に、リハビリパンツ(紙パンツ)。今のところ、父は自分でトイレに行けるので、1日に1回、入浴の際にパンツを履き替えている。この時、ごみ箱に放り込まれた尿パットやリハパンを確認して、下痢をしていないか、シッコッコのこぼし具合はどうか、などをチェック。尿を含んでずっしりと重い日も多くなってきているが、かと思うと、ほとんど汚れていない日もあったりする。時々、尿たっぷりのリハパンが、洗濯物の中に投げ込まれている時もあるので、汚れたリハパン類をビニール袋にとりのけて、別の場所に片付ける。

無意識にやっていたけれど、私は、ここでこうして、日々の父の体調や認知状態、生活の様子などをうかがっているんだなと、今、わかったよ。

脱衣現場の片付けを終えると、次は向かい部屋の寝室へ。父が脱いでハンガーにかけた服をすべて取り換え、明日着る服に架け替える。

この時、父の服のポケットには、ガチャポンの丸いケースや書きにくそうなボールペン、ラムネ菓子の空っぽの入れ物などが入っていたりする時がある。父は、散歩の途中で、何かに使えそうな”お役立ちグッズ”だと感じて拾ってくるらしいのだが、それはまるで、石や虫をポケットいっぱいに持ち帰って来る小さな子どもと変わらない。もちろん、父が気づかぬうちに、さっさとポイッ!拾ってきたもののことを父が覚えていることはないので、問題なし。

一方、この時、財布など、いつもポケットに入っているはずのものが見当たらなかったり、"いつも”と違う様子が見られた時は、認知度が低下して混乱している可能性があるため、その後の父の様子を注意して観察するようにしている。

あとは、アンダータイツ同様、シッコッコが染み込んだズボンを取り換え、明日の天気予報を確認して、明日用の服をハンガーにかける。

信州の気温は寒暖差が激しい。春は、朝は0℃前後なのに、昼間は15℃を超えるような日も多い。こうした気温差は、父の体に負担をかけているらしく、結果、認知度が不安定になることもある。だから、できるだけ、服で調整してもらおうと思うのだが、「熱いから、それ脱げば?」などと声をかけても、なかなかスムーズには言うことを聞いてくれないため、父の性格も見越して、翌日の服装を考えておくのだ。

これが、父の入浴時の私のルーティーン。こうして、寝室で父の服を取り換えていた時のこと、


「ドンッ!!!」


風呂場から大きな鈍い音が聞こえた。父が身体を洗っている時に、たまにドアに手が当たって音がすることもあるが、その時の音とは明らかに違う。

とっさに状況を悟った私は、大急ぎで風呂場のドアを開けた。そこには、洗い場の椅子から後ろにひっくり返るようにして、仰向けに倒れている父の姿があった。

「お父さん?お父さん?」

声をかけてみるが、反応しない。そこで、まずは気を落ち着かせて、父の状態を確かめる。

息はしている。呼びかけには応えないが目は空いているし、白目をむいているほどではない。嘔吐しているようなら、身体を横に向けなくてはならないが、嘔吐している様子はなく、泡を吹いている様子も見られない

今日は暖かい日なのに、お父さん、お風呂のお湯を熱くしてたんだよな。血圧に良くないのにって、思ってたんだ。4回目の脳梗塞から4週間ほどたってるけど、とうとう5回目で、初めて大きな発作となったか...。うっすらと、そんなことを考えていた。

実は、17年間小学校に勤め、校内研修などで学んだことが、介護のいろいろな場面で役立っている。プール指導をする機会のない図書館司書だった私を含め、職員全員で、プールが始まる前には、毎年、AEDの使い方の研修を受けてきた。きついアレルギー症状を持つ児童が入学してきた時には、急なアナフィラキシーに備えて、職員全員で、救急車を呼ぶ段取りを丁寧にシミュレーションしたりもした。おかげで、こんな場面でも、案外、冷静に状況を確認できている自分がいる。

でも良かった。もし、リビングにいたら、父が倒れた音には気付けなかっただろう。恐らく、背中は打っているだろうが、頭も打っているかどうかはわからない。弟は、まだ仕事から帰ってきていないので、私が救急車を呼ばなくちゃ。

風呂場のドアを開けたまま、そんなことを考えていたのだが、父の濡れた身体に寒いよなと思い、ひとまず身体にタオルをかけて、ドアを閉めようと思ったちょうどその時、父が正気を取り戻した。

父は、起き上がって座ろうとしたが、上手く起き上がれないようだったので、背中を支えて抱き起してやった。

「どうしたの?フラッとしたの?」

「うん」

その後、背中や頭など、痛いところはないか聞いてみたが、幸い、洗い場の椅子に腰かけていた状態だったようで、思ったほど強く打った箇所はなかったようだ。

父は椅子に座り直し、そのまま、まるで何事もなかったかのように頭を洗い始めた。おいおい。どうしようかなと思ったが、私は静かに風呂場のドアを閉め、そのまま暫く、脱衣所で父の様子をうかがい続けた。その後も何度も、そっとドアを開けては父の様子を覗いてみたが、結局、その後も特に変わった様子は見られなかった。

実は、半年ほど前にも、父が、トイレで意識を失って倒れたことがあった。その日は、弟も家にいて、たまたま倒れる瞬間を私が見ていたことから、すぐに救急車を呼ぶことができた。ところが、その時も、父は暫くして正気に戻った。医者の診断では、もしかすると"てんかん”かもしれないとのことだった。もともと、症状をもっていたわけではなかったが、脳に少しずつ傷がつくことによって、"てんかん"が発症することもあるのだという。検査はしてみたものの、はっきりと確認できる結果は出ず、結局、"てんかん"かどうかはわからないものの、医者の見立てでは、また、起こる可能性はあるし、その都度、来診する必要があるかどうかも微妙だということだった。

結局、その後も全く変わった様子は見られず、頭を打っていれば、内出血を起こしている可能性も大いにあるが、帰宅した弟と相談して、様々なリスクも含めて、医者には行かず、このまま様子を見ることに決めた。

昼間食べた刺身定食が、ふと蘇る。

父は、死なずに生還した。

本当は、刺身定食でも安い方の定食でも、そんなのはどちらでも良かったのだ。どちらを食べたにしろ、きっと、美味しかったねと言って帰宅しただろうし、どのみち、後悔なんてしなかったに違いない。

だって、今日、家族と共に在るという幸せを、こうして充分に味わっているのだから。




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