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『辰年と言葉』

過去の付き合った人の名前や誕生日って
どのくらい覚えているものなんでしょう。

私、覚えてないんです。
そんなすごい多いわけじゃないんですけど…
フルネームを言えるのも、誕生日を覚えているのも
たった一人だけなんです。

なんでしょうね…
その人の誕生日が1月。そして辰年生まれ…
そんなわけで今日はこんな話を書いてみたくなりました。


Twitterの世界に身を置くと
いろんな言葉を目にしますよね。
恋愛に関する話は特に多いなって思いますが。

私がよく見るアカウントも…
追われる恋がしたい
安心がほしい
疲れてるから会いたいって言われるの最高
声聞きたくなったって電話かけてくれるの嬉しい
などなど…
恋にまつわる自分の想いを呟いている
そんなアカウントです。

純粋に恋愛をして、その想いを言葉にする
いいなって微笑ましく感じます。

誰もが経験したことのある想いや気持ち
だからこそ共感できるんですよね。
可愛いなとか、うまくいくといいな…とか
共感してそんなふうに応援したくなる。
恋愛ってそんな素敵なものであってほしいと思うのですが…

でも、それがもっと深くなると
結構、呪い的だなって言葉も見かけて
俗に言う重いってやつなのかな。
見ているとなんとなくもやもやに中てられ
言葉ってやっぱり怖いなぁ、と思う時があります。

重い言葉と軽い言葉。
同じように自分の気持ちを言語化していても
それほどに違ってくるのって何なんでしょうね。
書き手の違いか、想いの大きさの違いか。

そんなことを考えていると…その唯一
名前も誕生日も覚えている彼のことを思い出して。


彼と望んでいた2人の将来を…
あることがきっかけでもうその先
望むことができないってなったとき
彼から最後のプレゼントをもらったんです。

絵のプレゼント。
絵と言っても、創作でいろんな紙を使って
デザインして作ったものだったんですけど。
アートにも興味を持っていた彼は
そんなことも秀でてて
ちゃんと額に入れて飾れるようにしてくれました。

私のためにって作ってくれた作品。
私の好きな色の紙が使われていたり
一緒に買った素材が使われてたり
彼の想いが詰まった一枚の作品でした。
もちろん私は大切に飾って
いつも目につくところに置いて
大事にしていました。

ただ、書いたようにこの時点で私たちには未来がないことは明確だったので、結局、そのままお別れ。
でも、2人が望んだ別れではなかったから…
今でも私はこうして未練でいっぱいで。

という話ではなく笑

それから数年経ったある日のこと
私は結婚が決まって引っ越しの準備をしていたとき
大切にしまってあったこの絵が箱に入って出てきたんです。
あー。懐かしい。
そんな気持ちで箱を開けて…
今考えてもなんでそんなことしたかわからないんですけど、ふと額を外してみたんです。
そしたら、その絵の裏に

『〇〇が幸せでありますように。
 僕の想いはいつまでも…あなたの傍に…』

って言葉が。
泣けますよね。
泣きました。声を出して泣きました。
絵を抱えて、書かれてる文字を指でなぞって…
そんな想いが込められてた絵。
いいえ、絵にその想いを隠していたんだと。
泣きました…
その切なさは今でも忘れられません。

でもね、これを見て
幸せにならなきゃ。とは思えなかったんです。
むしろ、私に幸せはこなくていいって。
そりゃあ、結婚も決まっていたのでそれを蹴ってなんてことはしませんでしたが…
私は、一生この人に囚われて生きていこうって…
そうこの時、思いました。


言葉の重さ…
そんなことを考えてたら、この話を思い出して
そして、ここに書いていて思ったんです。

もしかしたら、彼はこの言葉で私の中に一生残る存在であり続けようと思ったのかなって。

まぁ、今になっては自分のいいように捉えてるだけで、彼の本心を知ることはできないですが…でも、もしそうだったら私にはそれが『幸せ』で…結局、彼の願いどおりになってるんだなって思います。

私も彼の中に今も生き続けているのかな?
気になるところですが、それを知る由もなく。
一生かけての想い人なのかもしれません。

『重い言葉』…って、つまるところの『想い言葉』

そう考えたらどうなんでしょう。
そう考えたら、今大切な人からもらう言葉がある人は、全ては自分への想いの言葉なんだなって思って受け取れるんじゃないかな?

最後に…
言葉にした事はなかったけれど…
彼には、私が愛したあの頃のたくさんの愛に侵され蝕まれ、それに囚われ生きていってほしい。
そう願います。

これこそ、呪いの言葉…でしたね。
次はもう少し軽い話をね。













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