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 なぜ竹田あいが要塞のような家を建てることになったのか。窓一つない、夜の森のような色の壁に囲まれた家に閉じこもってしまった今となっては、もう誰も彼女に訊くことはできなかった。
 

 あいが夫と共に初めてK建築設計事務所を訪ね、家の設計を依頼した時、彼女は開口一番こう言った。
「怖くない家をつくりたいんです」
 K建築事務所の貝谷は妻であり同じく建築士の妻・翔子と顔を見合わせた。別の案件を進めるためパソコンに向かっていた翔子は慌てて立ち上がり、事務所のミニキッチンでアイスティを四つ入れると、同じ机に座った。
「とにかく不安が強くて、妊娠してからはとくに。変な夢も見るし……。だから家に守られたいのです」
翔子が口を開いた「えー、例えば地震とか強盗とか?」
うつむいたあいが小声で付け足す「あと、お化けとか不審女」
 貝谷夫妻は「うーん」とか「なるほど」と相づちをうちながら、この仕事を受けるべきか互いに探りをいれた。
「中庭のある家をご希望とおっしゃってましたね」
「ええ。こちらの事務所のHPに乗っていた四角いドーナッツみたいな家はとても安心感があります」
貝谷は眉間にシワを寄せながら言葉を選び言った。
「確かにできます。ただ、竹田さんが所有するスケールの土地の場合ですと、コの字かL字をお勧めします。ロの字はどうしてもある程度の広さがないと」翔子が耳打ちをする。「いや、まいったな、三角形の土地ですか……。残念ですがロもコも難しいですね」
 あいの夫がメモに「L」を書いて見せた。あいの表情が曇った。「L」では十分なセキュリティが守れない。あいは書かれた「L」に線を足して「△」にしてから建築士に渡し、目を閉じたまま天を仰いだ。
 アイスティを飲みながらあいは汗ばんだ脇に挟んだ手を思いきり匂った。建築士の目が気になったが、落ち着くために嗅ぐことを止めることはできなかった。

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