なかむら あゆみ
日記
元々不安感が強く、一つの場所に根を張ることなど想像すらしていながった私。それが土地と出会い建築士さんと出会い、家づくりを進める中、忘れかけていた創ることの喜びが呼び覚まされ、自分自身も新たな道を歩き始めるきっかけになった。家づくりドキュメント。
「ジャガイモもニンジンも大きくて悪かったわね。私は死んだってゴロゴロ派だよ!」2日間昏睡状態だった母がいきなり目を見開き叫んだ後、口角に泡を付けたまま死んだ。親族たちがワッと母にすがる中、私だけが壁際で立ちすくみ、叔母は病室から出て行った。野菜を小さく刻んでじっくり煮込んだ後、火を止め2時間寝かす。叔母のレシピを私が引き継いで3か月後のことだった。涙と鼻水を垂らしながら妹が私に向かって声を上げた。「丁寧に下ゆでした牛すじ肉をウィンナーの代わりに使っていたこともお母さんは知って
https://note.com/bungakuplus/n/n11bbf67ca339 「文学+Web」での連載二回目のテーマは「引き際がわからない」。 エッセイと掌編を書きました。お読みいただけたらとてもうれしいです。
「文学+Web版」で新連載が始まりました。 もしよろしければお読みくださいね。第一回は「わからないが怖い」 https://note.com/bungakuplus/n/n09e39b6f75d0
なぜ竹田あいが要塞のような家を建てることになったのか。窓一つない、夜の森のような色の壁に囲まれた家に閉じこもってしまった今となっては、もう誰も彼女に訊くことはできなかった。 あいが夫と共に初めてK建築設計事務所を訪ね、家の設計を依頼した時、彼女は開口一番こう言った。 「怖くない家をつくりたいんです」 K建築事務所の貝谷は妻であり同じく建築士の妻・翔子と顔を見合わせた。別の案件を進めるためパソコンに向かっていた翔子は慌てて立ち上がり、事務所のミニキッチンでアイスティ
「ラジオネーム『リリー』です。今日のテーマ『最近幸せを感じたこと』言うで。ベランダに、置いてるバスタブがあんねん。そこにハトが……そうそう、お風呂のことな。そこに、ハトが巣を作って、卵を産んだこと、です。書けた? また産まれたら報告するけん。リクエストは稲垣潤一の『ドラマティック・レイン』で」 田中先生はいつもレッスンの30分前に店にきて四国放送ラジオを聴く。私は田中先生が持ってくる『超熟』とか『本仕込み』とかでピザトーストやオープンサンドを作ってアイスコーヒーと一緒に出
20211003 書くということ 言葉にして伝えることは難しい。実際に体験したことを説明するだけで難儀する。ましてや頭に浮かんだ世界の欠片みたいなものや、不明瞭な気持ちを文章にして不特定多数の人に伝えることなどどうしてできようかと思う。しばらく置いて読みかえすと「なんだこれ」と意味不明な文章に唖然とし、一からまた書き直す。そんなことばかり繰り返している。 さりとて私は言葉を考え、書き続けている。それは長く唸ったのちに突如やってくる閃きや、思ってもみなかった世界への導き、また
書けないひと とにかく書かない。違う、書けない。こんなんじゃ「書き手です」などと言える日はいつになるのか……ほんとうに自分がいやになる。 そもそも机の前に座ることが好きではない。集中力も根気も足りない。得意なのは妄想だけで、論理的に考えることもできず教養もない。気が向いてもパソコンに打ち込まれる稚拙な言葉や文章が嫌になり、すぐ書くのを止めてしまう。目標としてきた阿波しらさぎ文学賞を受賞してからもこの姿勢は全く変わらないのだから自分でも呆れてしまう。「作家」を目指している人
「もしかして、ミイ? 学校来なくなってそのまま転校したから、ずっと心配してたんだよ」 スーパーでパプリカを物色中、声を掛けられた。私を「ミイ」と呼ぶのは中学の同級生だけだ。けれど目の前にいるこの白髪女性からは誰も連想することはできなかった。 「私、ミイに手紙、何度も出したんだよ。返事はなかったけど」 「ずっと大阪だったから手紙見られへんかった」嘘だった。 こいつ……あの時の赤毛パーマか。手紙は最初の一通だけ読んで後は捨てた。それすら二十年前のことだ。 ーど
20210912 授賞式が終わった。コロナ禍でどうなるかやきもきしたので、とにかく無事に終わってほっとした。極度の緊張で自分が何を話したかあまり覚えていない。ただ、始まって、まずは互いの作品の感想だろうと高をくくっていたらいきなり「なかむらさん何か選考委員の二人に質問は?」と司会をしていた佐々木会長にふられて頭が真っ白になったことは覚えている。いきなり最終のコマ割りかとびっくりした。後日動画配信されるのであの時の自分の慌てる表情をじっくり見るのが楽しみだ。ハプニングは嫌いじゃ
202109065年以上に前に「フツウ?」というエッセイを書いた。https://note.com/tsunagaru0607/n/n75e690b9782c 皆当たり前みたいな顔して暮らしているけれど何も問題を抱えていない人など誰もいない。(中略)人はその基準すら曖昧な「普通」という言葉を測りに、自分が幸せかどうかまで確認しようとする。「世間並」「平凡」などと言葉を変えて、自分が異常でないことに安心し、一方で特別な才能がないことに落胆し、「普通でもいい」と呟く。 こんな
20210905 記憶におそわれる「ぬはーーーーーー」 自転車に乗っていたり、洗濯ものを干していたり、気を緩めたとき、前触れなく突然やってくる感情がある。耐えられず首をふりふり、顔を左右上下に歪め、短く叫んでしまう時もある。 私の頭の中に突然よみがえるのは「恥をかいた記憶」。 実は今朝も庭の水撒き中に過去の恥に悶絶させられ体をくねらせた。 仕事、人間関係、恋愛、ありとあらゆる恥や失敗の体験が少なからず私にもあって、それがジュークボックスが自動的にレコードを選んでくるように、
20210904 何のために所有しているのか雨上がり、一段涼しくなった庭にでた。多肉植物が並ぶ木箱を眺めると、黒くなったのがひとつ、ふたつ。触れるとざっと葉が全て落ちた。 この夏も私はいくつダメにしてしまったのか。 モノをあまり持たないと書いた後でとても恥ずかしいけれど、元来私は収集癖で過去には映画のチラシや古いパンフレット、牛乳瓶まで集めていたことがある。最高で百数十鉢所有したこの多肉植物も私の癖のなすところだ。しかし自生地が違うものを同じ管理方法で育てることなどでき
20210903 いつでも逃げられるように うちの家は、なんというか、音がよく反響する。おそらくはモノが少なくて大きな家具もないからだと思う。がらんとしているので、入ってきた時、寂しげな部屋だと感じる人もいるようだ。もう何年も住んでいる私でさえ「まるで引っ越し前の部屋のようだ」と感じることがある。 昔からモノを持たない主義だったわけじゃない。十年以上前、蓄えたモノをごっそりと捨てる機会があったのだ。事情があって車のトランクに詰めるだけの荷物と共に当時暮らしたアパートを出て
20210901 タイマンならぎりぎり張れる 2学期初日の息子のお迎え。久しぶりの小学校に緊張したのは息子だけではない。 すぐ目の前に談笑する保護者たち。何度か言葉を交わしたことがある。何なら日傘刺してる方は連絡先も知ってる。幼稚園も一緒だった知り合いだ。しかし盛り上がる彼女の視界に私は入らない。日傘女がこちらを向いた。表情を和らげようとしてやめた。彼女の視線は私の後ろ、今やってきたもう一人の日傘女に注がれている。親しげに引き入れ、目の前の二人組は三人組になった。 オカシ
20210831 受賞の喜び、そして感傷 「阿波しらさぎ文学賞」を受賞した。電話で知らされた時の戸惑いと、その後にやってきた極まりを今も思い出せる。こんなことが自分の人生に起こるとは思いもしなかった。27日には作品が公開され、Twitterで繋がる人たちや書き手仲間から感想をいただき、その喜びや有り難さは言葉にすることができない。一方で地元ではどうか。これが上手く言えない。「ぎくしゃく」とか「見えない視線が怖い」と言ってもいいかもしれない。昨年も同じだった。何だか居心地が悪
では展示室2に入ってみましょう。ここは当館の所蔵作品を展示している部屋です。そんなに広くないので全体を見渡せますね。向かって左の片隅に若くもなく年寄りでもない女が座っています。白いブラウスに黒のスカート、胸に名札を付けた監視員。あれが私です。カンディンスキーと奈良美智の作品の間でたるんだストッキングを引っ張り上げています。大きな欠伸をした後、まぶたを閉じてしまいました。居眠りです。水筒に入れてきた薄くない水割りをさっき飲んだせいでしょう。監視することが仕事なのに、見ざる聞か