いつか失なう未来を憂うことよりも、今、目の前にある奇跡の時間を大切にしたい

Facebookの友人が多くなればなるほど、今日が誰かの誕生日という毎日が日常になっていく。

できるだけ誕生日のメッセージは送ろうと思っていた時期もあったけれども、今では無理に送ることもないと思うし、だからこそ自分がメッセージを送りたくなった、その相手にだけ送るようになった。

昨日、久しぶりに誕生日メッセージを送った相手がいた。

6/3というだけで、あー今日はK君の誕生日だったなと思い出す、唯一の幼馴染とでも云うべき存在。

彼とは小学1年生からの付き合い。

小学校6年間を共に過ごし、中学で自分が転校したあとも文通を続け(男で文通とか珍しいよね)、高校の3年間を同じサッカー部で過ごした友。

大学時代も時々遊んだし、社会人になってからもちょこちょこと年1くらいのペースでは会って近況を話すような仲。

幼少期から引っ越しの多かった自分にとってこれほど続いていた友人というのは唯一だったから、小学校の時から何度となく彼の誕生日を意識してきたから6/3になると毎年思い出す。

それでも、いつからか会おうという気が失せた。

お互い変わったからなのだと思う。

人は変わる。

変わりゆく中で、一緒にいたい相手も変わる。

そのときに同じ価値観を持っている相手と時間を過ごしたくなる。

そういうものなのだと思う。

最近は日々の変化が大き過ぎて、この人同じだ、と思う相手がいてもその時間は長くは続かない。

そこに一種の寂しさがあったり、K君ともまた幼少期に感じたような一体感を持って一緒にいられたらと思うこともある。

が、こればかりはどうにもできないのだと思う。

変わる自分を偽ることもできなければ、相手を変えることも到底できない。

それゆえに、そうした心から一緒にいたいと思う日々が過去にあったこと、毎日楽しく過ごせた日々がことは奇跡だったのだなーと思う。

この時間がいつまでも続いて欲しい、と願える日々があるということは幸せなのだと。

たとえ、その時間がいつか失われる時間なのだとしても。

だからこそ、そんな日常に巡り会えたときは、いつか失なう未来を憂うことよりも、今目の前にある奇跡の時間をひとつひとつ大切にしていきたい。

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