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解せないことがある。自分が行く店が、なぜか高確率で閉まっている、ということだ。

こういう話を何人かにしてみると、いや、ほんとそれ。私もそうなんですよ、という人が私の周りにはたくさんいる。それはそれでどうかとも思うが、そういう、そそっかしいような、一緒に出かけたくないような友人が多いという話を、ここでは別にしたいわけではない。ここで言いたいのは「店が閉まっている人種」についてである。

もちろん、調べないで行った、という場合のうっかりさは否めない。それでは店が閉まっているのも仕方ない。「閉まっている人種」の人たちの多くは、おそらくそこを初期に通過しているもので(いったい何の初期かわからないが)、そういうことではない。事前に調べていても、店は、結構閉まっているのである。ふと気になって、インターネットで調べてみると、「予約したのに、閉まっていた」という強者まで多数存在するようだ。「予約したのに 休業」という予測検索が出てきたぐらいだ。

予約しても閉まっていることまでいくと、もはやそんなことがどうして起きるのかは、どこまでも謎ではあるし、どうしたらそれを避けられるかはわからない。

ただ、実はこれは何も悪いことばかりではない。

店の営業時間を調べたのに閉まっている、ということ繰り返されると、本人だけでなく、最初は怒ったり、あきれたりしていたまわりの人も、そういうものだと思ってくれるようになったりする。「店が閉まっている人種」の人たちは、もはや、店がちゃんと開いていることに期待しなくなるのである。

ヒトの怒りは、例えば相手がしてほしいことをしてくれないとか、予定通りにいかないとかの、「期待外れ」で起こる、とよく講演などで説明するのだが、「店が閉まっている人種」の人たちは、逆に閉まっていることを期待しているくらいでさえある。店が閉まっていたらそれは期待通り(!?)、予測通りであって、店がちゃんと開いていたらラッキー、というくらい幸せと喜びの閾値が下がるわけで、そこまでいくと、ある意味では悟りを開いているとも言えなくもない。人生についての学びがそこにはある。

しかし、私が何にも増して言いたいことは、店よ、ちゃんと開いていてくれ、ということなのだ。

(追記)
妻の誕生日祝いに天ぷらを食べに行く約束をしていたが、店が予約できていなかった、というかなぜか隣の日本料理店(系列店)を予約していたことがあった。おかげで近くに、別の美味しい天ぷら屋を発見することができたのだったが、初デートだったらと考えると恐ろしい。

(追記2)
エッセイを読んだ知人たちは「自分はそんなことはない。閉まってるって意味が分からないんだけど」か「わかる!私もなぜか閉まってる!」のどちらなのかを、すごい勢いで話してくれる。「閉まっている人種」はある程度の勢力を誇っているようであり、頼もしい限りである。閉まっている人種による「なぜ閉まっているのか会議」が年一度くらいどこかで開かれているのかもしれないが、その後の飲み会の店は無事空いているのだろうか。空いていても、閉まっていても、なんだか悲しい気がして、なんとも言えない気持ちになる。

2023年9月6日執筆、2023年10月1日投稿


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