年末年始の憂鬱 -異次元の「改まり感」-#037
年末年始が、苦手だ。
なぜ苦手なのかというと、いつもと違う「改まった感じ」に戸惑うからである。
「今年も大変お世話になりました。よいお年をお迎えください」
その年の出勤最終日、職場では、いろいろな人とこういう挨拶をしたりする。
「今年もいろいろありましたねぇ」
「いやいや、ほんとにね…。過ぎてみれば、あっという間の一年だったねぇ」
場合によっては、しみじみしたりもする。
そして年明けの出勤日。
「明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いしますっ。」
誰かに会うたびにわれわれは、元気な挨拶を交わすのである。
この間、たった数日だ。この前会って、年末の挨拶を交わしたばかりではないか。テンションが、違いすぎる。
仮に年末年始の休みが12/30から1/3だったとすると、5日である。GWやその他の長期休みの方が長いことも多い。
以前コンビニでアルバイトしていた時、私は12/31と1/1の両日出勤したのだが、一晩寝ただけで起こった、世の中のこのテンションの違いに戸惑った。
「セリフが長すぎる」というのも困るポイントである。
年末年始のセリフは、誰かに会うたびに言うには、長すぎる。と思う。
相手は何のセリフを言うかわかっているのに、待たなくてはならない。私はなんだか、その「間」も苦手なのである。
このセリフが難しいのは、省略しにくいということだ。
「おざまーす」(おはようございます)
「しゃっせー!」(いらっしゃいませ)
「ありっしたー、まらっしまっせーぇ」
(ありがとうございました!またお越しくださいませ)
「このたびは…誠に…(ぼそぼそ)」
(この度は誠にご愁傷さまでございました)
このように省略したり、誤魔化したりできるのなら、幾分楽である。
しかし「今年もお世話になりました。よいお年を」や、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」は、少なくとも、私が今まで経験した職場では、誰も略していなかった。上司に「あけおめー!」と言うわけにもいかない。
場合によっては、その都度丁寧にお辞儀をされることもある。
そうすると、こちらも「ややや、これはどうも、ご丁寧に」とか思いながら、頭を下げることになるわけである。それはそれで丁寧でいいかもしれないが、これはもう仕事どころではない。
あと、「誰に挨拶したのか、忘れる」ということもある。
あまりにいろいろな人に挨拶しすぎて、「…この人に挨拶したっけ?」ということが起こるわけである。例えば1/4に出勤した人と、その日がお休みの人もいるため、1/5になると誰に挨拶したのか分からず、職場は(いや、私は)混乱を極める。
そうすると、またとりあえず挨拶することになる。
これは頻繁におこるのだが、「いや、さっきしましたよ」とは言わないので、お互い「…あ」と思いつつ、また丁寧に挨拶する。
私がさらに戸惑うのは、職場の人への年賀状である。
年末には現在目の前で会っている人に向けて、家で「昨年は大変お世話になりました。今年もご指導ご鞭撻のほど…」などと書き、年始は年賀状を受け取って数日後には顔を合わせることになる。
いったいどんな顔をして会えばいいのだろうか。普段話しているテンションと、年賀状の文言のテンションが違うのである。
場合によっては、元日に間に合うようには出せなかったという事で、直接手渡ししたり、顔を合わせてから、ハガキを印刷して出すという事態すら発生することもある。これでは、もはや何が何だかわからない。
というわけで私は、数年前から自分が管理職をしている部署では年賀状を送り合うのは廃止し、職場内でも年賀状のやり取りをお断りしている。
ただ、挨拶のセリフ自体を廃止するわけには、どうにもいかない。
年末年始の何が苦手なのか、改めて考えてみると、それは年末の「強制しんみり感」と年始の「強制おめでたい感」である。
うちにはテレビがないので普段見ないのだが、年末年始のテレビ番組、特に年末年始特番は、本当に苦手だ。
今年もこういうことがあったなぁと振り返って、しんみりしたり、あぁ新しい一年だなぁと気持ちを新たにしたりという事は、私にももちろんある。
でも、それは人や周りに合わせたりするわけでなく、自分がそうしたい気持ちの時にしたい。
…というわけで、みなさんに、改まって言いたい。
明けましておめでとうございます。
本年もつなまよ日記を、どうぞよろしくお願いします。
(ちょっと長めの追記)
気持ちが入らない、義務や形式が好きでない、というのは昔からだ。
だから、うちの職場では年賀状だけでなく、バレンタインや誕生日プレゼント、旅行でのお土産も、基本的に無くて良いことにしているし、贈りたいと思ったら贈り、もらってもお返しはしなくてもいい、ということにしている。
それは私にとって、とっても楽である。
誕生日は、その人のことを思い出すいいきっかけだから、プレゼントをあげるのは好きなのだが、誕生日に間に合わせるというよりも、その人にあげたいものが見つかったタイミングであげたい、と思っていたりする。
それに、記念日みたいなものは好きで、私は事あるごとに勝手に記念日を作って祝う。30歳になった時に、友達と味噌(三十路)の回として、味噌汁を一緒に飲みに行ったりした。
つなまよ日記の記念日も欲しい。
最初に投稿した日(周年記念)などでもいいのだが、「毎日が、つなまよ記念日。」と、俵万智さんのサラダ記念日みたいに言ってみる。
読んで下さったあなたにとって、何かがこころに残った記念日になりますように。
2023年12月23日執筆、2024年1月1日投稿
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