第二部 三.「聖と俗を行ったり来たり」

瞑想で起こったこと、見えたもの、感じたものそれ自体には大きな意味はないと思っています。私はそれなりに多くのことを経験してきました。
瞑想中なにが起こっているのか、そもそも瞑想でなにをしているのか、よく分かりませんでしたし、分かろうともしませんでした。
それでも、確信だけはありました。
師はいませんでした。ただ内的なインスピレーションが、導きでした。

教えられたように禅定(超越的な状態)を目指して集中していたときには、禅病や偏差と呼ばれる体調不良のようなものを経験していました。
そんなときは、ただ楽な体勢で目を瞑ってなにもせずに全体を感じていると、体はどんどん軽く、心は広がって明るくなって回復しました。
そうして、再び一点に集中する修練を繰り返していました。

私にとって困難だったのは、僧院や瞑想センターなどに特定の期間留まることでした。そもそもじっとしているのさえ苦手で、瞑想することそのものが、私にとってはチャレンジでした。
10日間でさえ同じ場所に滞在することが、とにかく辛かったのです。1ヶ月以上滞在したときには、逃げるようにその場を去りました。
そうして、今度は外国を旅して思いっきり楽しんで、再び瞑想リトリートに入っていくことを繰り返していました。

瞑想を始めて数年ほどすると、見ているものと見られているもの(対象)の境界線が揺らいているのに気がつくようになりました。
あるとき、ぼんやりと外を眺めていると、外に自分がいるように感じるのです。木を見ていれば、その木が自分自身に見えて、なんとも不思議な心地になるのです。
自分であるという感覚はとても曖昧なもので、そのときどきに生じているものに過ぎないと感じていました。

また、瞑想においてはスイッチがパチンと切り替わるように、瞑想している空間が変わる体験を、あるときは頻繁にしていました。全体が光に満ち、水蒸気のように空間全体がシューっと振動するのです。このとき、内側に入るような感覚で、とても楽に全体を認識できるようになります。
そして、これは、もう一段階グンと内に入って、より精妙な空間に入ることもありました。
すんなりとそのような状態になっていたので、それを特別のことだとは思っていませんでしたが、後から考えれば、これはサマーパティ(合一)の体験ではないかと思います。

このような修練をしている間は、食べ物にも気をつけました。瞑想に支障のある食べ物を避け、ときに断食もしました。目にするものも耳にするものも、心が散漫になったり、感情が乱されるようなものも避けました。
しかし、旅はそれを許さないこともあります。瞑想しながらの旅は、私に忍耐を求めました。それも、とても役に立っていました。

ヨガにも興味はありましたが、継続的にやろうとするほどではありませんでした。瞑想を始めてすぐのころは、どんどん身体が柔軟になっていくのを感じました。しかし、瞑想が深まると逆に身体の緊張が出てくることもあり、身体への意識が外れていくと、意図的に身体を動かすのが億劫に感じていました。呼吸法もほとんどやったことはありません。
それでも、瞑想的にいると意図せずに身体が勝手に動くことがよくありました。それは野口整体の「活元運動」や古神道の「霊道法」と呼ばれているものであることを、後で知りました。

このころ、教えたいという欲求が湧いてくるを感じてもいました。私の歩んでいた神秘主義(智慧の道)の伝統では、教えることは進歩を妨げると言われています。私にとっては、伝統に忠実に、また教えようとすることで生じる傲慢さを恐れて、ひたすらに修行をしました。

このおよそ3年程ほどは、伝統的な教えに従って修行に専念した時期です。

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