手の中の鍵を見て、思い出しただけ。
小さい頃は、なぜだか暗い部屋に一人、うずくまって、
「どうしよう」
って、不安でいっぱいだった記憶が鮮明に残ってる。
なにかあっても、病院に行けない、どうしよう。
お腹が痛い。膝が痛い。頭が痛い。どうしよう。
誰にいっても困らせるから、言えない。どうしよう。
って。
やさしくて、力を尽くしてくれる大人たちが、たくさんいる環境だったにも関わらず、そう思い込んでいて、誰も頼らなかった。
学校で言われた持ち物も、買えない。どうしよう。
って。靴下くらい買ってもらえるだろうに、思い込んでた。
当時、父親は潰瘍性大腸炎で入院して、母が働いていて、私はそれでも私学に通わせてもらっていて、鍵っ子だけど、さみしいけれど、みんなにない環境があって、みんなにある環境がなかった。
いつ退学するのか、いつから働くのか、不安がつきまとって、学校での時間が無駄に思えて、居場所というものが、家でも学校でも固定されないまま、安心という気持ちを知らないまま、毎日警戒しながら、「家族を守らなきゃいけない」という意志だけはっきりしていた。
と、今は具体的にこうして言語化できるけど、当時はとにかく漠然と、「言えない」「どうしよう」を抱えていた。そこから、「なにもできない」「役に立たない」と思うようになった。家族を守れない夢ばかり見るようになった。
追われて追われて闘って。
駆け昇って落ちかけて。
でもまだ追われて。
だけど、社会を見れば、殆どの不安は消えた。解決できるかどうかは別にしても、知ることは本当に大切なことだった。
工夫も努力もなにもかも、前に向く気力は全部、認識したあとにはじめて生まれた気がする。
社会が広くて、世界が大きくて、人がたくさんいて、やり方はたくさんある。
医療、介護、教育。
知らせてくれる大人の存在がとても大事で、その後の人生が歩みづらい現実でしかないとしても、諦めない心を育ててくれたんだ。
お風呂に入れなくて、いまだに時間がかかるけど。水道の蛇口の捻り方がわからなくなるときがあって、手も洗えなかったりするけれど。
暫く立ち止まって、じっと見つめて観察して、考えて、落ち着かせることができる。
助けてくれる制度も、求めていかなきゃ。
その力があるだけでも、随分違うんだろうな、って、なんか、今ふと、思った。そんな夕方。夕飯前。なに食べようかなー。
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