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連載小説 『将軍家重の深謀-意次伝』第二章四節


田に実らざる富


四 蛍に祈る 


 宝暦十二年(一七六二)六月六日、先代将軍家重の一周忌を間近まぢかに控え、幕吏たちは忙しかった。詰所、用部屋がどことなく慌ただしい中、さすがに、黒書院ほど奥まった一画は森厳とした空気に満ち、老中を先導する御用部屋坊主のすり足の音をわずかに聞くのみだった。
 黒書院下座脇の溜間たまりのまでは、既に将軍家治の出御を仰ぎ、新人事の任命が行われようとしていた。そこは、黒書院にて将軍に言上する老中が控えに使う座敷だった。伺候席として溜間に詰める大名は自ずと将軍の諮問を受けることが多く、有力な助言者となった。
 溜間詰たまりのまづめになれるのは将軍家の御家門か、飛び切り上格の譜代に限られ、臣下最高の家格が許される栄誉の伺候席だった。その名誉ある座敷で、布衣以上の御役任命が行われる。
石谷いしがや備後守びんごのかみ清昌、勘定奉行のところ、長崎奉行を兼帯申し付くるっ」
 将軍の若々しい張りのある声が床之間を背にして、座敷に響いた。
「結構に仰せつけられて有難く存じ奉る」
 老中首座、松平右近衛将監武元たけちかは、こうべを上げて、決まり文句の取合いを返答した。
「言い談じて、念を入れつとめいっ」
おそたてまつり候」
 松平武元が拝命し、その間、清昌は下座で平伏し退席まで一言も発しなかった。布衣ほい以上の幕臣の御役任命は、溜間でこのような儀式の元に行われ、式次化されて久しい。
 清昌に次いで、勘定吟味役小野左大夫一吉くによしが同様の式次で勘定奉行に昇進し、関東郡代の伊奈半左衛門忠宥ただおきが勘定吟味役首座を命じられた。
 後刻、公表された時、勘定奉行に長崎奉行を兼任する清昌の人事を奇妙に思う幕吏が多かった。目端めはしさといわずかな幕吏だけが、長崎奉行と勘定奉行を兼任させる人事によって幕府が経済政策の大きな一歩を踏み出したことに気付いた。
 負担の増えた清昌を補佐するため小野が勘定奉行に昇進したことと、半年前に大坂に出張って、御用金の一件で活躍したことを結び付ける幕吏は多かった。
 さらに噂が行き交ったのは、伊奈備前守忠宥ただおき三十四歳の人事だった。伊奈は、お知保ちほの方二十六歳の養父であるため、此度こたびの勘定吟味役首座の職位は、近く産まれる将軍のお子の祖父として、役職を飾るためと見る向きがあった。
 人事は常に幕臣の関心を引き、あれこれ取沙汰された。まして、前年にお側に上がった将軍側女の養父であればなおさらだった。

 家重一周忌の法事が近づくにつれ、増上寺に使者がつかわされることが多くなった。六月七日、大僧正に暑気を問うて佳肴を詰めた檜重ひのきじゅうが届けられ、八日、惇信院殿霊廟前で、御法会千部読経の開白かいびゃく法要が行われた。十一日、弥陀称讃偈みだしょうさんげの修法が行われ、いずれも十二日の家重一周忌の先触さきぶれのもよおしだった。
 一連の儀式と法事の期間、家治は潔斎のため大奥に渡らず、倫子ともこは一人で夜を過ごした。倫子は正式の一周忌とは別に、倫子なりの追悼を行いたく、ひと月ほど前から大奥の広敷ひろしき用人に頼んで蛍を所望しておいた。
 試しに納められた初めの蛍は本所の産で、夜、大奥の内泉水うちせんすいの周りに放したところ、色も輝きも見るに堪えなかった。次に納められた蛍は目黒川のものだったが、これも満足できなかった。三度目の小石川の蛍、四度目の下谷藍染川の蛍にも不満が残った。蛍のせいというより、ったあとの世話のしかもしれなかった。
 倫子は困り果て、困ったときは必ずそうしてきたように意次に相談した。話をじっと聞いた意次は、倫子の眼差しをじっと見つめて、口角を上げた。倫子には、意次の微笑が意味ありげに見えた。
「伺いますれば、御台所様御所望の蛍はただの蛍にあらず、惇信院様の御霊みたまをおまつりするよすがにございましょう。されば、蛍の光も色も吟味いたさねばなりませぬ。主殿とのもにお任せあらせられますよう」
 頼もしく引き受けてくれたはいいが、なかなか新しい蛍が届けられず、倫子が心配し始めた頃、事前の連絡があって、一周忌前日六月十一日の昼過ぎ、幾籠もの沢山の蛍が大奥広敷に届けられた。
 籠の中には水の器が置かれ、夜露に濡れた草の上を蛍が元気に動いていた。意次の添書そえがきによると、王子飛鳥山あすかやまふもと石神井しゃくじい川の蛍だとあり、日中は霧を吹くよう丁寧に指示してあった。
 倫子は千代姫を亡くし悲しみのどん底にいたころ、家重から蛍を贈られ、西之丸大奥の泉水の周りに放したことがあった。家重の添書きには、蛍を眺めると不思議に心が静まるとしみじみとした文が書かれていた。
 たしかにその通りだった。倫子にとって、家重の気遣いが心に染み入り、悲しみがいやされた思い出は今も忘れようがない。今度は、心を込めて蛍を放ち、家重を追悼すると決めていた。
 大奥がすっかり夕闇に包まれた頃、倫子は御付き女中とともに、内泉水うちせんすいに石神井川の蛍を放した。口を開けたまま芝生に置いた籠から一つ、また一つと黄の色光がゆっくりと空に舞い立つのをじっと眺めた。
 上弦を過ぎた月が天空高く泉水を差し照らす。ほのかな夜光が水の上を飛びってはつどい、群れては散った。光の群がりが池のほとりに立つ一本の若木に追々と宿り始めた。一木あまねく散りばめられた淡い輝点が、互いに意思を通じ同時に明滅し始めた。倫子は息をひそめ、息をつかうかのような木立の光のたたずまいを見つめ続けた。
 夏葉の青臭い香りが時折、なよ風に漂ってきた。池畔の植え込みに囲まれ、倫子は故人をしのぶ深い追憶の情が呼びまされるのを感じた。
 浜御殿で過ごして第一級の教育を授かったこと、結婚して大奥中の評判になるほど家治に愛されたこと、桃の節句を祝って間もなく幼い千代姫をうしなったこと、心をこめて舅を看病し穏やかに送ったこと、万寿ます姫を授かったこと、これまで生きた日々の一こま、一こまを思い浮かべた。心に残る人生の瞬間に、いつも舅が淡くうっすらと背後にいてくれたことに改めて気付いた。
 舅への感謝、夫への愛情、万寿への慈愛が滾々こんこんと込み上げてきた。意次から常に見守られている安心感に浸り、極上の蛍を吟味してくれた手配りに感謝した。
 近く側室のお知保ちほに子が産まれることが、今は素直に嬉しかった。蛍の群舞を見て心が何かから解き放たれるにつれ、いつの間にか、眼から温かいものがあふれるのを感じた。倫子は頬をぬぐいもせず、ひとりでに穏やかな笑みが浮かびくる心情を尊い御仏みほとけの導きだと思った。いつまでも微光の息遣いきづかいを眺め、亡父を偲んでいたいと願った。

 意次は、夜更けて呉服橋御門内の屋敷に戻ると、昼過ぎ、無事、石神井川の蛍を大奥広敷に届けたと家臣の報告を聞いた。って籠に入れたあと、どうすれば蛍の生気を保ち、見事、光らせるか、すでに試してあったから、今宵は倫子が蛍を眺めるに差し障りはなかろうと思った。
 五年前、家重に勧め、家重の元から傷心の倫子に蛍を贈るよう手配したことを想い起こした。千代姫を喪った倫子のために工夫した心遣いが、今度は、家重追悼のため蛍を手配してほしいと倫子から依頼されることにつながった。
 倫子から相談を受けたときは不思議なえにしに少しばかり驚いた。知らぬ顔で倫子の頼みを聞き終え、家重と倫子の心の繋がりに一役かったことを心の内で喜んだ。
 前年、万寿姫の誕生直後、倫子に拝謁を賜り、家治が側室をおくことを許しれるよう願い出たときのことだった。倫子からじっと怨ずるように見つめられた眼差しを意次は忘れなかった。倫子の哀しみがはっきり伝わってきた。
 意次は、嫡男を是が非にも儲けなければならない将軍家の事情に一言も触れず、倫子を長い間、見つめ返した。そして、もし側室が嫡男を産んだなら、倫子が手元に引き取り、我が子として育ててはどうかと申し出たことを想い起した。
「そうなされますれば、万寿姫様のよき弟君になられましょう」
 意次の提案に、倫子ははっとして一瞬考える素振りを見せた。間をおいて、嬉しそうに悲しげな微笑を浮かべた。この日の目通り以来、日々明るく過ごしていると松島から聞かされている。倫子は己自身で心に収まりをつけたらしい。
 家治との仲も以前と変わりなく睦まじいようだった。側室が子を産んでも、倫子は、今宵こよい見た蛍をよすがに、新しい日々に向かって歩み出すだろうと意次は信じた。
 ――そのお気持ちこそが、惇信院様への何よりの御供養と申すもの。御台所様、ご立派です……
 しばらく瞑目し、目を開くや、意次は翌日の家重一周忌に備え最後の確認をなすため、腹心を呼び寄せた。

 宝暦十二年(一七六二)六月十二日朝、家治が大広間の車寄せから溜塗ためぬり総網代そうあじろ、棒黒塗十人担ぎの駕籠に乗り込み増上寺に向かった。寺では、大勢の幕臣が警衛に居並ぶなか、丸一日にわたって荘厳な仏事が齟齬そごなく、決められた通り延々と執り行われた。
 最後は、竣工成ったばかりの惇信院殿御霊廟の壮麗な二天門の前で、町奉行依田豊前守政次が、目付立ち会いの許、囚獄者十三人を引き据え、恩赦する旨、自ら朗々と申し聞かせた。神妙に控えた囚人の縄目を解かせたあと、大僧正がそれぞれに法名を授け、銭五百文を与えて赦免した。善行の一つだった。



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