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豊かな社会の中で、家畜化する人間と人間化する機械。人と機械の未来はいかに?

4割の自治体は消滅可能性自治体

 前回(4月15日)コラム「ソロ暮らし社会が、そろりそろりとやってくる」で人口減少問題を取り上げた。思いのほか反響が届いて驚いていたのだが、さらに、4月24日には人口戦略会議から2050年までの人口減少の分析結果が発表された。
 この分析は、「20~39歳の女性人口」(以下、若年女性人口)の将来動向を指標化したところに特徴がある。その結果、全国1729自治体の4割にあたる744自治体で、若年女性人口が50%以上減少することが予測され、このような自治体は、「消滅可能性」が高いという警告的な予測となっている。自治体としてはただごとではない。

消滅可能性744自治体(NHKウェブサイトより)

「子どもを産める女性」を奪い合う!

 私は、この結果を見る直前に、『人間はどこまで家畜か―現代人の精神構造』(熊代亨著、ハヤカワ新書)という書籍を読み終えたところだった。それもあってか、「これまた、人間の家畜化が進められようとする話題なのでは!」と感じてしまった。
 人口減少は、前回コラムでも述べたとおり、このさき数十年間にわたって確実に進むことは明らかだ。だとすると、人口総数のパイが小さくなる一方の中で、日本の自治体が人間争奪戦を繰り広げることになる。さらに、今回の分析結果に基づけば、より人口増加と子どもを増やすために、子どもを産める女性を囲い込むことが「効率よい」人口対策になると示された。確かに、近い未来に人工的な生殖技術が普及しない限り、生命の誕生には母胎が必要だ。しかし、そういう発想は、効率よく商品価値の高い家畜を殖やそうという営みを続けてきたことと重なるようにも思えた。

「お金を稼げる男性」も増やす?

 合理的に、子どもを増やす政策として、まず、「生物的」に、子どもを産める女性を増やす方策をとるのであれば、同時に「社会的」には、子どもが生きて、豊かに育ち続けられるよう、現状の社会では経済力、すなわち親が稼ぐ力も必要となる。
 今回の分析結果では、男性人口は分析対象に組み込まれていない。もしも「高所得な男性生産労働力人口」を指標にするようなことがあれば、確実に炎上するのだろう。けれど、そういう指標が背後で意識されるだろうことは、誰もが気がついているはずだ。高収入可能な若い男性と、多産可能な若い女性を集めて繁殖を活性化させる社会という、とんでもない構図を想像して怯えてしまう私は、かなりおかしいのだろうか?

「パフォーマンス」モノサシに変わる尺度

 もちろん、「いや、そんな性役割分業社会など、今さら前提にしていない。男性だけが働くのでなく、女性も男性も働きやすい働き方を実現させれば、そんな恐ろしい社会にはならない」という批判が噴出することは容易に想定できる。「エンゼルプラン」、「子育て支援策」、最近では「異次元の少子化対策」というおどろおどろしい政策も出ていたとおり、これまでも多くの制度が施行されてきたし、企業もそのための施策を様々に実行してきたことは、私も承知している。
 しかし、そのような施策の効果によって、子どもにも親にも、社会にも、老若男女の誰もがハッピーで持続可能な世界になりつつあるのか、どうしてもそこに疑問を感じてしまう。その理由は、これら諸々の子育て支援策の多くが、経済的支援による「子育てのコスパ」や、「子育てのアウトソーシング」に訴求するものだと感じられてしまうからだ。
 子どもを持つということまで、パフォーマンス一辺倒で考えてよいものだろうか。外部サービスに任せきればよいものなのだろうか。それだけでなく、人間ならではの、社会で「育つ」、自然の中で「育つ」という部分が大きく関係しているように思う。そういう新しい切り口は、なかなか定量指標にはなりにくい。

資本主義と個人主義という価値観の壁

 今の世の中、どうしても「パフォーマンス」さらに言えば「コスト」と「時間」のパフォーマンスにとらわれてしまう。この「資本主義」という価値観は、いかに乗り越えられるのだろうか。何がボトルネックとなっているのか。
 さらに、もう一つ「個人主義」という価値観の縛りも掛け合わされる。個人の自己実現を経済価値の尺度で測り、競い合う社会、まさに近代社会を発展させてきた駆動エンジンのようなからくりから、そろそろ抜け出せないのだろうか。
 ホモ・エコノミクスに徹した生き方は、いかにピークを超えることができるのかが大きな問題だ。そして再び、ホモ・サピエンス、もっと知恵ある生きものとしての人間観で生命を輝かせる生き方を可能にしたい。それこそがヒューマンルネッサンスだろう。

人間化する機械

 ここで視点を転じてみよう。人間が急速に経済的家畜に化している一方で、急速に人間化が進んでいる領域がある。それは、「機械」(いわゆるマシンだけでなく、技術や情報も含めた人工物の領域)の領域だ。
 ロボット技術は、人と協働作業ができるように、ますます人を理解し、人に合わせて動き、人の仕事を肩代わりしていっている。人間の身体機能の代替は、急激に進んでいる。それを可能にしているのは、身体機能をコントロールしている「脳」や「神経系」の技術の進歩によるところが大きい。それによって、人が機械に合わせるような協働から、機械が人に合わせ、さらに、人と機械が協調できる環境が、限られた工場などの場だけでなく、家庭や社会の中でも生まれ始めている。
 生成AIの登場は、その流れを飛躍的に向上させた。知的な営み、創作的な営みまで、ネットワーク上に情報となっていることであれば、そのすべてをソースとして最適解を瞬時に提示できるところに辿り着いてしまった。まさに、機械の人間化であり、その勢いたるや、人間が伴走できる速度を上回ってしまう懸念さえ大きくなっている。

自律した人間と「機械」が共に生き合う

 「機械」は、もはや人間の活動を補う道具の域を超えて、社会の構成メンバーの一端を担いつつある。であるならば、人間もこれまでの経済パフォーマンスの向上を果てしなく上げていくための家畜的な生き方から離れて、これまでとは異次元な機械との共生社会に向かってはどうだろう。
 「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべき」、これはオムロンの創業者である立石一真が、半世紀以上前に主張していた企業哲学だ。当時とすれば、工場の作業、ラッシュアワーの駅改札員の切符切りなど、たいへんな人の作業を、まさに「機械(マシン)」で自動化して、人間の仕事をより人間らしいものにするための発想だったはずだ。
 しかし、これは今でも古びていない。マシンのみならず、技術や情報通信を含めて広げた人工物としてとらえる「機械」にできることは、この半世紀で格段に向上して、領域を拡張した。その結果、従来の仕事の領域で言えば、機械が雇用を奪うほどになった。
 もはや、この流れに棹を差す必要はない。しかし、機械に担える働きを渡した先に、こころ豊かで持続可能な暮らしを獲得するためには、経済的パフォーマンスの呪縛を自ら解き、一人ひとりの価値観に基づいた自律した生き方が必要となる。それがSINIC理論で予測する「自律社会」でもある。そのために、人と機械、人と人、人と自然の共生への指向性が、これまで以上に強く求められる。

幸せな未来への5つの習慣

 本コラムのまとまりをつけられずにいた中に、尊敬する未来社会研究の大先輩からメッセージがスマホに届いた。『「働きすぎを避けて幸せになる...」フィンランド流「5つの習慣」とワークライフバランス』というNewsweek日本版の記事をシェアいただいた。
 早速、キーボードを叩くのを止めて読んでみると、5つの習慣は、ここまで記してきた内容の先に向かう羅針盤のように感じられたので、ここに項目のみ引用させていただこう。

  • 自然とふれあう

  • へこたれない

  • 職場での信頼関係

  • 家庭を大切にする

  • 競争心はほどほどに

 以上の5つである。これらの結果、人間はより創造的な分野での活動を楽しめるようになれば、まさに、人間の家畜化を免れ、ホモ・サピエンスへのルネッサンス、自律社会という未来に向かう5つの習慣だ。

ヒューマンルネッサンス研究所
エグゼクティブ・フェロー 中間 真一


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