見出し画像

くりごはんの栗だけほじって食べたい。


くりごはん。
秋になるとどうしても食べたくなる。
(もう冬になるけど)


鬼皮剥いて、渋皮剥いて。
いろいろめんどくさい。
爪はがれるかと思うもん。


「これなら楽に剥けます!」 
的なのを見てやっても、なんか失敗する。
楽に剥けた試しがない。
爪の間に、栗の実はさまるし。
最悪、虫出てきたりするし。
茹ですぎると、
ごはんと合わせて炊いた時に
ポロポロに崩れちゃうし。


でも、食べたい。


栗の皮剥いただけでは
まだたどり着けない。
そこからまたごはん炊くし。
ほんのちょっとの手間だけど、
調味料入れたり
水加減に気を配ったり。



でも、食べたい。
から、毎年作るんだけどさ。


今年、むすめっこに出したら
見事に
くりごはんの
栗だけ
ほじくって食べられた。

なんというか、見事。

んで、栗だけ
おかわりを求められる。



え!?!?
わたし、こんなに苦労して
手間かけてつくったんだけど!!

栗と、ごはん
バランスよく食べてくれない!?

わたしも栗ばっかり食べたいよ!
明日のお弁当の見栄え考えて
ちょっと栗、遠慮してるんだからね!!

なんなら、お茶碗の中の
栗とごはんのバランス考えて
計算して食べてるんだからね!!!



なんて、脳裏をよぎるけれど
この子にそれが通用しないの、
わたしはよく知っている。


むしろ、その
「くりごはんの栗だけほじって食べたい」
その欲望を
わたしはいつどこに
置いてきたんだろう。
そんなことに思いを馳せる。



わたしは、
ショートケーキのイチゴに
あまり興味がない。
生クリームの方が好き。

だから、よく言う
「ショートケーキのイチゴ、
 先に食べる?後から食べる?」
という問題は
「生クリームのかたまりのとこ、
 いつ食べる?」
ということにすり替わるのだけど。




わたしは、いつも
好きなものは最後に食べる。

ちょっとお行儀が悪いかもしれないけど
口いっぱいに
好きなものを頬張って
口の中がみちみちになる瞬間が好きだから。

最後の一口は
多めに残しておくのが、
好き。




むすめっこは
そんなこと考えもしないんだろうな。


次の瞬間、
お腹がいっぱいで、
あるいは
なんらかのアクシデントで、
その大事な大事な最後の一口を
食べられないことだって
きっとあるのに。

つい、わたしは
考える幸せを優先してしまう。
それも悪くないのだけど。



今、この瞬間の欲にかられて
くりごはんの
栗からほじって食べる。

そんなしあわせも
自分に与えていい。

それを教えに、
この子はわたしのところに
やってきたんだろうか。



……いや、
ただの食いしんぼう赤ちゃんなだけの気もする。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?