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語られないスーパーヒーローはたくさん存在しているのです。【#9】

病院には様々な人が訪れます。脳外科外来もいろいろな方が通院してきます。小学生の頃あこがれていたようなスーパーマンがくることもあります。
脳神経外科の外来には驚きと涙があります。


2024年1月1日能登半島で大きな地震がありました。その4日後、1月5日の外来での話です。

40代男性が脳外科外来に飛び込み(予約/電話全くなし)で来ました。問診票には、 “正月に地震で頭をケガした” と書かれていました。

なんで4日も経ってから病院来たのかな、と不思議に思いながら彼を診察室に招き入れ、話を聞きました。

1月1日は帰省で輪島にいたそうです。そこで被災したとのことでした。

地震で家が崩れ、下敷きに。必死で家から這い出て辺りを見ると、奥様は足が家に挟まっていたそうです。何とか引きずり出し、家族全員で避難をはじめました。

この一月の寒い中、避難所を経由しつつ、自分が住んでいるこの町まで、なんとか戻ってきたとのことでした。
戻ってきたのは8時間前ということでした。自分の家に着き、少しだけ仮眠し、朝一番で家族(母親、奥様、子供たち)を連れ病院に来たそうです。

頭の傷に関しては「家から這い出たときに血が出た。だからたぶん天井の梁かなんかで傷ついたんじゃないかな。」とのことでした。

傷は4日放置されていたためか、大きなかさぶたで覆われていました。かさぶたを洗ってはがし、清潔にしながら傷口を確認しました。6cmと3cmの2か所の挫創、深さは脂肪層まででした。筋層は大丈夫です。浅側頭動脈など動脈系がやられていなくて本当に良かったと思いました。

スキンステープラー(いわゆるホッチキス)で縫合して、再度来院してもらうことになりました。

スキンステープラーの痛さに、半分涙目で必死に耐えているあなたを見ながら、私もなぜか半分涙目でした。

戻ってくる道すがら、再度被災する可能性も大いにあります。病院の機能が回復するまで被災地でまつ、途中の避難所に留まる、など様々な選択があったと思います。


選択の責任を自身の両肩に乗せ
頭に傷を負いながら
危険な道を安全に、でもできる限り早く
家族を鼓舞しながら
窓ガラスの割れた車で
3日以上かけて
帰ってきたんだと思います。


誰の目にも止まらず、誰からも称賛されない、ただひっそりと存在している小さくて大きな物語があります。


私が称賛します、できるかぎり覚えておきます。
あなたは間違いなくスーパーヒーローです。

避難お疲れ様でした。

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