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根暗な冒険者

生まれて初めて遊んだテレビゲームは、『ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち』だった。

中学生くらいのころに、従姉のお下がりでプレイステーションをもらったのだ。
月日とともにプレステの容貌がだいぶ変わっているので念のために書いておくと、私たちがもらったのは灰色の平たい箱に、CDサイズの丸いディスクを入れて遊ぶアレだった。

従姉がくれたゲームの中には、『実況パワフルプロ野球』(通称パワプロ)やチキンを拾い食いすると体力が回復する謎の格闘技ゲーム(名称を忘れてしまった)、そして前述の『ドラクエ7』があった。
私たちは迷わず『ドラクエ7』をプレステに入れた。それまでテレビゲームをまったくやったことのない私たちでも、勇者が魔王を倒すゲームということはコマーシャルや友人からの話でぼんやりと知っていたからだ。
あの有名なテーマソングに心を疼かせてワクワクと画面を見つめていたら、真っ先に名前の設定を求められた。

ここで私は、ものすごく根暗なことをした。

大嫌いなクラスメイトの名前を入れたのである。



周囲から入ってくる情報から「何度も死にかけながら不気味な敵と戦うゲーム」と認識していた私は、人知れず嫌いな奴を苦しめて憂さを晴らそうとした。
いま振り返って自分の残忍さに震えている。

私の嫌いなクラスメイト……仮に「森田」としておこう、森田と私は小学校のころも同級生であった。
私がラブレター代筆業にいそしんでいる時、彼女は「ゆみちゃんってウザくない?つるさんいつも大変そう。みんなで無視しちゃわない?」と私の友だちをハブろうと誘ってきたことがあった。
たしかにゆみちゃんは私にラブレターを書かせたくせに自分では想い人に渡さないという暴挙に出たり、他にも想い人の尾行を私に手伝わせたりと半ば暴君のごとく振る舞ってきたけれど、それはあくまで彼女と私の問題だ。

「別に気を遣わなくていいよ」と答えたら、彼女はそれを自分に対する反旗だと受け止めたらしい。
中学に上がる直前あたりから彼女は、「変な友だちもいるし、弟も頭おかしいし、つるさんってかわいそう」と私を憐れむふりをして聞こえよがしに陰口を言うようになっていった。
友だちが変なのは数歩譲って認めるにしても、弟のことをからかわれるのは心外だ。

以前「「ルンバの人」はnoteの女王だった」で書いたことがあるのだけれど、私の二つ年下の弟は重度の知的障害を伴う自閉症である。

意味がかろうじて聞き取れる単語は「おーぐうと(ヨーグルト)」「おめんえ(ごめんね)」くらいしかなく、日常的には「うははは(喜・笑)」「あまあまあま(怒)」「おめんえ(哀・謝)」「んばんば(楽)」といったささやかな言葉と豊かな表情と、全身を用いたジェスチャーとでコミュニケーションを成り立たせている。

家では「また私のお菓子食べたでしょ!」「おめんえ」「ごめんで済むかぁー!」としょっちゅう怒ったりしていたけれど、素直で愛嬌のある弟を私はとても好きだった。

だから、森田の言葉が許せなかった。
しかも表向きには私に同情しているふりをしているから、余計に厄介だ。
弟のことを言われて私の顔色が変わったのを見た彼女は、中学生になると弟の話に焦点を絞るようになっていった。
私や弟のことを知っている地元小学校出身の子ではない、別学区の小学校から上がってきたクラスメイトに「知ってる?つるさんちって大変なんだよ。弟さんが喋れなくてね…」と心配面して吹聴して回っていた。

むかっ腹が立つに任せて「私のことかわいそうがるの、やめてくれる?」と真正面から言えば「どうして?私は心配して言ってるのに」とわざとらしくかわされ、「つるさんひどーい」と取り巻きに同意を求められる。
あまりにも面倒くさくて、結局表立っての反撃は解答を書くために黒板の前に行くときに彼女の椅子に躓くふりをして軽く蹴る程度しかできなかった。

そんな学校生活だから、憎悪は日に日に燃え盛る
『ドラゴンクエストⅦ』はそんな私にとって、格好のストレスのはけ口になった。
主人公の幼馴染でお嬢様育ちのマリベルと、主人公の友人でお調子者のきらいがあるキーファ、そして主人公モリタ(仮)。
 私は憎しみからモリタに過酷な戦闘を強い、何度も危機的状況に追い込んだ。
HP(ヒットポイント。体力)が1(瀕死)になっても回復アイテムを使ってやらなかったことなんてしょっちゅうだったし、まだレベルが浅い状態の彼らを強敵がうようよしている沼地にわざと突撃させたりした。
彼らが慄き苦しむ様を見ては、「くはは、ざまあみさらせ!」と魔王のごとく笑っていた。

ところがそんな文字通りの捨て身の戦いが功を奏し、モリタ一行はどんどん敵を撃破し村人たちから感謝されるようになり、最終的に奴らは見事に魔王を打倒し世界を救った。

私の陰湿な復讐心が、一つの世界を救ってしまった。

そんな居心地悪さが、深く私の心に刻まれた。
現実世界は何も変わらない。相変わらず森田はいい子の仮面をつけて私に嫌味を言ってくる。
そんな現状を恨み、ゲーム上でモリタを何度も死地に送り込みながらも、私はなんだかんだ魔王を倒すために奴らにいい武器を買ってやったり強い技を得たことを喜んだりしている。
ゲームが進むにつれ大嫌いなはずの彼らの勝利を願ってしまうようになり、「くそ、嫌いなのに!」と胸をかきむしられる思いがした。
最初の動機が不純だと難敵の撃破も勝利の凱旋もこんなに複雑な気持ちになるのだなと、クリア後もしばらく気持ちが沈んだ。

ついでに言えば同じくドラクエにハマっていた私の4つ下の弟も、私にならって自分をいじめるクラスメイト「ハシモト(仮)」を主人公に設定していた。
つくづく暗いきょうだいである。


時は流れて、大学二年生の秋。
彼氏が「今度はこれをやろうと思って」と新しいゲームを開いた。
私がこれまでやったことのあるようなゲームとは全然違う、剣を振り回したり盾で防いだり前転してよけたりといった、いかにも操作が難しそうなゲームだ。
このゲームもまずは名前をつけるところから始まり、「そういえばドラクエもそうだったな」と思い出した。
名前を入力する彼を見て、私は愕然とした。

なんと彼は、自分のあだ名を入れたのである。

「ちょっと待って、今からあなためっちゃ死ぬんだよね?!」と慌てたら、「えっ、じゃあなんて入れればいいの?」と聞き返された。
「嫌な人の名前とか……?」と言うと、彼は「それじゃゲーム楽しめないでしょ」とあっさり返して、結局そのまま登録した。

そうか、ゲームって楽しむためにするんだ。

何度も死にながら「くぅ〜!やられた!」と心の底から楽しそうにゲームをする彼を見ながら、私は彼の言葉を反芻した。

武器を整え、レベルを上げて、敵を倒す。

やっていること自体はかつての私とまったく同じなのに、彼のゲームと私のゲームはまったく違った。
純粋にゲームを楽しむために自分の名前を入れて、何度も倒されながらも分身を鍛え上げて何度も敵に立ち向かい続ける彼。
自分の恨みをゲームに託して嫌いな人の名前を入れて、やけっぱちに冒険したあげく英雄となった主人公に釈然としない思いを抱く私。

かたや最初から最後まで自分を高めることに集中するゲームと、かたや最初は酷薄な復讐の喜びに浸り、次第に純粋にゲームを楽しみたい自分との乖離に苦しむゲーム。
彼のゲームの主人公は彼で、私のゲームの主人公は大嫌いなモリタ。

どちらがいいかなんて、一目瞭然だ。

そんな当たり前のことに今までまったく気がつかなかったなんて。
「人生の主役は自分」そんな使い古された格言がやっと胸に落ちてきたような気がした。ゲームの主役だって、自分がいいに決まっている。
だってこのゲームは、最終的にはハッピーエンドなのだから。
ドラクエに対してくすぶっていた気持ちは、私自身のゲームに向き合う姿勢こそに問題があったのだ。

結局我が家のプレステは原因不明の故障をきたして、数枚のディスクごと手放してしまった。
ひょっとしたら私たちきょうだいの呪いの強さに、ゲーム自体が付き合いきれないと判断したのかもしれない。
たしかゲーム機自体は廃棄してしまって、ゲームディスクは売りに出したように記憶している。
ひょっとしたら主人公たちは、今でも誰かの手で危険な冒険を続けているのかもしれない。
余計なお世話だとは思いつつも、主人公の名前がその誰かにとっての「ハッピーエンドを願える名前」だったらいいなと思う。

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