第1回 お金の一生

金はどうやってできて、どうやって消えるのでしょうか?お金の一生についてなるべく簡単に説明します。

正確な詳細はバッサリ省き、簡単に理解できるように大雑把な話で説明していきます。

ある村の話

ある村の住人が、自分たちの作ったものを交換しあうことを想像しましょう。ある村に漁師とコメ農家がいたとします。

漁師はコメがほしいのですが、交換できるモノを何も持っていません。「後で1万円分の何かをあげるからおコメをちょうだい?」と農家に言います。農家は1万円の借用書を書いて、それと引き換えにコメ20kgを売りました。

農家は、職人の包丁が欲しいとします。農家は、1万円分の漁師の借用書を、包丁代として支払えないかと考えます。職人も同意して、その漁師の借用書と引き換えに自分の商品である包丁を売ります。

漁師に対する借用書が、農家が職人に渡りました。

ある日、職人の父親が還暦を迎え、お祝いのためにタイを買いたいと思いました。漁師のところへ買いに行ってみると、ちょうど1万円でタイを3尾買えるということです。職人は、漁師の1万円分の借用書を持っていますので、それを漁師に返すと、約束通り1万円分の魚(タイ3尾)と交換してくれました。

結果、最初に農家と漁師が交わした借用書によって、コメと包丁とタイを、売りたい人から買いたい人へ流通させることができました。

単なる物々交換と違うところは、借用書によって交換の時間差を解決しているところです。この借用書の仕組みがあれば、欲しいときに欲しいものを手に入れられる可能性が高まりますし、売り手の側も売りやすくなり、モノの交換が活発になります。

この「借用書」は、漁師が農家から借りたときに作られ、職人から漁師に帰ってきたところで消滅するまでの間に、3人の間のモノの流通に役立ちました。

お金の登場

さて、上記の農家や職人のことを、ずいぶんと人が好いと思われたかと思います。漁師の借用書での交換が成り立つには、漁師がきちんと一万円分の魚で借りを返してくれるという見込みがないと、農家も職人も借用書で大切な自分の商品を売らないでしょう。

そこで、貸し借りを村長が仲介することにします。漁師は、村長から村公認の借用書を発行してもらうのと引き換えに、1万円分の借用書を渡します。もし、漁師が1万円を返せなかったら、村長が責任をもって漁師から1万円分の持ち物を取り立てます。

この、「村公認の借用書」というのが「お金」です。お金を作るという行為は、借用書の作成と交換によって行われます。

下図を見てください。漁師の借用書と引き換えに、村公認の借用書(=お金)を作っています。(矢印は、根元側が貸し手、先側が借り手というルールとしています。なので、矢印の向きは間違いではありません。)


ここで注目して欲しいのは、村長は特に何も持っていなくても、借用書と引き換えにお金を作り出せるということです。この行為を、「信用創造」と言ったりもしますが、より直接的に表現するなら「通貨生成」とも言えます。お互いに借用書を書いて交換するだけでお金が作れるので、この不思議な行為を万年筆マネーと言ったりもします。

漁師は無事1万円のお金を貰えたので、農家からコメを買います。農家が受け取るのは、漁師の借用書ではなくお金(=村公認の借用書)なので、漁師が後で1万円分の魚を返してくれるかどうかを心配しなくて済みます。

同様に、農家は通貨で職人から包丁を買います。職人も農家と同じように、漁師の返済能力は全く気にしません。もっと言うなら、農家から渡されたお金が漁師の借用書によって発生したものだという事実も全く知りませんし、知る必要もありません。

最後に、職人は漁師からタイ3尾をお金で買います。

漁師は、自分の獲った魚が1万円で売れたので、村長に1万円のお金を返済します。具体的には、漁師の借用書とお金(=村公認の借用書)を両方同時に破棄して相殺します。お金は、借用書と相殺することで消えます。

その結果、最初の例の場合と同じように、コメ・包丁・タイをすべて無事に流通させることができました。

農家や職人が村長が発行したお金に価値を感じるのはなぜでしょう?

農家や職人が、仮に漁師と同じように村長に借金を他にしていた場合、村長が発行したお金は、村長からの借り入れの相殺に使えます。つまり、お金の発行元からの借りを相殺するのに使えるから、お金に価値があるのです。

借金を踏み倒されたら?

さて、残る問題があります。村長が受け取った漁師の借用書の約束を、漁師が守らなかったらどうなるでしょう?

その場合、村長が責任をもって取り立てます。家財を没収したり、働かせたりして、1万円分の約束を守らせます。

売買のときに借用書を直接交換している場合は、このような取り立てを貸し手が単独で行う必要がありました。一方、村長がお金を発行して仲介することで、村の権力を使って取り立てを行うことになります。

このように、お金を通じて借用書の取り立てを権力が代行することにより、村人が借りた人からの取り立てをいちいち心配せずに価値の交換ができるわけです。

ただし、村長が漁師に借金をさせすぎてしまうと、どうやっても取り立てができないということもあり得ます。漁師が死んでしまったら?逃げてしまったら?というようなことを考えながら、どのくらい貸しても大丈夫かを村長が判断しなければなりません。これを「与信」といいます。

世の中に流通するお金の量は、この「与信」の総量で決まります。

現実との差分

この例では、現実の世界よりもかなり単純化した例で説明しています。しかし、お金の本質が変わらないように注意を払って単純化をしているので、大丈夫です。

上記の例では、村の村長がお金を発行していました。この村は、より広い国の中の行政区画としての村ではなく、独立した村であり、現実で言うと国家に当たります。

また、この村の例では、村長が借金を取り立てる能力が及ぶ範囲でしかお金が流通しません。現代では国という広いまとまりでお金(通貨)が統一されていますが、これは、国の武力が国土全体に及ぶから、国全体で統一の通貨が成り立っているのです。通貨制度の背景には必ず軍事力・警察力があるということです。しかし、お金の効力が及ぶ範囲の広さが違うだけで、お金の制度が成立するための条件は同じです。

現代の国家では、与信の仕事を専門家集団に担わせる仕組みになっています。その専門家集団のことを「銀行」といいます。しかしこの村では、政府や銀行(中央銀行含む)をすべて省略し、「村長」にすべての役割を担わせています。その外部の家計や企業にとっては、単なる通貨発行者の内部の事務処理に過ぎず、あまり議論する意味がないため、思い切って省略しています。

よくある誤解

お金に関するよくある誤解は、「お金の価値は『共同幻想』によって保たれている。」というものです。「みんながお金に価値があると思っているから、お金には価値がある。」というような、あやふやな群集心理に、お金の価値が依存しているという理屈です。

しかし、これは完全に間違いです。

これまでの説明でわかる通り、お金の価値は発行者に対する借り入れを相殺できることで価値を持ちます。逆の立場(発行者)から言えば、借り手に何らかの形で貸した金額相当の価値を、発行者が取り立てることを可能とする権力(軍事力・警察力)によって、通貨の価値を保証していると言うこともできます。

この『共同幻想』の誤解が顕著に表れたと、仮想通貨ブームです。仮想通貨(ここではビットコインとその類似品を指す)の作成者や支持者は、お金の価値があやふやな群集心理によって成り立っていると理解したと考えられます。そこで、暗号技術がもたらす説得力を使って、その群集心理を横取りできるのではないかと思ったのでしょう。しかし実際には、通貨の価値を根拠づけるのは群集心理ではなく、国家権力です。通貨の根本について勘違いをしています。このような種類の仮想通貨が本物の通貨を置き換える試みは、今後も成功しないと予想されます。

次回

次回は、政府支出や税金の話です。興味がある方は、マガジンをフォローしていただけるとうれしいです。

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