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シェイクスピア参上にて候第七章(一)


第七章 フランスの動向を掴まなければならない

(一) 揺れ動くフランス政治

鶴矢先輩は、アランと上杉さんがロシアで情報を取ってきてくれたことに対して、労をねぎらい、ロシアの政治を予測することも、実態を掴むことも難しいお国柄に出向いて、かなり参考になる情報を得たということは一つの収穫であると言ってくれました。

特に、一人のロシア人ジャーナリストの胸の内の思いを受け止めてきたアランのヒューミント・コミュニケーションの実績は小さなものではないと称えてくれました。

鶴矢先輩の胸中には、クラーク・ヒューズおよび米倉アキ子さんとドイツを訪ねた時のことがずっと頭にあり、ロンドンへの帰途、フランスに寄るかどうかで迷い続けた心中のわだかまりが解けないでいました。

フランスの動きが非常に気になっていたので、今回、思い切って、パリへ送る人材を選定しているところでした。呼び出されたのは、岩倉隆盛さん、ジェイムズ・アンダーソン、そしてわたくし近松才鶴の三人です。

「アランと上杉君はロシアで頑張ってくれたと思う。米国とロシアの関係はそう簡単にはいかないこともよく分かった。大局的かつ歴史的な洞察も加えなければならないだろう。

次々に気になる情勢があちこちの国に出てきている中、どうもフランスが気になって仕方がない。

EUという連合体が強いのか脆いのか、英国のEU脱退劇から、今後のフランスの動向を占うリトマス試験紙が必要な状況になってきている。

そのリトマスであるが、やはり世論だ。フランス国民の世論の行方が決定的にものを言うと思う。現政権は、仏独の協調体制を飽くまでも保持する構えでいるが、ドイツに対する厳しい見方も国民の中にはかなり見られる。予断は許されない。仏独が分裂したら、そのとき、EUは終わる。

そういうことで、岩倉隆盛君、ジェイムズ・アンダーソン、近松才鶴君、以上の三人がパリに飛んでくれることを望む。異論はないね。お願いするよ。いろいろな手配はすでにこちらの方で済ませてある。」

岩倉さんが何か気になる様子で尋ねました。

「ありがとうございます。パリは久しぶりです。五年前に行きましたが、大統領も代わり、いろいろな変化があるようです。移民などの問題も大きいと思いますが、社会の秩序が不安定なので、政府も大変だと思います。

やはり、今回の任務の中心は世論の動向をしっかりと抑えてくるということでよろしいですか。」

「岩倉君は、早稲田で政治学を専攻し、卒業論文はフランス革命について鋭い内容を書いているが、その明晰な頭脳で、世論は勿論のこと、現政権の状況、経済状況、何でも見てきて、感じることを総合的に掴んできてほしい。

世論だけに限定しないよ。大学時代に原書で貪り詠んだ本は、スタンダールだったそうじゃないか。わがオフィスで、フランス語に堪能な日本人は、上杉早雲君と岩倉隆盛君、二人しかいないが、今回は君の出番だ。

そして、ジェイムズはカイロ大学で学んだ経歴から、アフリカ問題に特別なアンテナを持っている。

アルジェリア、モロッコ、チュニジア、リビア、いわゆる、マグレブ諸国と言われるところだが、そこからの移民のこともよく分かっている。

ジェイムズのフランス行きは欠かせないと判断したよ。フランス語もペラペラだ。フランスとアフリカの結びつきは深いからね。

才鶴ちゃんは、二人の報告内容を整理して、時々刻々、まとめたものをロンドンの方へ送ってほしい。事務方をやらせたら、才鶴ちゃんはピカ一だ。頼むよ。

ドーバー海峡を隔てた隣国同士で、海底トンネルで繋がった英仏両国の関係は、イギリスが大陸ヨーロッパへ繋がる入口にあたる地続きの国ということになり、フランスという国がいかにイギリスにとって大きな意味を持つかということを考えなければならない。

そういう意味で、才鶴ちゃんの仕事は、的確な報告内容のまとめの作成であり、東京本社が直ちに目を通す資料となるから、抜かりなくやってほしい。」

三人の一人一人にメッセージを送った鶴矢先輩の心遣いに感謝しながら、わたくしも初めてのフランス行きに胸をときめかせ、責任を果たすことを決意しました。

ロンドンのヒースロー空港からパリのオルリー空港へ、一時間二十分のフライトをブリティッシュ・エアウェイズで飛んだのち、オルリーでわたしたち三人を迎えたのは、北原鴎外さんでした。

北原さんは一年前までロンドン・オフィスで働いていましたが、フランス人のドミニク・カペーと結婚したため、パリへ引っ越したのです。

ドミニクがパリでブティックを経営しているので、二人はパリで生活するのがベストであると判断しました。引き続き、北原さんはわが社のパリ駐在の契約社員として働く立場を持ちつつ、ドミニクの仕事を手伝うことにしたのです。

「やあ、お久しぶりですね、岩倉さん。お元気で何よりです。ドミニクはお店の方を離れられないので、わたし一人でお迎えに上がりました。

ジェイムズ、元気かい。君とは随分、フランス語でダジャレを言い合ったね。君のは、決まっていたが、ぼくのは、切れ味が悪かった。一年前まで一緒に働いていたなんて、嘘のように早い時間の流れだ。」

「ほんとうに、あっという間の時間の流れにはびっくりです。懐かしい北原さんの顔を見ると、ダジャレを言いたくなります。」

北原さんとジェイムズの会話に、岩倉さんが割り込みました。

「北原さんの雰囲気は相変わらず、軽妙ですね。その軽い感じがちょうどフランスに会うのかもしれないなあ。

ところであなたが抜けた直後に入社してきた近松才鶴君を紹介しましょう。彼は、鶴矢支社長のご寵愛を受け、よく頑張っている優秀な青年です。お陰でこの岩倉が鶴矢さんに呼び出される回数がうんと減ったような気がします。

そうそう、近松君は、あなたの後輩にあたる慶応ボーイですよ。どうも、うちは鶴矢支社長をはじめ、慶応がのさばっていますからね。早稲田のぼくは肩身が狭いですよ。」

「初めまして。近松才鶴と言います。よろしくお願いします。北原さんは慶応ですか。嬉しいですね。何を勉強されましたか。」

「やあ、よろしく。フランス文学をやりました。フランスの女性と恋に落ちたくてね。その通りになったわけで、ドミニクとパリで暮らすという現在の状況です。」

「いいなあ。うらやましいです。パリはどうですか。何もパリのことを知らないので、いろいろ案内してください。

ルーヴル美術館にはぜひ行きたいですね。セーヌ川下りなどもいいと思いますが、どうですか。ムーランルージュのカンカン踊りも観たいなあ。」

「すべて近松君の願いは叶えてあげよう。そのほかにもいろいろあるぞ。かわいい後輩のために一肌脱ぐのが先輩の務めだ。」

ほとんどお祭り騒ぎのような会話が進行する中、比較的に、ジェイムズは冷静でした。何か今回の使命に燃えているような雰囲気が漂っていました。

「北原さん、今回、ジェイムズはパリに遊びに来たのではないことを言っておきます。

フランスの現実を正確に知りたい、ドイツと並んでEUの中核を担うフランスの本当の姿を知りたい、そのことにいろいろ協力してくださいますね。」

「ジェイムズのその真剣な姿、ロンドンで見たことはないなあ。ダジャレの二三発出そうと思っていたが、それも出なくなったよ。わかった。大いに協力しようではないか。」

空港での出会いがしらの会話がこんな調子で進んだのはいいとして、昼時でしたから、空港内のレストランで腹ごしらえをする必要性をみな感じていました。

モノップデイリーという気軽なお店に入って、山盛りのサンドウィッチを注文し、それをみんなで取り分けて昼食の時間を過ごしました。

お昼を取りながら、鶴矢支社長から頼まれたことを、北原さんがわたしたちに伝えてきました。

パリのホテルは、数はたくさんあるが、観光客目当てで、概して値段が高いので、安目でロケーションのよいホテルを探してほしいと連絡を受けたそうで、「アーバンビバークホテル」というホテルを予約したということでした。そこでこれから一週間を過ごすことになります。

まずは、宿泊ホテルへと向かい、ドミニクが愛用しているというルノーのタリスマンに乗り込んだわたしたちは、車窓からパリ市街地の移り行く光景を見つめながら、いくつか北原さんに質問をしました。

口火を切ったのは、北原さんと無二の親友であるアメリカ人のジェイムズです。

「北原さん、フランスの移民に関する情報をいろいろ教えてほしいですね。ぼくは、父の仕事の関係で、日本で十六歳まで過ごした経験から、異国生活が身についています。

衣食住に関してはまるで日本人ですからね。ラーメンも餃子もお寿司も納豆もぼくの食生活には欠かせません。

アメリカに戻って、ニューヨーク大学で国際ビジネスを学んだのをきっかけに、中東に関心を持つようになった。やはり異国がぼくを呼ぶんです。

それで、カイロ大学に入ったわけですが、どうしても、日本での十六歳までの生活体験が、日本を異国としてではなく、母国のように感じさせる原体験が染みついて、「三丸菱友商事」に就職してしまったという話は、北原さんに以前、話した通りです。

今ぼくが気になっていることは、カイロで見たクフ王のピラミッドと大阪の堺市にある仁徳天皇陵の巨大古墳が、ぼくの頭の中でなぜか分からないが、激しくドッキングして一つになるのです。

その巨大さもさることながら、何か共通する神秘的なものがあるんじゃないかという気がして。」

ジェイムズの話を聞きながら、一体、彼は何を話そうとしているのか、わたくしは想像もつきませんでしたが、そのことについて、後で彼に聞いてみたところ、どうも、太陽信仰の祭祀に関する共通性が、エジプトと日本にはありそうだという直観が働いているというものでした。

すなわち、エジプトも日本も太陽信仰、そして巨大墳墓で深く結びついているというのです。

仁徳天皇の前方後円墳の前方部のあたりで太陽崇拝の儀式がもたれていたのではないかというのが彼の考えです。天皇は太陽の御子であるという考えです。

ピラミッドもいろいろな機能があっただろうが、やはり太陽信仰の一つのかたちがピラミッドに凝縮されているとジェイムズは語りました。

この度のフランス訪問では、ジェイムズ・アンダーソンの特質と言ってもよい彼の優れた直観によって導かれ、少なからぬ実績が生まれそうだというわけの分からない期待感が、わたくしの中で高まりました。

ホテルに着いて荷物を置いたのち、午後の時間がたっぷりあったので、北原さんはわたくしたちをエッフェル塔に連れて行きました。

エッフェル塔は観光客でごった返ししていましたが、エッフェル塔からの眺望、とりわけ、シャン・ド・マルス公園を見下ろした景観はその緑の幾何学的な庭園が美しく、素晴らしいものがありました。

そのあと、北原さんがよく利用するというシャンゼリゼ通りのカフェに行って、カフェを飲みながら、揺れ動くフランス政治の現状を、北原さんから直接聞くことができて、一応のフランスの政治の概略を掴むことができたと言ってよいでしょう。

北原さんの話によれば、およそ以下のような内容になると思います。

フランスは、一七八九年のフランス革命以降、政治のスタイルにおいて幾多の混迷する状況を経てきたということです。

さすがは、フランス文学を大学時代に学んだだけあって、フランスの歴史にも造詣が深く、フランス革命以降のフランス政体の変遷をすらすらと語ってくれました。

一七八九年のフランス革命でブルボン王朝が倒れ、第一共和政を採ったこと、その後、ナポレオンが終身統領となって、第一帝政が敷かれたこと、さらにナポレオンのエルバ島への流罪の後、ブルボン朝の復活、一八三〇年の七月革命による七月王政、一八四八年二月革命による第二共和政、そしてルイ=ナポレオンによる第二帝政への揺り戻し、一八七〇年の普仏戦争による第三共和政の発足、この体制が一八七〇年から一九四〇年までと比較的に長く続いたということです。

第二次大戦中は、ド=ゴールが自由フランス政府をロンドンに構え、ヒットラーに対するレジスタンス活動を展開、そして戦後は、一九四六年から第四共和政を実施して、一九五八年にド=ゴールが第五共和制を発足させました。

現在は第五共和制の中にあります。ここまで、一気に立て板に水の勢いで北原さんはフランス政治の歴史的経緯を語り切りました。

この第五共和政時代、すなわち、ド=ゴールの決断が、フランスの自立性、ひいては欧州大陸の自立性であり、この考えが一番の根底にあってEUが誕生したという解説を北原さんは力説しました。

ド=ゴールへの見方はいろいろあるだろうが、結果的に、英米に寄り添うことを嫌ったド=ゴールの考えが、EU成立の出発点となっているというものでした。

ド=ゴールなくして、EUなしというところでしょうか。このド=ゴール主義を裏側から見れば、英国と米国にとって、フランスはしばしば何とも煙たい存在になると言えるような側面があるということです。

早稲田大学で、フランス政治を研究した岩倉さんは、北原さんの話に耳を傾けながら、フランスの近現代史の政治的変遷をコンパクトに流暢に解説した北原さんの頭脳の明晰さに驚きました。

萩原朔太郎の「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背廣をきて きままなる旅にいでてみん」という言葉とは反対に、フランスに来て、フランスの女性を娶り、フランスの首都パリで、フランスを直に見ながら生活している幸運に恵まれた北原さんは、贅沢な奴だという思いに駆られました。

このような歴史の流れを見ても分かるように、フランスは絶えず変化し、右顧左眄の激しいお国柄であるという北原さんの話は、よく分かりましたが、そういうフランス政治であることを踏まえたうえで、フランスの持つ中央集権制の強さというものが伝統的にあるという見方を、北原さんは示しました。

フランスには「国立行政学院(ENA)」があり、ここの卒業生が州や県の知事になり、中央とも関係が深いので、英米などと違い、中央の権限が強くなっているそうです。

中国やロシアほどではなくても、民主体制の西側では、どちらかと言えば、フランスは中央集権的であると言わざるを得ないと語りました。

フランスでは、中央の政治を司るエリート官僚の力が非常に強いということです。

もし、ここにフランスの新しい風があるとすれば、それはこれまでの右や左の既成政党の枠を突き破ろうとする勢力が台頭しているということです。

ほとんどのメディアが、超右翼であると叩いているものの、国民の支持を確実に伸ばしてきている「国民戦線(FN)」の動向が気になると言い、この政党の掲げる「反EU」「移民の排斥」は過激な主張のように見えるが、国民の多くがそれを支持する傾向があるという背景から、この政党の行方には目が離せないと語りました。

鶴矢先輩の語った、フランスが気になるという言葉は、まさにフランスのこの動きを指しているのは明らかでした。

万が一、次の大統領選挙で「国民戦線」が勝利することになれば、そして、英国に続いて、フランスもEU離脱を選択するという事態が起きれば、そのとき、EUは完全に崩壊する運命に晒されます。

この事態が起きるのを恐れて、必死に「国民戦線」の増長を抑えにかかっているのがフランスのメディアであると、北原さんは語ったのです。

EUに不満を持つフランス国民が多いというのでしょうか。流入する移民と彼らが引き起こすテロを絶対に阻止すべしという多くの国民の思いが、「国民戦線」への期待を膨らませているというのでしょうか。

フランス政治は今、大変な危機に立たされており、適切に決定すべき事柄を決定できないならば、ますます混迷を深めるばかりで、先が見えなくなるでしょう。わたくしはそのような思いを強くしたのです。

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