どうか私に何も奪わせないでと願いながら、私自身は容易に奪わせている

 深い悲しみを抱えながら、それを陽に転じていこうともがいている人たちに強く惹かれる。
 あまりにもうつくしすぎて、自分だけを満たすために生きている私なぞは、軽い気持ちで触れてはいけないような気持ちになる。奪ってしまうのではないかと、怖くなる。
 それでも触れてみたくて、どうか私に何も奪わせないでと願いながら手を伸ばす。

 私に何も奪わせないでくれる人になら、安心して甘えることができる。自分の欲望は何だって叶えてあげたいけど、相手が心から与えたいと思ってくれたものでなければ嫌だ。

 そんなことを言っている私自身は、容易に人に奪わせている気がする。自分の不快感や違和感に鈍いのだ。一瞬、抵抗を感じても、言い訳をしたり理屈をこねくり回したりして、「まあ、いっか」とかんたんに明け渡してしまう。
 軽くいて生きるようでいて、その実、自分の心と向き合う面倒を避けているだけなのかもしれない。

 相手に奪わせることをやめない限り、相手に本当の意味での安心感を与えることはできないと思う。「相手も奪わせてしまう人なのではないか」と考えてしまって、相手のことも信頼することができない。
「まあ、いっか」は魔法の言葉だと思っていたけれど、どうやら使う場面によって危険な言葉にもなるらしい。

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