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お金と世界と感情麻痺

 私のお金の使い方は、「自分がどういう世界に生きたいのか」から組み立てている。そして私は今「あなたが好き」とっていう気持ちでお金を流せる世界を求めているから、お金を払う時に対価や見返りのことはあまり考えていなくて。

「この人が何を考えていてるのか知りたい」
「この人のやりたいことを応援したい」
 という気持ちだけで、あまり何も考えずにお金を出す。
 もちろん、商品やサービスそれ自体に価値を感じていることもあるけど、金額に見合う対価(これはあってないようなものだと思っている)を求めない使い方もするのです。

 あと、これまでにやったことのないお金の使い方(たとえば、何の役にも立たないものに使ってみるとか)をする時は、同時にお金の入り方を増やしているイメージでやってる。

 大切にしているのはお金を使う時の気持ち。適当にばら撒くのではなくて、自分で心地よいと感じられる形で使うようにしている。
 たとえば、買った(申し込んだ)瞬間に、興奮して「キャー♡」って叫びたくなるような感じとか。
 心地よいの中には「楽」も含まれている。さらさらと水のように流している時もある。これは「無駄遣いかな?」とか「損してないかな?」とかいう余計な考えが入り込まないから気持ちがいい。

 私は現在、貯金を切り崩して生活をしている状態だけど、金遣いは荒い方だと思う。節約はほとんどしない。
 むしろ、これからもっと使っていこうと考えているくらい。 
 自分磨きとかそういう意味ではなく、自分を悦ばせるという意味で自分にお金をかけまくってみて、それで現実やお金の流れがどう変わるかの実験をしているところ。
 まだ収入として流れ込んでくることは少ないけれど、なんだかんだで人からもらったりしているから、今のところお金に困ってはいない。
 収入源が得られないまま貯金が尽きてしまう可能性もあるけど、ふつう(私にとっての)の使い方をしていてもいつかはなくなるから、それならふつうでない使い方をして、しかも思いきりやってなくなった方が後悔しないなと。

 正直、お金の生かし方はまだまだ下手だと思う。それは私が私の悦びポイントをあまり知らないことに起因している。
 自分の感情や気持ちに鈍感すぎて、たまに悲しくなる。何をしたら楽しめるのか、そもそもいま本当に楽しんでいるのか、わからなくなることが多々ある。相手に笑いかけながら、心から喜んでいるのか、それとも喜んでいるのふりをしているのかを考えていたり。

 昔、心に何の反応も起こらなくなった時期があった。デートをしても友だちと遊んでも何が楽しいのかわからなくて、だけど「楽しまなくちゃ(楽しませなくちゃ)」という想いがあったから、無理やり感情表現をしていた。今、自分の感情に対して鈍いのは、その時の後遺症みたいなものだと思っている。

とっさの反応に嘘が多すぎて、自分自身が騙されてしまう。
余計なものぜんぶ剥いでしまって、純度を高めたい。
私が何をどう感じているのかに耳を傾けてあげたい。私の目に映る世界を正確に感じ取ってあげたい。

 自分の純度が高くなれば、もっとお金を生かせるようになるだろうし、そうなったらもっともっと流れがよくなると思うの。
 

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