月になった恋人

  近くの公園に半分を鉄板に覆われた球状の電灯がある。それは見る角度によって月のように満ち欠けする。
 それと同じように、人間の頭も髪型によっては月に見えなくもないはずだ。 

 だからーー

 と、あくまでも彼は「自分は月なんだ」と言い張った。天井から吊るした透明のモビール糸に、頭部だけをぶら下げた状態で。

 三日前に彼が突然、この姿を取るようになってから、私は泣いたり怒ったり諭そうとしたり、ありとあらゆる方法で元に戻そうと試みたけれど、どうやら彼は本気で自分のことを月だと思い込んでいるらしく、すべてが徒労に終わってしまった。

「もうこんな人とは別れてやる!」

 そう感じたのは一度や二度ではない。しかし、彼の誤りを正してあげられるのは私しかいないと思うと、簡単に見捨てることなどできなかった。

 それからさらに三日間、彼を説得する日々が続いた。そして、今日もまた新しい作戦を立てて私は彼の自宅アパートへと向かった。

 部屋につくと、やはり彼はまだ月のままだった。

「ご飯持ってきたよ。今日はあなたの好きなチーズ入りオムライス」
「いらないって言ってるだろ。内臓がないのに食べても無駄だ」
「だったら、身体をつなげればいいじゃない」

 部屋の隅に無造作に捨て置かれた彼の胴体を視界の端で捉えながら、私は言った。

「なあ、俺たち別れようか」

 思いもよらない一言に、一瞬、頭の中が真っ白に飛んだ。次いで、足下の地面が瓦解していくような、懐かしい感覚が私の全身を駆けめぐった。

「別れるって、どうして……」

 私は彼の頭部の、ギリギリ手の届く顎のあたりに指先で触れた。彼は不快そうに頭を跳ねさせて、私の指から逃れようとした。そのときに生まれたエネルギーは当然すぐには収まらず、彼は振り子のように左右に激しく揺れはじめた。
 その動きがあまりに不気味で、私はここ数日間彼に見せないようにしてきた恐怖心を抑えきれなくなってしまった。

 我慢できずに後退る私を、彼は揺れたままの状態で器用に目玉だけを動かして冷徹に見据えた。

「君のその、自分がすべて正しくて、いつかそれを俺にわからせるのが自分の使命だと思い込んでいるようなところが、前から大嫌いだったんだ」

 動悸と吐き気で今にもうずくまりそうになっていた私は、それを聞いた瞬間、彼が突然月の真似事をはじめた意味を理解した。

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