「愛咬(あいこう)」と呼ぶにはあまりにも

 最近、加藤元さんの『山姫抄(さんきしょう)』という小説を読んだ。

 とても一言で語れる作品ではないのだけれど、ごく手短に説明すると、血統に翻弄される男女の物語である。そこに精神病的な要素と「山姫伝説」という民俗学的な要素とが加わって、なんとも言えない不可思議な世界観を作り出している。

 作中に出てくる登場人物の中でもとりわけ私が魅力を感じたのは、妻が失踪中にも関わらず主人公の一花(いちか)を家に招いて同棲生活を始めてしまう問題児・林田智顕(はやしだ・ともあき)である。

 周りの者から「ブレーキが利かない」と評される彼は、実際どこか壊れた部分があって、ふとした拍子にそれが顔を出す。

 その中でも特に印象的だったのが、酔いつぶれた智顕が一花を乱暴に犯す場面。男の嗜虐的な振る舞いに耐える一花に自分を重ねながら、背筋をぞくりと舐められる感覚に鳥肌が立つ。

 そこに出てきたのが「愛咬」だった。
 相手の皮膚に歯型を残す、性技の一種を示す言葉らしい。

 本文中ではこのような使われ方をしている。

 愛咬といっては当たらない。甘さなど欠片もなかった。

 一花の肌に残ったのは、甘い愛咬の跡などではなく、「所有の刻印」「飼牛に当てられる焼き鏝と同じもの」であったのだ。

 男の欲望は厄介だ。一度嵌れば底なし沼のように女を取り込んでしまうほど危険な癖に、沼を満たす水はどうしようもなく甘美な芳香を放っているのだから。

 決して巻き込まれたくはないけれど、ついうっかり触れそうになる。

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