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夢野久作『殺人リレー』オリジナル・リメイク版(後編)

 町の木がほとんど裸に剥かれる頃には、私たちはすでに内縁を結び終え、同棲生活が始まっていた。あとは結婚式を挙げるだけだ。
 朝起きてポストを探ると、新聞の他に自分宛ての手紙が一通入っていた。裏を向けて差出人の欄を確認する。東京の青バスにいる親友からだった。
 朝ご飯を並べたちゃぶ台の前に座り、手紙の封を解く。三つ折りになっていた紙を広げた。

『突然こんな話をしたらびっくりさせてしまうかもしれないけれど、もしもあなたの会社に新高竜夫という男が来たら厳重に用心しなさい。
 あの男は、東京中の運転手の中でも特別いい男だから、あなたも見ればすぐにわかると思うわ。もしかしたら、一目惚れしてしまうなんてこともあるかもしれない。でも、うっかり絆されてしまてはだめよ。
 彼、一緒に働いている女車掌を何人も何人もひっかけて内縁を結び、飽きたら片っ端から殺してどこかへ棄ててきてしまうっていう噂なの。青バスに来てからだけでも、もう何人も犠牲になっているみたい。だけど、やり方が巧妙で警察からはまだ疑われていないんですって。この話はこれまで私たち女車掌の間でだけまことしやかにささやかれていたのよ。
 でも、この頃になって警視庁が何か勘づいたのか、新高さんの周りで目を光らせ始めたの。それで、新高さんはこっそり青バスをやめてしまったのです。
 どこか田舎のバス会社にでも潜り込んだのだろうっていう話だから、あなたのいる会社へ来るようなことがあったら十分にご用心なさい。
 余計なお世話かもしれないけど、ふと心配になったものだから、こうしてお手紙を送らせてもらいました』

 信じられない気持ちで手紙を読み終えた。
 まさか、と笑い飛ばすわけにはいかなかった。
 内縁を結び終えたあたりから、竜夫さんは時々獲物を見定めるような目つきで私のことを見つめるようになった。考えすぎだと思って心の奥に仕舞い込んであったけれど、この手紙を読んだことで、気のせいではなかったのだと確信せざるを得なくなってしまったのだ。
 それに、親友はこんな質の悪い冗談を口にする人間ではない。

 すぐにでも竜夫さんを問い詰めたい気持ちを堪えて出社し、途中上の空になりながらもなんとかその日の仕事をこなした。
 夜、電気を消して、布団で横になっていた彼の隣に潜り込むと、
「何か心配事でもあるのか? 君、今日一日変だっただろ」
 彼にそう問われた。
「いいえ、ちょっと疲れていただけよ」
 一寸迷って、嘘をついた。まだ、彼に手紙を見せる決心がつかなかった。
 そうか、という彼のつぶやきとともに、耳に熱い息を感じた。肩を抱き寄せられ、半分うつ伏せになった状態で背後から首筋を舐められる。濡れた舌の先に皮ふの神経を細かく刺激されて、首から背中にかけてに鳥肌の立つ感じがした。 
 彼の手が私のシュミーズの上を蛇のように這い始める。それは脇腹のあたりから胸元の際を通り過ぎ、鎖骨をなぞりながら首元へと上がっていく。
 片方の手で、首元を軽く掴まれた。
 一瞬、恐怖に心を支配された。怖ろしいはずなのに、このまま絞め殺されてしまいたいという気持ちが、私の中の暗闇から煙のように漂ってきた。

 乱れた呼吸が整い始めたころ、裸のまま私の髪を撫でていた竜夫さんが、「なあ、お前ほんとは俺に何か隠しているだろう」とささやいた。
 答えに詰まると、「やっぱりな。何だ、言ってみろ」と、彼はまた優しく手櫛を髪に通した。
 私はやっと心を決めて、枕元の小物入れに隠してあった手紙を差し出した。
 竜夫さんは受け取った紙を広げ、手元の照明のところへ持っていく。読み始めてすぐ、彼の顔に険しい表情が浮かんだ。
 心臓の鼓動が速くなる。
 最後まで目を通すと、彼は切っ先のように鋭利な瞳で、
「馬鹿だな、お前は。こんなことを人にしゃべったら承知しねえからな」
 と凄みのある声で言い、私の頬に手を当て、親指で唇をなぞった。
 私は心底怖くなって、身体の震えが止まらなくなった。
「ごめんなさい」
 声を出したら、堪えていた涙がこぼれてしまった。
 竜夫さんは、途端に優しい表情に戻って、
「大丈夫、お前を殺そうなんて思ってないよ。こんな手紙を本当にするやつなんかいるか」
 と私の背中をそっと撫でてくれた。
 彼の声が残した甘い余韻と、肌の上を行き来する手の冷たさを感じながら、私はきっと本当に彼に殺されてしまうのだろうと思った。
 だけど、耳元で「こんな話を信じるなんて、お前は本当に可愛いやつだな」などと耳打ちされると、彼を求める気持ちが込み上げてきて、なんだかもうこのまま殺されてしまってもいいような気がした。
 さっき彼に絞められた場所へ手を持っていき、指先で軽く触れる。いつか来るかもしれないその時のことを思うと、身体の奥に埋め込んだ糸を引っ張られたように、下腹部が鋭く疼いた。

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