村での孤立

 長女は小学一年生の時に転校という形で村に来たが、同時に長男は村の保育園(幼稚園は無い)に通うことになった。

 保育園に通い始めた初日。初めてなので私が連れて行った。そしたらそこのベテラン保育士に、「ここは東京の幼稚園じゃないんだから親とは来ないでください。ひとりで来るんだよ。」会ったばかりの先生の怒った顔を見て長男は怯えた。周りはみな幼い時からの顔見知りばかりなのでさっそく孤立し始めた。「男なんだから泣くな。」私からするとショックな言葉かけばかりだった。次男も同様だった。

 友達が欲しい時期なのに同級生どうしの自宅が遠く、車で送らなくては行けない現実があった。4番目の赤ちゃんの世話をしてから慌てて送っていった時、そこのおばあちゃんに、「今頃送って来ても遅いよ。」と言われ都会のように公園で子供同士が自由に遊ぶのではなく、家どうしのつながりが子供の交際にも影響するようだった。お姉ちゃんのこともあり次第に我が家と遊ぶ子供は居なくなっていった。

 そんな長男も小学校に上がってしばらくしたころ行きたくないと言い出した。その頃の私は何とか学校に行くべきだと先生と連携をして何とか戻すことに成功し,これで良かったと思い込んでいた。しかしある時、学校から帰ってくるなりこたつに潜り込んで泣いていた。理由は何も話してくれなかった。今思うと親と先生が連携していたので、自分の味方ではないと心を閉ざしてしまったのだと思う。本当に子供には申し訳ない親だった。

 結論からすると、どんなに田舎で少人数の学校でも先生や周りの大人は東京の小学校よりも差別的で考え方が私からすると古いと感じる。東京から来たよそ者であり、その部落になんの縁もつながりもない家族が越してきたのだから怪訝な目で見られても仕方ないのかもしれないが、同じくらいの年齢いやもっと若い保護者なのに自分の親世代くらいの感覚のギャップを感じた。

  東京に居たとき、主人の職場が野辺山天文台に転勤が決まった頃は天文台の官舎が空いておらず単身赴任を勧められた。長女が生まれ助産院にいたときに出向が決まり単身赴任をすでに経験していたが、今回は引っ越す理由が仕事だけではなかったので、あれこれ探して隣村の村営住宅に入ったという経緯がある。あの時しばらく単身赴任をしてもらい、空いてから官舎にはいれば村自体違っていたのだが、このようになるなんて予想もできなかった。

  野辺山にきてからこれ以上の転勤はないと知っていた。すでに4人の子供がいるので村営住宅は狭いしあくまで仮の住まいだ。かといって官舎も同じくらいの広さなので自宅を建てようと主人と話して決めた。 

 今の子供たちの状態をみて皆すごいね、どう育てたの?と聞かれるがこのころは全く真逆で、親があんなだからああなった、お先真っ暗だと言われたものだ。次回は山梨の事を書こうと思う。

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