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誰の言葉を聞きたいと願うのか

身の回りには「言葉」があふれています。

情報と呼ばれるこころが内在するもの
常報として垂れ流されるもの

読み手の基礎知識や経験によって


宝石だと思って手にしたものはゴミであり
ゴミだとして目線すら送らなかったものが宝であったり

言葉に価値を見出すのは発信したものの価値や内容ではなく
受け取り手の中にひらめいたインスピレーションなのでしょう。

発信者の真意とは別の感性を受け取ってもいいですね。
バタフライエフェクトやシナジーと同様に
道筋や関連性など多くの揺らぎに過ぎません。

より良い情報を手にするためには・・・


聞き手である自身を育てていかなくてはなりませんね。
育てるためには・・・
安易に情報の論拠を求めないことが重要なのだと思います。

論拠が正しいとしても、正しいからこそ
受け取った情報を、ただ飲み込むだけではもったいないのです。

食事でも消化しやすい状態まで誰かに噛んでもらって飲み込むわけではありませんよね?自身で噛んで、消化吸収をして、飲み込んで細胞に摂り込みますよね?情報も、そうでありたいと思います。


どこからの情報なのか
誰からの情報なのか
いつの情報なのか

重要な評価基準はたくさんあります。

しかし、どれだけ信頼のできる内容であったとしても
一旦は自身の感性と印象によって咀嚼してみると
ファーストインプレッションとは違う味が出てくるのかも知れませんね。

情報も味ではなく、味わうという行為が大事だと思います。


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