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野球指導を始めたきっかけ(終)

前回の続き

いよいよ夢のプロ野球。高校3年の1月から神戸に引っ越し始まった。

右も左も分からず、同期の人らと合同自主トレ。みんな優しくて居心地が良かったのをよく覚えている。

2月1日から初めてのキャンプだっ。いろんな選手がいて緊張しまっていた。そして、僕は高卒で自信はあったが一瞬で自信喪失した。

もちろん技術もそうだし、プレーは当たり前のことをされているがそれがまたプレーの、質が高かったのだ。

守備なんて捕球なんて無駄がない、そしてスローイングの安定感。カットプレー。さまざまなプレーに衝撃を受けた。

バッティング練習も、とんでもない打球ばかり、人それぞれ考えている事が違う事がわかるくらい考えて練習していることが分かった。

そして、コーチの方たちにはたくさんアドバイスをもらい練習に付き合ってもらった。朝から晩まで練習してきて自身もある程度ついてきた。1年目は、2軍で終わり。2年目は2軍でたくさん試合に出させていただき、1軍公式戦残り2試合で初の1軍昇格を果たした。

さっそく2番セカンドで出場。試合前は、かなり緊張していた。いざ、試合が始まると緊張はそこまでなかった。初打席のピッチャーは楽天の則本選手だった。この日は、ノーヒットで終わりあっという間だった。次の日さすがにスタメンはないなと思っていたがまた、チャンスをもらいスタメンだった。そして最終戦で初ヒット、初打点、初盗塁で2年目を終えた。消化ゲームではあるが自分にとってかけがえのない経験になった。そして、1軍の雰囲気、試合でのファンの方からの応援またここで野球がしたいと思い過ごしていきます。

3年目、4年目、5年目とここから1軍に昇格はしてはいたが試合で起用されるのは数十試合だった。

5年目が終わると、戦力外通行を受けた。

そこから社会人野球でプレーを続けることになり、好きな野球で生活がまだできるようになった。

ここから、僕の考え方というものが変わった。

まず、プロでまだやれるという思いから、仲良かった選手達が活躍している姿が嬉しかった反面、嫉妬していた僕がいた。

ここで、なぜダメだったのが考えるようになり、大事なことに気づいた。

それは、練習は確かに頑張ったけど考えて練習は出来ていなかった。もちろん試合もだ。具体的な課題を持って練習に入り、具体的な考えをもち試合にに望んだりしていなかった。今思うともったいない時間だったなと、強く感じている。

なんとなく、練習して今日は良かった、悪かったでやっていた。これじゃ毎日同じことの繰り返しだし時間は返ってこない。もっと意味ある時間にしないと考えて出来ている人との差は、広がるばかりだ。

僕は、プロ退団後に気づけた。しかし、これが大学生、高校生、中学生、小学生このどこかで気づくことができれば間違いなく、プレーヤーとしてのレベルが上がる。

僕の後悔を今の野球選手達にしてほしくない。

もちろん技術的なことは教える。その中でたくさん会話をして、なんでこれをするのか、今日は何を課題になるのかを明確にして一緒に取り組んで、上手くなってもらいたいと願ってる。

学生に伝えて理解してもらうには、難しいと思うが1人でも多くの子達に伝えて行けるようにする。

そして、僕の持つ知識を全部子供達に教えていきたい。

これが指導者になったきっかけでした。

僕の好きな言葉は、「人生一度きり」

1回しかない人生に後悔ないように。

一緒に上手くなろう。


堤裕貴


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