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シンプルに生きたい私の断捨離考

いろいろな方の捨て活についての記事を拝読して、私も少し自分の考えやルールについて書きたくなった。



・残していいもの、家に入れていいもの

「手元に置いておきたいほど好き、見ると気分が良くなる」とか
「これを着ることで気持ちがしゃんとする、楽しくなる」とか
一番大事なことは心地よさだと思う。
わぁ、かわいい。と、なんとなく買うのではなくて、「こっちがあればあれとあれを手放せるな」「気分が上がって楽しく過ごせるな」と考える。
好きなものは好きとして、自分によい影響や結果をもたらすものを呼び込むようにする。

そして何でもかんでも手放さなくたっていい。特に、自分にとっては不要だけど、家族にとって大切な収集物の類。本人のQOLが上がっているなら良しとする。家族を無理に巻き込まない寛容さは残しておきたい。(規模にもよるが)


・手放しかた

自分にとって要らないものを他人にあげない(押し付けない)。これは重要な考え方だと思っている。
私のモノの減らし方と同じシステムを取られていたのがこちら。一時置きの箱を作るのは、溜まったら売りに行くから。壊れているとか傷んでいて売れないようなものはすぐにゴミ箱へ。フリマサイトで売るのは結局在庫として管理したり発送の手間がかかるので却下だ。手放し方はシンプルな方がいい。

中古品のお店に売れば幾許かにはなるので、まとまった金額になれば保護猫の活動をしている団体に寄付している。念の為書き添えておくと基本的には大した金額にはならないし、そう思っているくらいでちょうどいい。引き取ってもらえてラッキー、くらいに構えていれば己の持ち込んだモノがジャンク扱いされても気にならない。買取金額が気に入らないと思うならそれが手放すべき「期待」であり「執着」だ。(これが「離」にあたる)

それから一度に全部やろうとしないこと。見つけた都度、一時置き場に「ありがとう」と入れればいい。一度に全部出して判断しようとすると脳が疲れてしまう。スイッチが入っているならそれもいいかもしれないが、日々周りを見て少しずつ余裕をもってするほうが私には合っている。

・執着、思い込みを手放す

卒業アルバムを捨てた。ぎょっとされるかもしれない。みんな取っているものだ。でも卒業証書や在学証明書ならいざ知らず、卒業アルバムは何の役に立つのか私にはわからない。親族の自己満足で取らされた成人式の前撮り写真もそうだ。私には気に入っている写真は一枚もない。大学の卒業アルバムは欲しい人が買うシステムだったので買わなかった。
皆持っておくものだとか、思い出だとか、そういう一般論や情緒的な理由を排した時に、必要性が感じられなかった。卒業証書の大仰な台紙やケースも捨てて、資格系の証書とあわせて全部まとめてクリアケースに入れた。随分さっぱりしたものである。
「これは誰々が何々の記念にくれたもの」そういう類もセンスが合わない・使い勝手が悪いものは売ったり捨てたりした。「あの時あの人が祝ってくれたな」という思い出だけあれば充分である。

余談ではあるがバンギャル(ヴィジュアル系ファン)であるところの私の話でいくと、「もらって困るもの」第一位がステージドリンクのペットボトルだった。(コロナ以前)こればかりは飛んで来たら思わず取ってしまうので、「日付と会場、バンドマンの名前」を書いて写真に撮り、捨てていた。サインボールも捨てた。ピックはかろうじて取ってある。(今のところ)

閑話休題、自分の生活環境を整えるということは終わりのないテーマではあるが、それをやろうと思い至った時点で前向きに動き出している。私はストレスが溜まって発作的に捨て始めることが多いが、まずは①考え方を変える事②少しずつ積み重ねる事、そしてそれを③継続することが肝要だと思っている。いきなり全部捨てて突然何かがすごくよくなるようなものではない。私にとってはこれらを追求することで「足るを知る」、「余白の美」を追求する、余裕を設けておくことで新しいものを受け入れる準備をしている、と考えている。

この記事が少しでもあなたの役に立てば何よりだ。


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