気軽にはダイバーシティを語れないと、私は思う
ダイバーシティは「沼」だと思う
近年の社会的な「ダイバーシティ」推しの流れに、なんとなく違和感を覚えていました。
「ちょっと、表面的すぎない?」みたいな。
企業で、ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョンが標準化していますが、はたしてどこまでこの世界の奥まで知っているのでしょう?
この作品は本で読んでいて、映画でも観ました。
私としては、「そうだよな」という納得感です。
これまで人にはあまり言えなかった違和感が、この作品が語ってくれたような気になったんです。
観た人のとらえ方は色々でしょうが、ダイバーシティって本当に深い「沼」のようなものだと私は思ってます。
奥に進めば進むほど、その先にも闇が続いている。そんな世界のように思います。
だから、あまりに光を当てすぎない方が良いと、思っているんです。
組織開発でも、私が気軽にダイバーシティを語らない理由
そして、それを同じようなイメージで理解している人ほど「ダイバーシティが正義だ」とは言えないんじゃないかな、と思うのです。
当事者とか、その深さをわかっている人ほど、この時代は「沈黙」しているのではないか、と。
この作品は、ちゃんと一般の人も観られる体裁になってますし、でも原作の大切な部分は丁寧に残されています。
ダイバーシティ推進をしている人が、この映画を見て「理解できない」と言えば、私ならその人のことを信用できないです。
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