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ヒトリバールバンコデビュー、フィレンツェ

ツレが仕事のため、分かれてひとりで動く日。
珈琲屋にリモートでできる仕事など無いので、ただ街を徘徊する以外にやることはない。 
 
誰かと一緒に旅するのはとても楽しくて、有意義で、安心する。
口に出して感情を表すことはけっこう大切で、嬉しいときはもっと嬉しくなるし、ショッキングなことがあったときは少し冷静に、落ち着ける。
ひとりだと一皿分しか食べられないパスタを二皿分食べられる(味わえる)から、それだけで二倍の経験になってそれはもう人生単位で考えたらなかなかすごい違いかもしれない。
  
それでも。
それでもひとりにはひとりの、ひとりでしか得られない醍醐味があるのもまた確かで、私はそっちの欲も強いのだと思う。
旅先の馴染みのない空間に、突如自分で自分を放り出す。
例えば自分の足にペンキがついて足跡がずっと残り続けたら、それを自分で見返したら、たとえそれが何年後だったとしても、その時の記憶が克明に蘇るだろうな、と夢想する。
歩幅が大きければ、きっと良いバールを出た後で高揚しているかトイレに行きたくて急いでいる。お店の前でうろちょろしていたら、きっと入ろうかどうしようかと迷っている。足跡からムクムクと浮かび上がる自分の影。身体の内に心を宿しているのではなくて、身体が心を纏ってしまっている。短絡的で滑稽な自分を直視する。
建物一階の閉店中の窓ガラスに、フィレンツェをひとりで歩く自分が映る。その滑稽さ、おかしみを残したくて、恥ずかしげもなくその全身を一枚、自撮りした。そんなことができてしまう恥ずかしさこそが、醍醐味なんだ。

何をしようか。
まず、静かな場所に行きたい。イタリアは日本のカフェのような、腰を落ち着けて静かにコーヒーを飲める場所が意外とない。少なくとも私は本当に見つけられなかった。どこのバールでもバリスタとお客さんがウオーウオーとおしゃべりに興じている。私からしたら「そんな大声出さんでも聞こえるでしょうよ…」というくらいの大声で。
とにかく静かに読書ができるような場所を欲している。

まず図書館に向かう。前日に寄ったときは15時過ぎていてほぼ閲覧室が満席だった。それであれば午前中に行けば空いているだろう。
朝食がまだなのでバールにも寄ることにした。あわよくばエスプレッソとブリオッシュをバンコで頂きたい。
図書館までの道すがら、観光客の多そうなエリアから少し外れて、一軒のバールを見つけた。
ガラス越しに中を覗くと、数人の先客がいて、さらに地元民らしき人たちが出入りしている。
一度、通り過ぎる。通り過ぎて歩きながら、入ろうかどうしようかと吟味する。
そのまま図書館の方向に舵を切ってしまおうか、とも思ったが、せっかくひとりでイタリアの街を歩いているのだからバールにも行きたい、行かなかったら後悔する、とただ一軒のバールに入るだけで人生の大きな岐路に立ったかのような決断をくだす錯覚に陥っている自分の面白さに気づいて苦笑した。
そして意を決して踵を返し、頭の中では「もう一回前を通り過ぎてみよう」と脳内でひとり、謎の「保険」をかけながら歩を進める。
しかしお店からちょうど3人のお客さんが出てきて、これはちょうどいい!とよくわからない勢いを得て思い切ってガラス扉を開ける。
  
中にはお客さんが3人。学生風の女性2人と50代くらいの男性。バリスタは60代くらいの男性。
まだ勝手がわからない私は、ひとまずボンジョルノ、と声をかけるがバリスタ男性には聞こえなかったのか無視されたのか、反応がない。
少しカウンター前に佇む。
するともう一人の男性が後ろからカウンター内に入っていき、バリスタ男性と言葉を交わしてから私の前に来てくれる。
心の中でひとまず安堵しつつ、挨拶をしてからウノカッフェ(エスプレッソひとつ)、ウノブリオッシュ(クロワッサンひとつ)、ペルファボーレ(お願いします)、となんとか注文する。
おお言えたな、よくやった、みたいな少し優しい表情をしてその男性スタッフはSi(了解)、と言いつつクロワッサンをショーケースから紙ナプキンでさっと取り出してそのまま私に渡してくれる。
その後バリスタ男性にオーダーを通して、なるほど、ここはそういうシステムか、と腑に落ちる。
バンコ前に立って30秒くらいすると、バリスタ男性から流れるようにエスプレッソが私の前に着地した。
グラーッツィエ(ありがとう)。プレーゴー(どういたしまして)。

手にはクロワッサン、カウンター上にエスプレッソ。
私は変わらず、バンコに佇んでいるはずだった。しかしどこかふわふわしていて、地に足がついていないような感覚だった。私のオーダーを無事遂行し終えた店内は、また私がいないいつも通りの、日常の時間が流れていて、バリスタはカッフェを淹れて、お客さんはカッフェを飲んでおしゃべりしていた。私はもちろんよそ者で、ここにいるはずのない人間だった。それはイコールここにいてはいけない、と脳内で変換される。

ふと、私の正面、カウンター内の壁に目をやると鏡になっていた。
そこには、私がいた。
さっき窓ガラスに映っていた自分と同じ姿があって、他の人たちと何も変わらぬ様子でちゃんとそこに立って、自分の時間を過ごしていた。それはつまり、男性バリスタがカッフェを淹れるように、お客さんがおしゃべりするように、男性スタッフが離れたところで誰かのお会計をするように。
なんだ、けっこう普通じゃん。
瞬間、浮かんでいた足が地上に着いて重力をしっかりと感じられた。
ああ、自分はひとりでイタリアのバールにいて、バンコで立ち飲みをしているのだ。ただそれだけだ。
(後ほどツレに鏡の話をしたら、バリスタが振り返らなくてもお客さんの様子を見られるようにあるんだね、と言われた。なるほど、エスプレッソマシンが壁側に設置してあるお店には鏡があるのかもしれない!)

地上に降り立ってもやっぱり鏡に映るその姿は可笑しくて、本当はここでも自撮りをしてしまいたかったけど、そこまで無粋なことはできない。
最高の気分でカッフェをいただいて、バリスタにボンジョルノ!(さようなら!)と呼びかけながら背を向けて歩き出した。
すると終始むっつりしていたバリスタから、〜〜〜〜!と何かしらの言葉が私に向けて発されたのがわかった。意味はわからなかったけど、どうもありがとうね!みたいなことだろう、勝手にそれだけですべて救われた気がした。
会計を終えてここを出てしばらくは、私の足跡は存分に大きかったと思う。

(冒頭の写真に限らずバンコでのコーヒー写真はササッと撮るのでブレたりボケたりズレたり変な写真ばかり、でもそれがいい、それでいい)

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