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良い変化でも新しい景色は怖いもの

人生にはいろいろな区切り方があると思いますが、私にとって昨日はひとつの区切りであり、スタートでした。

変化

先日の記事にも書いたように、私は手回しロースターを購入してから日常的に焙煎の練習をして、良く焼けたものは販売する、という形を取っていました。
アカウント名だけ出して、珈琲 綴 という名前も本名も何も出していない状態での販売でした。

それが昨日、自分が開業を見据えて長年継続してきたInstagramを介しての、これから開業する店名を冠しての、販売となったわけです。
珈琲豆の販売という点では何も変わらないのですが、全然違いました。

お金を頂くことの重みなのか、金額に対する自信の無さなのか、積み上げてきたものが何かの拍子で崩れるかもしれないという恐怖なのか。

フリマアプリでの販売を決して軽くみていたわけでもなければ、安価だからと気を抜いていたわけでも決してないのですが。
頂く金額が今までと明らかに違いすぎて、それに対して何かしらの不安や恐怖を抱いていることは間違いなさそうです。
珈琲豆なので、違いといってもたかが数百円程度なのかもしれませんが…。

数少ない友人の一人はオンライン販売を始めたことに対して「おめでとう!」とメッセージをくれました。
それに対して「スタートラインに立っただけだけど、ありがとう!」と自分への戒め込みで捻くれた返信をしました。
これは良い変化なのです。
ひとつ階段を上ったということでしょう。
あるいは世の多くの飲食店を営む方々に一歩近づけたということでしょう。

「悩み」は是か、非か

それなのにやはり変化は怖いもののようです。
人間誰しも、良くも悪くも「今まで通り」が安心するんですよね。
ネガティブなことを考えやすい私の性分が一層拍車をかけているのですが、昨日は落ち着きませんでした。

オンライン販売の開始を告知してからありがたいことに早速いくつかのご連絡を頂けたのですが、その時の私は両手を挙げて「やったー!」というより「……よし。」と真顔で落ち着きなく部屋を歩き回るような。
きっと緊張ですね。
やることは同じなのですが、金額の重みや先々への影響なんかを考えて怖くなってしまったんでしょう。

ちょうど渋谷方面に用事があったので外出したのですが、用事が終わってもまっすぐ帰りたくない気分だったので、わざわざ渋谷の街中をあてもなく彷徨った挙句に代々木公園方面まで抜けてから代々木八幡駅から新宿への帰路につきました。

こういう時の渋谷は非常に助かります。
別にどこのお店でどんちゃん騒ぎをするわけでもなく、ただただ騒々しい街中をふらふら漂流するのです。
音楽を聴いたり、小説を読んだり、TVを見たりラジオを聴いたり。
人はいろいろなことを能動的にも受動的にも「する」と思いますが、そうしている間には思考が停止してその「する」ということに注力しているようです。
だから私の不安も渋谷の巨大液晶の音や行き交う多くの人々の音を耳に入れて「聞く」ことで、逆にボーッとできるんです。
合わせて、「木を隠すなら森の中」のように、誰から隠れるわけでもないのですが、自分を人混みの中に埋めて存在感を消すことで気が楽になったりします。

「悩んでしまう人は、要は暇なのだ」なんて言葉もあります。
動いて動いて頭を使い続けていれば、確かに悩む暇もなく動き続けていられるのかもしれません。
そのように動き続ければこそ、得られるものもあれば見えてくる景色もあるのでしょう。
しかし動き続けて悩まないようにするということは「考えないようにする」のと同じことで、私の場合はそれは無理です。
「暇だから悩む」のではなく「暇を作って悩んで自分を納得させる」ことの方が自分にとっては大切だと思うからです。
「悩む」ということをポジティブにとるかネガティブにとるかなのでしょう。

良い緊張感を、適度に

逆に、この緊張がゼロになるのは良くないことなのでしょう。
適度な緊張感と責任感をもって、自身も楽しみながら継続できるのが一番だと思います。
だからこそ、自家焙煎店を営んでいる先輩方はやはり凄いなあと。
この気持ちは下北沢での間借り営業と似ていました。
自分の焼いた豆を自分がその場で抽出をして提供することの緊張、ある種の恐怖や興奮もあるのでしょう。

この緊張は多少続けていけば慣れていくものなのか。
自分が見据えるところがその先にあることは間違いないので、ここは「悩むのは暇だから」側の思考をもって動き続けようと思います。

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