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水の都、ヴェネツィア

ヴェネツィアの存在を知ったのは小学生の頃。
ポケットモンスターのシリーズに、「水の都の護神 ラティオスとラティアス」という映画があって、そこで初めて現実に「水の都」というものが存在することを知った。映画自体はそこまで印象に残るものではなかったけど、「水の都」という字面は覚えている。エンタメニュースか何かで、この「水の都」は実在していて、ヴェネツィアという場所がそうらしい、ということを知った。調べてみると2002年の上映だ。もう20年前なんだなあ。
その後、ONE PIECEでも「ウォーターセブン」という水の都が現れた。こちらの方が新しいので記憶には強く残っている。街を水路がうねうねと通っていて、移動手段に車などではなく船が使われている。どうもそういう場所らしい。

12年前に訪れた時は2泊くらいしただろうか。
しかし3階くらいにあったドミトリーの同室にオーストリア人のカップルがいたことと、切り売りピザを食べ歩いたこと、ドゥオーモを見て近くのカフェフローロリアンでカフェラテを飲んだことしか覚えていない。

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅構内より街を望む

一度見ていても、やはり日本の日常とはかけ離れた街並み、雰囲気には興奮する。
ただ、イタリアに来てからずっとそうだけど、カメラを構えていても、スマホで地図を見ていても、必ずスリを警戒した。
ツレとともに、片方が写真を撮っている時は「じゃあ見張るね」というように、常に警戒した。
お陰でまだ何もスられていない。
スリへの警戒は日本での服選び、アイテム選びの時点で意識していて、「みすぼらしく見えるのが(スリの標的になりづらくて)いいね」という観点を持っていた。
新婚旅行という体(てい)であるにもかかわらず、実に自分たちらしく見栄がなくて面白いと思う。

ここはディズニーシーだ。
逆に、ディズニーシーの建築、設計をした人の探究心というか、執念というか、プロフェッショナルというか、そんなことに脱帽してしまう。
それほどに、ここはディズニーシーだった。ツレと何度もディズニーシーだね、と頷き合った。
ヴェネツィアに行きたい、という人が私の前に現れたら、これからは「ディズニーシーに行けばいいと思うよ、千葉の」と勧める。
発想が貧困なだけかな。

ここには今回3泊した。
計画の段階では、私は行ったことがあってそんなに広くないし特別見どころとなる場所も多くないと認識しているので「2泊で十分では」と提案したが、ツレに「3泊したい!」と押し負けた。もともと行きたかったところだから、ちゃんと滞在したい、とのこと。
結果、とてもちょうど良い滞在期間となった。特別時間を持て余すことはなく、足りないということもなく。
前回私が訪れた時は、本当に中心部あたりをぶらりと歩いただけだったようだ。
これは一人旅にはない面白さだけれど、自分の「範囲外」に足を踏み入れられる。一人では知り得なかった世界。

バーカロ

バーカロ、という場所がある。
ミラノや、日本でも最近あっただろうか、アペリティーボみたいなもので、グラスワインを飲みながら一口サイズのおつまみをいろいろ食べて楽しめる場所なのだけど、そういったところには私ひとりだったら絶対に行かない。お酒に弱いから。
しかしツレはけっこうお酒が好きなので、ヴェネツィアでやりたいことの一つとして楽しみにしていた。
その代表格のお店「ド・モーリ」へ行き、グラスワインを一杯、そしてチケッティ(おつまみ)を3ついただく。
スタッフやお客さんの気取らない態度、ワイワイガヤガヤと、しかし刺激的な騒音ではなく心中穏やかに響くざわめきが、苦手なはずのお酒を心地よく感じさせてくれる。
「あ、美味しく飲めてる」
この感覚はなかなか斬新で驚きだった。
ワインも、ただ「白をグラスで」と注文しただけだったので、特別良いお酒ではないと思う。
それでもなんだか気持ち良くて、美味しかった。
この旅行を通して、もしかするとワインが好きになるかもしれない。
そう思いながら、同時に「自分も酒飲みになったらその分お酒代がかかってしまうな」とどこまでも貧乏くさいことを考えていた。

ド・モーリで、赤と白

光と影

ヴェネツィアは建物が低い。
どうやらイタリアは建築に関して、法律で細かい定めがたくさんあって、新築も改築もするのが大変らしいのだが、たぶんヴェネツィアでも独自にそういう決まりがあるんだと思う。
建物が低く、狭い路地や水路が入り乱れている。
加えて霧が発生しやすいらしい。3泊4日して1.5日以上は霧が発生していた。
それらの影響か、この街は光が綺麗だ。
光り輝く海面はもちろん、朝の光を浴びて地面や植物から蒸気(であっているかは不明だが)が上がり、建物のわずかな隙間から明瞭な光線が伸び、影が生まれ、時に霧が光と影の境界線を浮かび上がらせる。
中世の街並みが魅せる幻想的な、きっと世界でも類を見ない美しさなんだと思う。
こりゃ確かに、美しい。

ある日の朝
ある日の昼過ぎ
出発前の朝

旅は疲れるらしい

配分をしなければならない。なんの配分かというと、体力の配分である。
2都市目、旅行に出てから4,5日目。疲れが出てきている。
毎日毎日、日本での日常では考えられないくらいに歩いている。
スマホには健康管理アプリが購入当初から内蔵されていて、そのアプリで何の気なしに一日の歩数を確認する習慣があるのだが、旅に出てからの平均歩数は1万7千歩を超えている(これを書いている2月3日現時点)。一番少ない日は電車を乗り継ぐ長距離移動の日(コルモンズからフィレンツェ)で1万7百歩、一番多い日は丸一日ヴェネツィアを歩いた日で2万2千9百歩。
日本にいたとき、特にお店の営業日なんかは1千歩から2千歩程度しか歩かない人間。なおかつ学生時代は長距離マラソン(といっても3km程度の話)で学年ドンケツになろうかというほど体力のない逸材である。階段は五段上がればため息が出る。
とうに限界を超えているのだ。
一人であればまだ自分が大変なだけだからいいけれど、今回は二人旅だ。支え合っていかなければならない、つまり自分がしんどくて弱音を吐いていたらツレに迷惑をかけてしまうのだ。
旅というのはそういう部文を隠したり誤魔化すことができない。
疲れてきたら私は省エネモードに入る。極端に口数が減ったり、リアクションが薄くなったり、というような。対してツレはその逆気味で、口数が増えてテンションも上がり気味になる。お互いこうなってしまえば噛み合うはずもない。
だから疲れ果ててしまう前にカフェで休憩を取ったり、歩き回りたい気持ちを抑えて宿で休息を長めに取るなりしなければならない。
せっかく、こんなに遠い、もう二度とないかもしれないイタリア旅…。だとしても、それで仲違いして嫌な思い出になってしまえば元も子もない。
自分の体力と相談して、ツレの体力も考慮して、歩く時間、休む時間、行きたいところ、食べたいところ。いろいろな配分、バランス。
絶対は二人が無事に日本に帰ること、次点で二人で楽しく旅をすること。
そのための「最善」を尽くしましょう。よし、再確認。

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