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【中学受験 体験記】 第二弾 12月最後の模試で最低偏差値!!!! からの 不合格、と合格🌸

~そして想定外の学校に通うことになった


はじめに:6年生最後の12月の合不合テストで最低偏差値を叩き出す

4年生最後にT平は、自分で中学受験をすると決めたものの、
5年生最初の入塾テスト・組分けテストでは偏差値30台前半を叩き出し、
どうなることかというスタートで始まった我が家の中学受験。

しかしその後、W塾のサポートとT平のがんばりにより6年生前半には平均50台後半、60台も時々届くようになっていた。
ささやかながら私たち夫婦による伴走も悪くは働いてなかったと自負しているし、
私お手製の暗記カードは特にT平の知識だけでなく「カード全部覚えたから大丈夫!」とメンタル面も支えられたのではないかと思う。

その時の話は別でnoteに投稿したので合わせて読んでいただけるとありがたい。

ともかく、偏差値が見えてきたことでT平の志望校もある程度見えてきた。
5年生の頃から「行きたい」と言っていたのは通学時間も近く、国公立・難関私大実績も高い進学校であるS学園だ。
この学校に入れたらすごいな、いいな!と親子で思ったし、
5年生時に、コロナで倍率の高い学園祭や学校説明会ともに、ミライコンパスの連打で勝ち取れた。といったささやかな縁も感じた。
(他校は気づいたら応募終了だったり、応募開始の10分後に気づいてサイトにアクセスしたら既に満席だったりした。。)

しかし、、欲が湧いてきた。

塾の先生もこのままいけばS学園はかたい。もう一つ上を目指してみてもいいんじゃないかと。
塾はそうですよね〜ワンチャンいいとこ受かったら実績にもなりますよね〜
と思う気持ちもありながら、
どちらかというと親としては自分のことのように嬉しかった。

5年生の後半から6年生にかけて難関校の学校別のオープン模試を受けてみたのだが、どこも偏差値や志望校判定の結果を見ると遠く感じた。

そんな状況でも、T平が目指そうと決めたのは、親である私の出身大学の附属校であった。
俄然、T平よりも私の方がやる気が出てしまった。

そして6年生でNNに入ることもでき、そこからこの学校を熱望校として目指してきた。
たとえ熱望校が難しくてもS学園はかたいのだから、そこで大学受験でまた頑張れば良いじゃ無いかと考えて取り組んできた。

忘れもしない 12月中旬の最後の合不合判定模試
結果に驚愕した。

なんと6年生で最も悪い結果を叩き出したのだ。
平均偏差値から7〜8ほど低く、11月の結果とは10近く下がっていたのだ。

熱望校は元から良い判定は出てなかったが、
S学園はAかBの判定をそれまではもらっていた。
それが、最後の模試でDだったのだ。

その時の焦り具合は近年稀に見るものだったと思う。
今となっては記憶も定かではない。

一体何が原因なの分からなかった。焦り、混乱した。

結論から話そう。
現在T平は、熱望校でもS学園でもない学校に通っている。

毎日とても楽しいといい、良い学校に通えることになったと思っている。
中学受験をやって本当に良かったと心の底から思う。

12月のこの合不合テストでこの結果をとらなければ、この学校には出会わず、行ってなかったと思う。
そう考えると、この時の結果があってこその今であり、何かに導かれたようにさえ思い、感謝したい。

12月の模試には驚愕したが、それがなかったとしても、6年生のT平と私たちは本当にジェットコースターだった。
もしかしたら、似たような経験をする家庭があるかもしれない。

私も先人たちの合格・不合格体験記には、どんなに我が家と境遇が違おうが参考になったし励まされた。
私たちの合格・不合格体験記が、今後受験される方のこんな家庭もあるんだな。
という意味でご笑覧いただけるとうれしい。

9月:人は高い目標があると成長する

6年生の夏休みは、おそらくT平の人生でも指折りの濃密で早く終わってしまった夏休みになることだろう。
通常の夏期講習に加えて、NN特訓と呼ばれる熱望校専用の特別講習があり、お盆の1週間程度は休みがあったが、特別講習 最終日の「そっくりテスト」の結果がかんばしくなかったT平は、見直し・やり直しに取り組む必要があった。

さらに、9月からは、その熾烈さが増していく。
平日の3日に加え、土日ともに朝9時から18時まで熱望校のNN対策授業があり、宿題も当然出る。
これに加えて、S学園を初め、おさえの他校の過去問を週一つのペースで解いていく。
解くだけでは意味がないので、見直しをする。当初はわからない問題が多く見直しは全部やるのに相当時間をかけていた。

11~12歳の子供がこんなにもやる必要があるのだろうかと疑問に思ったことは一度ではない。
そこまでして目指さなくても、、
S学園で良いのではないかと、何度も思った。
T平を含めてそういう家族会議もした。
しかし、T平がチャレンジしたいといった。
親だったら、その気持ちをむげにはできない。応援したかった。

6年生後半では、NNの熱望校対策が土日ともにある。土曜日は過去問をする日だ。やり方もかなり厳密で、本番相当の問題用紙と回答用紙も用意され、集計され順位も出る。

T平はなかなか難しかった。
点数で数十点足りない。まだ9月や10月では周りの子もそこまでは取れない。
しかし、点数よりも精度の高い情報として受講者の順位も発表された。
それも厳しかった。

熱望校への実際の受験者の4〜5割くらいはW塾主催のNNを受講しているそうだ。
W塾ではないS塾やN塾の生徒であっても、このNNを受講する子もたくさんいるようだ。
W塾のNNの売りは熱望校の対策に特化した授業だけでなく、実際の受験生と切磋琢磨し、データもわかるという点にある。
つまり、過去の熱望校の受験者数と合格割合を見れば、何位以上に入っている必要があるかがわかる。

T平は平日の塾の勉強はほどほどに、NNの勉強に注力し、学習時間は熱望校専用の勉強が大部分を占めることになった。
自ずと結果もついてきていた。
点数では合格点を取れなくとも、順位は上下しながらも、教科単位では枠に入れることが出てきた。

一方で、親の私たちは不安があった。

10〜11月:疑心暗鬼

10月から始めたS学園の過去問の点数が、かんばしくないのだ。
合不合テストでは、S学園の判定も順位も問題はなかった。
しかし、それに安心できない。なぜなら過去問の合格点に届かないのだ。
SNSやネットなどで検索すると、同時期の子が合格点にいったという投稿が確認できていた。

W塾の先生からは「大丈夫です。合不合の結果に収斂されてきます」と言っていただいていた。
が、それでも額面通りに信用することはできなかった。

過去問は、合格者平均点などは出ているのだが、いつもの模試のように問題ごとの正答率は出てないので、分析ができない。
合不合テストは得意になったが、S学園の問題があってないのかもしれない。
熱望校に特化した勉強をしていて、S学園の特性の問題に合わないのではないだろうか?

12月までS学園の合格点に届くことはなかった。

そんな時、NNの保護者会で熱望校の押さえ校に選ぶ学校の割合を知る。
S学園は入っていなかった。
それらの学校は、熱望校の入試問題の傾向が近いという理由があると知った。
確かにこの時間のない中、傾向はとても重要である。
S学園が第二志望で良いのか揺らいだ。
なぜこのタイミングまで気づかなかったのか。もう半年前に、せめて夏頃に知っておくべきだったと後悔した。

11月に入っていたと思う。
W塾の先生と相談し、
「まずは試しにやってみましょう。まだ時間もあるので。」
とお話しいただいた。

「時間がある」という表現に違和感を感じた。
しかし、今ならわかる。実際「時間はかなりあった」のだ。

過去問を購入し、新たにスケジュールを組んだ。
その頃のT平はこなれたもので、NNの勉強に加え、1週間で1.5〜2校の過去問をこなせるようになっていた。主に見直しの取捨選択の選定眼が出てきたのだと思う。全部を見直す必要はないのだ。

なるほど、結果は確かにS学園よりは取りやすそうである。
入試のスケジュールなどの組み直しが必要だし、学校説明会にも行ったことが無く、時期的に説明会の候補はなくなっていた。

12月:ジャイアントキリング

12月に入ると状況は変わってきた。

S学園の過去問を初めて上回ったのだ。
さらに、熱望校のNNそっくりテストで初めて合格ラインの順位にトータルの点数で届いた。(最終的には、3回に1回程度の割合ではあった)

何か霧が晴れたような、
努力すれば報われるんだと信じられたような、
こういう事だったのかという気がした。
そして私たちは、「もしかしてこれはイケるんじゃないか!?」
と高揚した。

おりしも、カタールのサッカーW杯で日本はドイツとスペインに勝利し、「ジャイアントキリング」という言葉が流行していた。
我が家の合言葉も「ジャイアントキリング」となった。
ドラマのような展開が待っているのではないかと期待した。

しかし、W杯も終わり、12月の合不合の結果がで
その言葉も消えることとなった。短い流行語大賞であった。

12月:受験シナリオの抜本的変更

12月の合不合の結果を受けて、夫婦では半ば狂気じみた議論をした。

NNをやめて、S学園に注力したほうがいいのでは?
でも、6年生の時間をここまで熱望校に使ってきて、戦う舞台にも上げさせられないってどうなんだ?
最悪を考えないと!希望校全部落ちたらどうする?
40台の安全校も候補として入れないとまずくないか?
今から学校探すの厳しくない?受験日のスケジュールも組みなおさないと!
そこまで落とすのか?そもそも私立に行くべきなのか?
いやでもこの2年間の結果がどこもダメだったというのは絶対に避けたくない?

悪く考え始めると、深い底まで落ちていく感覚がした。

意外にもW塾の先生とT平は平然としていた。
いや、その時の我々夫婦があまりにおかしかっただけで、先生もT平もそれほど平然ではなかったかもしれない。
「二月の勝者」の取り乱した親には絶対にならないだろうと思っていたが、この時ばかりは自信がない。

今振り返ると、
先生は合不合の結果だけでなく、NNのそっくりテストやS学園や他の過去問の結果も含めて分析してくれていて、
T平のメンタルが落ちないようにアドバイスしてくれていたのだと思う。

W塾の先生から言われたのは、
大丈夫。本命もおさえも何も変える必要はない。
今回の結果の要因はこういう点にある。
T平をメンタル面で支えてあげることが特に重要。

それを聞くと不思議となるほどと思えた。
そんなに言葉を発した記憶はないが、落ち着かせてくれたのだろう。
一方で、備えの話もしてくれた。

ただし、時の運もある。大人の我々は、いくつか作戦と判断ポイントを持ちましょうとのこと。
・まず1月上旬の埼玉の一発目で必ず結果を作り、今回の結果を全て忘れさせる
・埼玉と千葉で幅広に受験をする。その結果で2月のおさえをどうするかを考える
・埼玉か千葉で受かって通いたいという学校をリサーチすること
・2月の受験で偏差値50以下で通いたいという学校をリサーチすること
・判断は親がするのではなく、必ずT平が納得した形でやること

私たち夫婦には、本当か?という疑う気持ちは消えて、信じてやり切る気持ちになっていた。
そして、信じてやって良かった。
この塾に通い、先生たちに出会えて本当に良かったと心から思う。

その後は夫婦で手分けしてリサーチした。
神奈川に住む我が家が埼玉や千葉の学校に通わせることをそれまで考えたことは一度もなかった。

調べてみると、埼玉の学校もとても良く見えてきた。

2月の学校も幅広く調べていった。
良さそうな学校はたくさんある。
S学園が本当に一番良いのか疑問も出てくるほどである。

この時に調べた一校が親子で好きになり、S学園をけってまで通うことになる運命校になるとは
この時はそこまでリアルに想定できていなかった。

なぜ今まで本気で調べようとしなかったのだろう。。
S学園がかたく、熱望校を目指す。というのがほぼ既定路線で、こういうことになるとは、完全に想定外だった。

W塾の先生と相談し、対象校と日程を決めた。
過去問を取り寄せ、感触も確かめた。
幸い埼玉の学校はどれも行けそうだった。

最初に受験する一校だけは最後まで悩んだ。
W塾の先生には、絶対に結果を作る事が良いとされ、完全に同意していた。しかしどこまで落とすべきなのか悩んだ。
幸い前日くらいまで悩める。ホテルだけ抑えて正月に考えることにした。

受かった場合と落ちた場合のシナリオは何個作っただろうか。。
2月の入試は引っ張れば1週間以上作ることができる。
最初の数日は午前と午後で2回受験ができる。
こんなに受けることができるのだろうかというプランも並べてみた。
バージョンを残したエクセルは見返してもどんなプランだったのかよく思い出せない状態になっていた。

ちゃんと考えてみて気づいたのは、日程ばかり気にしていたが、
合格発表のタイミングと入学金振り込み期限も考慮に入れる必要があること。(特に後者)
埼玉の学校もリアルに行きたい学校の入学金振り込みタイミングが、熱望校の合格発表よりも前に設定されていた。
受験料は数万で済むが、入学金となると40万程度になる。
私たちのプランは40万をを捨てるプランであった。それを節約するほどリスクを取る覚悟がなかったのだろう。

12月の悲惨な結果がなければ、そういうプランを作ることはなかったのではないかと思う。

正月の神頼み

そんな事をしている間に、あっという間に12月が終わった。
6年生に正月は無いらしい。
1/1からNNではそっくりテストをするスケジュールになっていた。過酷である。

1/1朝NNに送る前に、家の近くの神社に初詣をした。
そこで、T平はなんと、お賽銭箱に1万円を入れたのだ。

正直私は、40年以上生きていた中で、札を入れた事が一度もない。。
小学6年生の1万円は途方もなく高額だったと思う。

お参りをして合格祈願のお守りと絵馬も書いた。
T平は熱望校と自分の名前を書いていた。

誰かに見られるかもしれないけどいいのか?とも思ったが、余計な事を言うのはやめた。
T平がどんなに強く思っているのかを感じ、涙が出そうになった。

「ジャイアントキリングしような!」
とだけ、ずいぶん久しぶりに感じるワードを使って声をかけた。

1月:負けられない戦い

正月が明けると、すぐに埼玉の入試である。
本番は2月だと思ってまだまだあると思っていたが、急にもう受験じゃんという気持ちになる。

12月の合不合の結果の不安はすっかり消えていた。
最初の埼玉の過去問は2回やって、合格点は上回っていた。

必ず獲る。

埼玉校はホテルをとって前乗り宿泊した。
前日に周到に受験場所までの道のりを確認した。
持ち物や防寒対策も完璧である。

T平と一緒にイメージトレーニングをした。
朝起きて場所について、席に座って、あ、その前にトレイに行っておこう。
最初は国語、何分?過去問を見ながら作戦を確認。まずは知識。大問は何個で、説明と物語どちらから解く?
わからない!!ってなったらどうする?
大丈夫、落ち着こう。T平がわからなければ、他の人もわからないから。わかるものをとっていけば結果がついてくる。
・・・

朝はホテルに泊まったのでそれほど早くなくても良いが、早く目が覚めた。
T平はもう起きていた。
買ってあった朝食を一緒に食べ、だいぶ余裕があるが、ホテルを出た。

行くまでの間は他愛もない話をしつつ、もう一度最後のイメージトレーニング。
T平は落ち着いていた。何度も模試を受けてテストには慣れていると言っていた。本番ということで気持ちが全然違うのは親の方だけだったのかもしれない。

受験場所で別れるT平にかける言葉は色々考えていた。
SNSや体験記でもとびきりの言葉を考えている親がたくさんいたからだ。

考えていたはずなのに、かけた言葉は「終わったらココで待ってるね」だった。
別れて、「しまった」と思った。

受験の間は控え室で待つ。結構寒い。
他の親は仕事をしている人もいた。中には外で電話会議をする人も。
時計を見て今何の教科なのかを追った。

あっという間に終わった。たくさんの受験生がいて、T平が出てきたのは最後の方だった。

良かったのか悪かったのか 気になる。顔色ではわからない。
「お疲れ様」とだけ声をかけ、「どうだった?」という言葉を飲み込んだ。
すぐに聞くのはメンタル面的に良くないとどこかに書いてあった。

T平は自分からは言わない。
それはいつもの事だ。悪かったとは限らない。
何を話したかは全く覚えていない。
天気のことだったか、時事ニュースだったか、じいじやばあばの話だったか。
色々話したからもういいだろう。

たまらず聞いた。
「で、テストはどうだったの?手応えは?何の教科ができた?できなかった問題ある?」

T平は笑った。
「なんで聞かないのかなと思ってたんだよね〜」

それで大体わかった。大丈夫だ。

中学受験で、合格発表は当日の夜に出てくるところが多い。
しかし、初回のこの学校の発表日は翌日であった。

1月の勝者

T平は翌日も埼玉受験である。
ここも通常通りであれば問題なく受かるはずの学校。
結果がわからないまま次の受験をするのがどうなのか。落ちていれば悪影響があるし、受かっていれば好影響があるはずで、なかなか難しい。

ホテルに戻り、明日に備えた。
ルーティンのようにイメージトレーニングをした。
前日よりこなれてきた。

埼玉二校目。
前日と同じように向かった。

実は、T平が受けている間に昨日の学校の結果発表がある。
その事には触れずに、前日同様、終わったらここで待ってるねと声をかけて別れた。

今日はスマホにかじりつき、受験発表を待つ。
ミライコンパスで接続が悪いことも経験済みである。
だからスマホだけでなく、ノートPCとポケットwifiも持ってきた。
両方でスタンバイ完了である。

もし、不合格だった場合のことを考える。
12月の嫌な思い出が出てきた。あの時は全くの想定外だった。その時の失敗を生かすべきである。想定内にしておく必要がある

すぐに塾の先生に相談すべきだろう。
しかし、T平になんて伝えるべきなのか?
T平には大丈夫だよと伝えるしかないだろう。
しかしその後どうするか。埼玉と千葉の候補はまだある。ただリアルに通える候補にまではなってなかった。考えると気持ちが落ちてくる。

そんな事を考えていたら、妻からLINEが入った。
合格発表の時間が過ぎていた。。

しまった。。

急いでサイトにアクセスした。入念にスタンバイするまでもなく、すぐに繋がった。
想定外を想定内にすべく考えた時間は無事に無駄となった。

実は、LINEは開いていなかったが、画面で見えていた。
なので、本当はわかってはいた。

それでも、心は大きく揺さぶられた。
目頭が熱くなる。本当に良かった。


二校目が終わって出てきたT平。昨日と変わらない雰囲気だ。
しかし、私の気持ちは「どうだった?」よりも早く結果を伝えたい。

しかしである。
昨日、「何で聞いてこないの?」とT平に言われていた。合格して私のメンタルも余裕が出てきて、イタズラ心がわいてしまった。
一旦待ってみることにした。
また他愛のない話を切り出してみた。

すぐだった。
「そんなことより、K校の結果どうだったの?」

「合格だよ!」

がっつり抱き合おうと思ったら、ちょっと避けられた。
でも、うれしさを隠しきれずにニコッとした顔は忘れない。


T平はただの合格ではなく、良いクラスに合格していた。
そして、その日の夜、二校目の合格ももらった。

W塾の先生にもすぐに連絡しお礼の言葉も伝えた。

この後どうするかの相談をすることになった。

ダメだった場合に予定していた埼玉・千葉の学校の受験は見送ることにしたが、
本番までに練習として一校、少しGAPがあったが妻もT平も魅力的な学校は受けることにした。

実はこの時、私は内心落ちてもいいのではないか、落ちた方がいいのではないかとも思った。
今までの組分けを見てもそうなのだ。上がると下がる。が、下がると上がるのだ。
12月の結果は完全に過去のものとなり忘れている。今は上がったタイミングだ。T平のメンタルは調子に乗っているフェーズ。さらに上がったら、2月上旬が下がるフェーズになってしまうのではないかと。

結果は、合格だった。

懸念はあったが、やっぱりとても嬉しい。
もしかしたら全部合格で終わるんじゃないかという気にもなってきた。

12月の状況から我が家の雰囲気は一変していた。

たくさん考えた2月のプランはもうほとんど不要になった。
埼玉で通っていいと思う学校に合格をもらっているのだ。

あとは熱望校が受かればそれで終わりだ。
ダメな場合はS学園。S学園は何度かチャンスもある。
それもダメなら埼玉の学校が決まっている。
メンタルは一気に楽になった。楽になりすぎていたのかもしれない。

2月の3日間はダブルヘッダーも含めて大変なスケジュールになる可能性もあったが一気にスカスカになった。

2/1の熱望校の受験は、午前中に筆記テスト、午後に面接などがあった。結果が出るのは少し時間がかかり3日程度後だった。
実はこの面接の時間が流動的で早く終われば14時、遅く終われば16時、早ければ2/1のS学園の午後入試に間に合う。
そして、S学園の結果は2/1当日すぐに出る。もしここで決まればT平の受験は終わる。

この状況をT平に話すと、2/2以降で、S学園よりも高い偏差値の学校も受けてみたいと言い出した。

強気である。
調子に乗りすぎている。とは思った。
が、チャレンジするのはいいことだ。
それにもしかしたら本当に全部受かるかもしれない。人生に失敗の経験を持つことも大切だろう。と、とんでもなく楽観的なことまで考えた。

W塾の先生も驚きつつも、勧めてくれた。
ただ、過去問をやってもいない学校である。熱望校とS学園対策に加えてやるべきであり時間を捻出する必要が出てくる。
また、万が一受かった場合、どこにいくべきか?という悩みも出てくるのではないかと狸の皮算用的な懸念も出てきた。

W塾の先生にいくつか候補をいただき、学校の内容を確認してみる。偏差値がいいのでもちろん何のケチをつけることなどはない。そして過去問を見てみる。
ある学校はかなり特殊だった。国語が全て記述。これは無理なんじゃないかと考えた。ある学校はそれまでの対策に似ているように思えた。

そこで、2校に絞り込み2年分の過去問を解かせた。
どちらも1回目は届かず、2回目は届いた。行ける可能性はありそうだ。
そこまで決めて、あとは熱望校とS学園に注力することにした。

2月1日

熱望校の本番である。
やれることはやった。3回に1回の確率でとおる。
心身ともにベストなコンディションだ。

T平は意気揚々と向かっていった。
この2年間でずいぶんたくましくなったと感じた。見た目だけでなくメンタル面での成長を感じられるのはうれしかった。

この時、結果がどうあろうと、中学受験を本気で取り組んで本当に良かったと早くも確信した。
結果がついてくればなおいい。ついてこなくとも親としては大満足である。
そう伝えて送り出した。

熱望校は午前中に筆記テストで午後も面接などがある。
あとは午後のS学園に間に合うかどうか。間に合わなければ翌日受ければ良いだけだ。気にすることはない。
当日までわからなかったが、T平はもっていた。

S学園の午後入試に間に合い、その日の夜に結果が出た。
見事に一発で合格した。しかも少数の良いクラスの合格をもらった。
にわかには信じられない心地になった。
熱望校の結果が出るまでには3日かかるので、ここまで全戦全勝であった。

しかし、現実はそう甘くない。
2月間際に受けたいと決めた2校のうち、
一校は不合格であった。
そうだろう。合不合の偏差値も届いておらず、過去問こそやったものの対策と言えることはできてなかったのだから。

この不合格通知は、それまで全戦全勝で本命校の結果を期待値高く待っていた私たち家族にとってありがたかった。
もっと打ちひしがれていたのかもしれない。

ここでT平の気持ちも完全に切れた。
もう一校は結局受験をしなかった。
後半に行く方がライバルも多くなり受かりにくくなるということもある。
学校のリサーチも十分にできてなかったこともある。

そして、熱望校の結果

届かなかった。
残念であった。

私は、Webサイトを何度も更新した
受験番号も何度も見直した
SNSで検索した
過去の補欠合格者がいるのか、どのように連絡が来るのか調べた

2/20ごろまでは電話がかかって繰り上げ合格になる可能性があるという書き込みを発見した

別の学校の手続きは進んでいく中、私は密かに待ち続けていたが、電話が鳴ることはなかった。

とても残念ではあったが、やれるだけの事はやってきた。
悔しい気持ちも時間が経つにつれておさまってきた。
人生そううまくはいかない。このタイミングでこういう経験ができたこともT平にとっても、我々親にとっても良かったと思う。

これでT平の中学受験は全て終わった。
春からはS学園に通う。

この時は、そういうものだと私は思っていた。

エピローグ:最後の大どんでん返し

冒頭に書いた事を再掲する

結論から話そう。
現在T平は、熱望校でもS学園でもない学校に通っている。

妻は1月の合格発表から埼玉の学校が気になっていたようでかなり調べていた。
そして、T平が最終的に、S学園ではなく埼玉の学校に行きたいと決めた。

S学園はとてもいい学校で、家からも近い。さらにT平はそこの一番良いクラスの合格を得ていたのだ。
この結論に至るには議論はさまざまあり、家族内でかなり揺れ動いた。

・偏差値
・通う距離
・カリキュラムの内容
・海外交流や修学旅行などのイベント
・卒業後の進路
・部活動
・校舎や設備
・口コミ
などなど、具体的な議論内容は差し控えたいが、色々議論した。
小学6年生で進路を決めるというのはなかなか難しい面があるということも思った。

要は一概に偏差値や距離では行きたい学校は決めきれない場合もある。
どんなに準備して考えていたことが、最後の1ヶ月程度で変わることもある。


現在T平と言えば
とても遠くてどうなることかと思ったが、ある程度余裕もあって通っている。
少ないけれど気の合う友達ができたようである
毎日がとても楽しそうなのが親としてはうれしい。
中学受験の貯金を武器に、中間・期末は自走できるようになってきたし、学校内での位置もいい感じである。

私も中学受験の体験が忘れられず、
ちょこちょこ中間や期末に伴走したくて、関わらせてもらおうといまだに頑張っている。
T平向けに作ってとても効果があったと思うお手製の中学受験生向けの暗記カードを作って販売を始めた。

とんでもなくドタバタした受験で、最高の結果ではなかったが、満足できる結果は得られた。

その結果を含めて最高の体験であったと感じる。
私の人生でもかけがえのない思い出になった事をT平と家族に感謝したい。

この独りよがりのお話が誰かの中学受験の家族の参考になったとしたらとてもうれしい。



長い文章をここまでたどり着いていただいてありがとうございました。
全ての中学受験生の家族が、それぞれの最高の体験となりますように祈念いたします。


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