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「インプット過多」になりたい自分を内観する

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僕の理想のライフスタイルは、高速のインプットと高速のアウトプットのバランスが取れている状態だ。

インプットというのは体験することで、本を読むこと、ランニングをすること、商品を買って使ってみること、旅先のスポットに行ってみること、料理を作ってみること、レストランに行って食事をしてみること、その他何でも人生における経験、体験をすることを指す。

いっぽうアウトプットというのは、それらの体験を何らかの形で表現することを指す。

ブログの記事に書くことが代表的なアウトプットだ。読んだ本の書評を書く、ランニングの記録を書く、買った商品のレビューを書く、旅行記を書く、料理レシピを書く、などなど、書くことがアウトプットになる。

さらにいうと、直接的なレビューとかログとかという表現じゃなくても、蓄積した体験、経験は間接的な自己表現にも結びついていく。

たとえばこのnoteの記事では直接的なレビューやログは書いておらず、僕のエッセイがメインコンテンツだ。

しかし僕が日々想うこと、感じていることをこうして言葉にするためには、「その想いに至った過程」のインプットの蓄積が、堆肥のように積もって熟成されていくことによって、はじめて生まれてくるものだ。

だから、インプットがなければアウトプットは原則ないと思っている。

もちろん文藝的なコンテンツの場合は必ずしも体験というのが100%必要かと言われると微妙で、James Joyceの「フィネガンズ・ウェイク」の主人公みたいに、一生が夢の中、なんてことだってあり得なくはないが、それはまあ置いておこう。

アウトプットするためにはインプットが必要。

書評を書くためには本を読まないといけない。

これは間違いのない事実ではあるのだが、僕の性癖として、ここに過剰さが入ってくる。

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