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『サクセッション/メディア王』 ゴキブリのアメリカンドリーム

 ついにフィナーレを迎えたU-NEXT配信TVドラマ『メディア王~華麗なる一族~』(原題: Succession、以下『サクセッション』)。金持ちコケにする「イート・ザ・リッチ」流行のひとくぎりになると予想していたのだが、想像以上に健全な落としどころに。

※以下ネタバレ

「仕事の鬼」こそ基本条件

 継承戦の決着はおさまりがいい。仕事ができる人間が勝っただけである。すくなくともメタ的には、メディア帝国の継承者に必要な「KILLER」とは「家庭を支配する虐待者」ではなく「仕事の鬼」、要するに勤勉なハードワーカーに近い。
 物語のはじまりのS1E1、ローガンがケンダル継承を取り下げた決定打は 、契約の場を離れて父親の誕生日パーティーに来たからだった。「仕事の鬼」たるローガンは、家族の祝事よりもディールを優先する。というか、そのせいで死んだ。長男の結婚式に出ていればまともな救命治療を受けられたのに、プライベートジェットに乗ったから逆効果な荒治療しか受けられなかったのだ。この「仕事場」に同乗していたのがトムだ。GoJoディールより挙式を優先したローマンとは異なるから最後に声をかけることができた。決定的なのは、義父の葬儀に出なかったことだ。継承者としてローガンがもっとも評価するのは、感動的な追悼演説を行った三兄弟ではなく、親族かつ腹心であったのに仕事場から離れなかったトムである。アレクサンダー・スカルスガルドいわく、マットソンがトムに一目おいたのもここだった。

ローガンに最後の言葉をかけたトムは、呪いのように不眠症となり、義父の跡継ぎとなる。マシュー・マクファディンの解釈では、最後の乗車シーンでも「勝利の歓び」は一切ない

 ロイ三兄弟は「仕事の鬼」になれない。不安定すぎて持続性がない。ケンダルは薬物依存で仕事場にいられなくなるし、ローマンは書類仕事をせず懐柔で済ませようとし、シヴは研修を受けもしない。脚本家が言うように『サクセッション』の継承劇は三兄弟が結託をキープすれば勝てる戦いなのだが、それすらできない。さらに、みなそろって衝動的である。パワハラは裏で行うトムとちがって、感情爆発をおさえきれず丸見えなガラス張りの部屋で暴力沙汰を起こしてしまう。有能な女性二人を残したトムには人材を見る目があるが、兄弟は社員を家族や家来の延長として傍若無人に扱って裁判リスクを生じさせていく。暴君ローガンに対しても、ローマンは服従してジェリーに解雇を言い渡したが、トムはプレッシャーに耐え「ケリー起用には多大な時間が必要」だと意見を通していた。機能不全家庭の虐待によって壊されたロイ兄弟は、とにかく自律性や安定に欠けるのだ。作中珍しい機能家庭育ちであるトムの場合、安定性に長けている。
 仕事に打ち込みつづける胆力は、一般的なビジネスリーダーにおける基本条件ではないか。背景として、アメリカ人には「ワークライフバランスが悪い働き者」通説があり、実際に平均年間労働時間がG7で一番高い。アラスカ州などの鉱業や製造業が牽引してるのだが、調査法によっては、たとえば都市別だとニューヨークがトップ5に立つ。

アメリカンドリームの継承

 トムは、姓を同じくする野球選手ビル・ワムズガンスとおなじく、地味なプレイヤーとして三人=ロイ兄弟をごぼう抜きした。このメタファーも、ローガンの面前で繰り広げられたS1E1のソフトボールにあらわれている(結末自体はS2制作時に決まったらしいのだが)。

ケンダル:ボールを打ったのに走らず途中退場=本当の戦場から離脱する父の物真似人形
ローマン:移民の子どもを晒し者にして虐める=父権への服従欲求の反動で弱者を排斥する道化師
シヴ:ケンダルに球を打たれローマンの蛮行を止めきれない=男の世界に参戦できていない戦力外
トム:シヴにアシストさせ子どもが「惜しかった」結果となるタイミングを読んで完封する=女性を戦力として活用した地味な勝者
ローガン:移民の子を讃えトムにもらった高級時計を贈呈する=機会を活かした達成努力を評価するリバタリアン

 ここで重要なのは、ローガンが移民の子を憐れみ讃えたことだ。ローマンのゲームに不快感を示し、結果が出ると立ち上がって「君は見事ながんばり(magnificent effort)をした」と声をかけて褒美を与えた。肌の色でわかりづらくなっているが、彼も移民だからだろう。生まれた時から超富裕層だった子どもたちとは出自が大きく異なる。たとえば、S4で子どもたちに「真っ当な人間ではない」と言い切ったのち、勤勉ではない金持ちへの軽蔑を示している。「あいつらもこれを見るべきだ 空き缶を集めて食いぶちを稼いでる この街じゃドブネズミが丸々と太ってもう走れもしない」
 ローガンの思想に気づいていたのは、継承戦から降りていた長男コナーだろう。「パパはネオコンじゃない。パレオ・リバタリアンだった。ほとんど無政府資本主義だね」

アメリカン・ドリーム(英語: American Dream)とは、アメリカ合衆国における成功の概念の一つ。均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされ、その根源は独立宣言書に記された幸福追求の権利に拠る

アメリカン・ドリーム - Wikipedia

 ローガン・ロイとはセルフメイド=成り上がりであり、個人の勤勉と努力を尊ぶアメリカンドリームの体現者だ。そして次世代のアメリカンドリームこそトム・ワムズガンスである。中流出身の彼は金を追い求めて「仕事の鬼」となり、社会階級上昇を見込んで名家の女と結婚した。この面でローガンとトムのキャラクターアークは類似している。

「遊び場」のゴキブリ

 トムの勤勉な努力は、ロイ兄弟に嘲笑される滑稽なものとして映されてきた。彼も強欲なパワハラクズではあるのだが、こうした嘲笑の描写こそ視聴者にインパクトをもたらしたものでもある。The New York Timesにはこうある。「『サクセッション』が破壊したアメリカでもっとも大切にされてきた神話」。アメリカ合衆国の独立宣言の機会平等理念からすれば、目標達成のための多大な努力(striving)は美徳とされる。しかし、ロイ三兄弟の世界では、それが恥ずべきものとされるのだ。シヴがトムにぶつけた罵倒は象徴的だ。「田舎者。あなたの家族はみんな必死に努力してる」

ロイ三兄弟の「必死な努力」嘲笑はファッションにもあらわれている。「サクセッション・シック」と呼ばれる本作の美術衣装の特徴は、わかりやすいゴージャスさを避けた匿名的ラグジュアリーだ。その文化資本を持たぬトムは馴染もうとしても浮く高額アイテムを着用してしまうから、ローマンやシヴに嘲笑される。だからグレッグの同伴者などのさらに浮いている者を罵る

 一部視聴者のあいだで、トムとグレッグはゴキブリと呼ばれてきた。「望ましくない拡大勢力」みたいなニュアンスで、ダーティで卑しい小物の印象に近い。きっとロイ兄弟も同じ気持ちだろう。しかし、企業領域ではゴキブリたちが勝ったのだ。二人に共通する姿勢は、有力者の機嫌をとってポジションを確保する達成努力。ロイ三兄弟が汚物扱いしようと、人脈が重要なNYCのビジネス界では珍しくない動きのはずだ。マットソンが葬儀を欠席したトムに目をかけたのも、金めあてではない資産家の娘より金銭主義ワーカーホリックのほうが裏切る可能性が低く扱いやすいためである。結局のところ『サクセッション』の企業取引は一貫してただの企業取引だった。

マーシャの過去は謎だが、レバノン出身、元々清掃業かアシスタント、きな臭い金持ちとの結婚歴が噂されている。彼女に地下鉄ユーザー扱いされたケリーもZARA着用してるあたり富裕層ではない示唆。コナーの妻ウィラも元エスコート業

 長男宣言を説得として放ったケンダルが象徴するように、ロイ三兄弟は、企業取引でしかない企業取引を生得権争いのようにとらえていた。「競争に勝たなければ愛と承認を得られない」価値観を植えつけられたためである。当然ながら、家の中で有効な戦法が外で成果につながるとは限らない。そもそも、ロイ邸すら、兄弟のような「スーパーリッチが当たり前なスーパーリッチ」がマジョリティというわけでもない。元清掃業の噂もあるマーシャが義娘に放った軽蔑は、三兄弟の敗因を示していたことになる。「パパにつくってもらった遊び場を世界だと思ってるのね、外に出て思い知りなさい」。つまり、大企業は「遊び場」ではない、ゴキブリばかりの戦場だった。

アメリカの幻影

 『サクセッション』で掲げられたのは「絶対的権力は絶対に腐敗する」モットーである。英国の思想家ジョン=アクトンの言葉で、ローガンのような古典的リバタリアンの標語ともされる。ゆえに、ローガンの実子に権力が継承されることはないし、ローガンも選ばない。CEOに就任したのは娘婿となるが、実績ある勤労者が選ばれた結果そのものはある意味健全だ。
 そこで浮かんだのが、プロデューサーのマーク・マイロッド監督の回顧だ。英国人の彼は、渡米したころ「ロンドンよりずっと実力主義なアメリカ」に驚いたという。終わってみて思うのは、英国作家中心でつくられた『サクセッション』とは「外」から見たアメリカへの羨望も入り混じる作品でもあったのではないかということだ。

「『サクセッション』はニヒルで辛辣に人間の本質をとらえた作品だと言われますが、私自身は皮肉家ではなく、性善的な楽観主義です」「我々製作陣が関心を寄せているのは、億万長者そのものではありません。どのように彼らは富を得たのか? どのようにそれを維持しているのか? どのように彼らの社会は構築されているのか?」(ジェシー・アームストロング)

Criador de 'Succession', Jesse Armstrong avalia o fim da série e revela cena que mais o emocionou

 最終シーズン放送中「アメリカはいまだにもっとも成功した経済大国」と主張するThe Economist記事が議論を巻き起こしていた。ここでは、所得も高学歴労働者数も増えている要因として、規制だらけの欧州よりも資本や人材の流動性、労働市場の柔軟性が高いことが挙げられている。アメリカでは否定的反応を多く呼んでいた論説だが、同国のマクロ経済システムの強さそのものは「外もの」から見れば基本のようなものではなかろうか。
 米企業文化のいくばくかの流動性を示す結果となった『サクセッション』にも、この「外」からの視点が感じられるのだ。結局、英国では100余人にとどまるセルフメイドのビリオネアは、アメリカに500人もいる。昨年アメリカで流行した二世タレントへの批判スラング「ネポベイビー」にしても、上流階級ばかりの英国役者界では成立しない蔑称だと言い伏せられている。アメリカ育ちの作家が完膚なまでに「不変の階級格差」を描いて「イート・ザ・リッチ」ジャンルを確立した『ホワイト・ロータス』S1との決定的なちがいも、国に対する視点の内外にあるのではないか。
 『サクセッション』最終エピソードのポスターは、ドイツの画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる「雲海を見下ろす散策者(現代:Der Wanderer über dem Nebelmeer)」を模したようなデザインだった。「飛行船の操縦士だけが見ることのできるような絵」と評された油彩画のポイントは、風景の征服者のような男が、満足しているのか、それとも無関心なのかわからないことにある。ドラマにあてはめるなら、三兄弟や視聴者にとってのローガン・ロイと受けとめられるだろう。一方、雲海に埋もれるニューヨークからにじみでるのは、作り手すら嫌悪の対象なのか羨望の矛先なのかわからなくなっていそうなアメリカ合衆国の幻影だ。

余談:やっぱりイートザリッチ

 「イート・ザ・リッチ」記事を書くにあたって「『サクセッション』はダークコメディ演出の影響力があるだけでジャンル作とは言えないのではないか」と迷っていたものの、S4の大統領選挙回は正攻法だった。「大金持ちの兄弟喧嘩によってマスメディアが共和党のファシストを大統領にしてしまう」展開はそれそのもの──人によっては「説教くささ」、あるいは没入のノイズとなるクリエイターの党派メッセージを感じるものだろう。プロデューサーのジョージア・プリチェットにしても、寄稿で本作を「トランプ当選期にはじまったシリーズ」と定義づけ「甘やかされた兄弟の喧嘩なんかより右派メディアの有毒性がはるかに重要」「2024年大統領選挙が待ち受けている」と力強い宣言をしている。
 ともあれ、低階層側が楽観的勝利を手にした『ホワイトロータス』S2につづいて『サクセッション』がアメリカンドリームじみた決着をしたことで、金持ちをコケにするブームはよりおさまりそうな気がする。ロイ三兄弟をときに応援しときに嫌悪してきた視聴者も、もう疲れただろう。


よろこびます