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観画談

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映画は映画だ。映画を観て考えたことを書いています。文章でネタバレしても映画は楽しめるはず。記事の多くで作品の結末に触れています。
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記事一覧

『天気の子』の不安と変革

高層ビルが林立し、鉄道網、道路網がはりめぐらされた東京という都市で、私は地上から数十メートルの高さに身を置くことに慣れ、車両に乗り込めばすぐに数キロの距離を移動できるということに慣れている。手元の端末の電源を入れ、手指をすばやく動かせば、見えないところにいる誰かに、瞬時に自分の言葉を届けることができる。端末ごしに会話することも、伝言を残すこともできる。そのことをことさらに意識することもないほどに、慣らされていると言っていい。 しかしこれらのことは明らかに、私の身体的な実感を

『君の名は。』と生死の地平

東京の男子高校生、立花瀧(神木隆之介)が目を覚ますと、自分の身体が地方の女子高校生、宮水三葉(上白石萌音)と入れ替わっていることに気づく。東京の都心で暮らしていたときの記憶はほぼそのままに、自分の身体が女性のそれになり、またその所在も東京ではなく地方の一軒家の上階に置かれているのである。三葉はその逆で、都心の集合住宅の一室に、男性の身体をまとったみずからの姿を見いだすことになる。 映画『君の名は。』は、ふたつの人格の、離れた二地点の交換から幕を開ける。人口の疎密、物価の高低

『淵に立つ』の不在と境界

浅野忠信の表情は、私を不安にさせる。『御法度』(99)の新選組新入隊士、『月光ノ仮面』(12)の復員兵、『岸辺の旅』(15)におけるすでに没したはずの亡夫、『チワワちゃん』(19)のカリスマ写真家、どこからともなく訪れて、すでにそこにいた者たちを不安にさせる存在が、浅野にはよく似合う。『淵に立つ』で浅野は、家族経営の小さな金属加工工場に突然やって来た謎の男、八坂を演じる。浅野の扮してきた役柄のひとつの典型の、新たな例と言っていい。眼光を衰えさせることなく口元に力強い笑みを浮か

『寝ても覚めても』の幻想と不信

映画『寝ても覚めても』は、ひとりの人間が他の人間にとって曖昧な存在でしかないことを示している。私はあなたのすべてを知り尽くすことはできないし、あなたも私のすべてを知り尽くせはしない。それでも私はあなたを、あなたは私を、くまなく知りたいと思う。それは、あなたのことを知るということがあなたについてのことを情報として入手するということであり、情報の入手は対象の支配につながるからだろう。情報の独占によって、完全な支配が実現する。完全な支配が可能なほど、単純な人間がいるとは思えない。あ

『凶悪』と暴力の契機

獄中の死刑囚、須藤純次(ピエール瀧)が、まだ真相の究明されていない過去の殺人について、告白を始める。事件には「先生」と呼ばれる土地ブローカーの木村孝雄(リリー・フランキー)も関与していたという。雑誌の編集部に届けられた須藤からの手紙をもとに記者の藤井修一(山田孝之)は独自の調査を進め、凄惨な事件の実態が明らかになってゆく。木村は身寄りのない老人の所有する土地に目をつけ、その土地を入手する目的で老人を殺し、さらに土地を転売して利益をあげてきた。須藤は老人の殺害と遺体の処理を手伝

『クローズZERO』の場所と祝祭

不良の不良たる所以は、大人たちに強制された規範や序列を自明のものとして受けいれることなく、自分たちの生活の様相を自分たちの手で決しようとする点にある。行儀よく教室の序列に従うことが優良なる学生の要件であるなら、そこからの逸脱として不良が成立するのである。不良たちが自身の腕力を競い、支配と服従の関係を自発的に成立させてゆくことは、言わば私闘による自決を意味する。そして優勝劣敗の原則のもとに階層化された人間関係が、不良たちの群像を描く劇映画のひとつの軸となってゆく。つまり不良は不

『きみの鳥はうたえる』の交情と疎外

『オーバー・フェンス』(16)が公開されたとき、「佐藤泰志の函館三部作」などという惹句を目にして私は憤激した。 村上春樹と同学年に生まれながら四十一才の若さで世を去った佐藤泰志という作家は、熊切和嘉の手で『海炭市叙景』(10)が、呉美保の手で『そこのみにて光輝く』(14)が映画化されたことなどを契機としてすこしずつ再評価の波が寄せはじめていた。二作のあとを継ぐようにして山下敦弘の『オーバー・フェンス』が公開されたことは歓迎すべきことなのだが、四部作にも十連作にもなりうる佐藤

『サーチ/search』の平面と現実

映画館のスクリーンは、一枚の布に過ぎなかった。しかしそこに変幻自在のめくるめく映像がうつし出され、観客はひととき、時空を超える体験ができる。一枚の布が観客を酔わせるという、まさにそのことのゆえに、映画館のスクリーンは魔術的な魅力を持っていたのだろう。『書を捨てよ町へ出よう』(71)の冒頭で、映画館の暗闇のなかでじっとしていたって、何も始まらないよ、と青年はこちらに向けて挑発的に語りかける。たしかに座席を立って再び雑踏の中に一歩をすすめれば、一本の映画などは一炊の夢にひとしい。

『亀は意外と速く泳ぐ』の無為と処世

愛情を注ぐことの対極には無関心があり、愛情と憎悪は紙一重の位置にある、とはよく言われることだが、それほど意味のある箴言とも思われない。すべての人間関係においてそうとは限らないだろうし、感情を向けられた当人にとっての苦痛の程度は憎悪、無関心、愛情の順に小さくなってゆくように思われるからである。助言や励ましのための方便にはなっても、それまでのことだろう。ただ愛情が憎悪に反転する瞬間があり、その甘美さと残酷さは語り尽くせぬ魅力を持っている。青春期の未熟な人間関係においてそれが露呈す

『ラヂオの時間』の痛苦と前進

今夏は上田慎一郎監督の映画『カメラを止めるな!』がずいぶん話題になった。ごく少ない上映館からの公開開始にもかかわらず異例の動員数を記録し、公開規模を拡大させていった。内容を明かしてしまえば、奇妙なホラー映像の本編を長時間のワンカットで見せたあとでその撮影の経緯をドラマ仕立てで見せて伏線を回収するという構成の面白さが魅力のひとつであり、画面の背後を種あかしのように披露することで観客に次々に発見の快楽を与えたことがヒットの要因だったように思う。しかし、前後半で物事の表裏両面を描き

『ハッピーアワー』の青空と未来

冒頭、トンネルの出口が明るく見える暗闇がうつし出され、やがて出口を抜けるとそこはケーブルカーの内部と知れる。肩を並べて座る四人の女性が親しげに言葉を交わしている。まもなく場面は転じ、雨にけぶる山上の四阿で先ほどの四人が弁当を食べている。曇って海が見えないことを「私たちの未来みたい」と嘆きつつ、有馬温泉に出かける計画を話し合い、楽しげに見える。主要キャストのクレジットのあと、神戸の街並を見下ろすショットに黄色く「Happy Hour」のタイトルとなる。二つの「H」がはじめに浮か

『ゾンからのメッセージ』の不可知論

夢のような映画を観た。草に覆われた小さな土手を、ひとりの女性が横切ってゆく。その画面の上方にひろがっているはずの青空の部分には、あきらかに空の色ではない、赤や黄の色彩がせわしなく明滅している。この地域は、「ゾン」と呼ばれる謎の現象によって外部から遮断され、その状態がもう二十年も続いている。不思議な空の色は、この「ゾン」によるものであるらしい。『ゾンからのメッセージ』の幕開けは、あまりにも不思議だ。 ここに暮らす人々の服装や髪型に特段の異状はないように見えるが、その常識は、い

『スノーピアサー』と革命の矛盾

韓国映画界最注目のひとりであるポン・ジュノ監督が「ハリー・ポッター」シリーズの制作陣と組んだことでも話題を呼んだ一作だ。未来の地球で、温暖化を阻止するために大気中に散布された特殊な薬品によって氷河期を招来してしまった人類は、わずかに銀世界を疾駆しつづける機関車のなかで生存していた。機関車の前方部に富裕層、後方部に貧困層、と住人たちは分断されており、前方部の住人たちは後方から容姿のすぐれた子どもや音楽演奏のできる者などを意のままに徴発する。その理不尽に耐えかねた青年カーティス(

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『ベイビー・ドライバー』の気ままなる活劇

運転手として銀行強盗や金品強奪の逃走を援助して報酬を得る青年の活躍と葛藤、恋愛の行方を追う快作である。鮮烈にして大胆なカーチェイスとそれに並行する魅力的な音楽が注目を集めた。同時期に公開された『アトミック・ブロンド』(17)の格闘シーンも、舞台となった80年代末前後の楽曲を効果的に使用していた。

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