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海外でマイノリティ経験するってこと

あれ、これ差別されてる?

海外に住み始めると、一度ではなく何度か経験する『あれ、これ差別されてる?』という場面。

わたしはあんまりひどい目にあった記憶はないのだけど、それはもしかすると、とっても嫌なことだから忘れているのかもしれない。

ニューヨークのころは、正直英語があんまり話せなかったので、差別されてる?みたいな疑問すら浮かんでこないくらい、英語をキャッチするのに必死で笑。だから、差別された記憶がない。ある意味しあわせだったかも。

ロンドンでは、いっこだけ、はっきり覚えてるのが、バス停で若い男性に唾を吐きかけられたことはある。でもそれも、彼が意図して私に向かってやったのかは、定かじゃない。そのときは、びっくりして怖くて、わたしはその場から逃げたから。「どういうこと?」って思ったけど、もちろん聞くなんてできなかったし。防衛反応としては、正しかった気もする。身を守るのがまずは一番。

イタリアに来てからは、ほんとに言葉ができなかったころには、あからさまな態度でイヤそ〜に対応されたことは何度もある。イタリア人は、イタリア語ができない相手には結構キビシイ(←わたしの個人的印象)。

それに比べて、ニューヨークとかロンドンは、外見とか言葉であからさまに差別をされることは少なかった気がする。大都会からかもしれない。

上海にも住んだけど、見かけは同じアジア人だし、つたない中国語で話しかけたりしても(まあ市場のおばちゃんとかレストラン、タクシーくらいだけど)ひどい対応とかはされた記憶がこれまたない。むしろへんなカタコトを話すアジア人に対しても優しかった。

どこから来たの?


ところが、こないだ久しぶりに「お、これは差別やん?」と思った出来事があったので記しておきたいと思った。

イタリアの、田舎町のプールに行ったときのこと。5歳の娘を連れているわたしにむかって受付のお姉さんが「どこから来たの?」とぶしつけな感じで聞いてきた。さすがにビックリした。

日本人で3年ほどイタリアに住んでいると話すと「こどもの顔がミックスだし、でもあなたの目はそんなに細くないね」みたいなことを返してきた。あとから来たイタリア人の夫に向かって「Complimenti!」とまで、そのねーちゃんは言った。コンプリメンティとは、イタリア語で褒め言葉。

わたしは意味が分からなかった。

差別の意識がない言葉

あとでこの話を伊夫にしたら、これは差別発言ではなくて「ただダイレクトな人で、狭い視野に住んでる人だった」と捉えればヨシと。ポジティブ〜

確かに、まだイタリア語が話せない頃は「どこから来たの?」とふいに聞かれると、差別なんじゃないかと思って怖かった。だけどある程度話せるようになった今は、相手の言いたかったことをくみ取れるようにはなってきた。

それは、会話をすることで、相手にもわたしの言葉が届くようになったし、それでわたしの人となりがちょっとでも伝わったからなんだと思っている。

だから、相手の話す言葉が使えるって、やっぱり大事だ。

もしわたしが彼女のことばで怯んでただびっくりして逃げたり、すぐに「差別だ!」って思いこんでたら、その誤解(かもしれない)は解けないままだったのだろう。

マイノリティであることを知る

日本を離れると、言葉の面でも見かけの面でも『マイノリティ』であることをいやというほど認識することになる。

伊夫は、ニューヨークでもロンドンでもマイノリティだって感じたことは一度もなかったと豪語してた。だけど、日本のど田舎のわたしの地元に来たときは、めちゃくちゃマイノリティって感じるらしい。街で見た目がモロ外国人な人に出会うことがないから。イオンに行ったときは、超ジロジロ見られてるわ〜って認識したそうな。東京では、外国人に慣れているので、そんなことはなかったのだと。

逆に言ったら、わたしはその気持ちをほぼ毎日、どこかに感じながら海外で生きてる。だからそれを伊夫にもちょっとわかってもらえて嬉しかった。って、小さなことだけどね。マイノリティとして存在する気持ちの共感って、パートナーとしては大事だと思うのだ。

人間が言葉を発すると、そこに『感情』が生まれる

マイノリティだから差別されてるかもしれない…っていう不安感は、正直いつまでたってもある。だからこそ、可能な限り『会話して対話して』、わたしはあなたの脅威ではない存在ですよ〜、だから大丈夫って自分から示していけたらと思って生活している。

AIでなんでもできるようになって、すぐ通訳してくれるし、言語なんて学ばなくてもいいじゃん、っていう意見もあるのかもしれない。だけどわたしは、それだと「見た目」で排他的に行動する人を増やしてしまうんじゃないかという恐れを抱いてる。

なぜかと言えば、人間が言葉を発すると、そこに『感情』が生まれるから。ロボットに任せた時点で、感情を無視してる。自分と同じ言葉を話す、もしくは話そうと努力している人に、わたしは敬意を示したいし、もっと知ってもっと仲良くなれそうだな、って思うから。

言葉で気持ちを交わしあうことは、とってもあったかいことなんだって思う。今度、あのプールに行ったら、きっと受付のおねーちゃんは、何もなかったかのようにいる。もしかしたら、こないだの会話を覚えてもいないかもしれない。それでいいのだ。わたしも、ダイレクトなおねーちゃん、とだけ認識しておこう。今度は何を聞いてくるんだろう。楽しみですらある。


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