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文学の価値とは何か


 現代の批評理論を追ってみたいと思う。参考書は、テリーイーグルトンの「文学とは何か」と研究社の「現代の批評理論」である。なんで、こんなことをするかというと、素晴らしい文学作品は何故素晴らしいと言えるのか知りたいからである。価値ある文学はどういうものを指すのか、自分なりの答えを得たいと思いたいからである。
よく「私の一冊」とかアンケートでやる。「今年の三冊」とか。みんなバラバラである。それは人それぞれでいいんだが、では「文学とは何か」と考えた時、そこに何か答えがないのか知りたいのである。相対主義のままで、みんな違ってみんないい、でよいのか考えるのである。みんな違ってみんないいなら、純文学とラノベは同格である。まして文学賞なんて価値はない。もっと言うなら、作家と素人の区別をつけるなんてナンセンスだし、文学そのものの価値なぞ測れないことになる。

いや、違うか。別に文学作品の順序を決めたいわけじゃないな。大江健三郎が好きで西尾維新が好きで構わないな。賞を取った小説が必ずしも優れているわけでもないしな。じゃ、なんだろう。
そう、私は文学の正体が知りたいのだ。文学というものがこの世にある意味を知りたいのかもしれない。あと、文学が文学たりえている秘密を知りたいのだと思う。文学は長く、私の人生で魅力的なものであり続けた。好きなものの中身をもっと知りたいというのは人間の性だろう。
文学を読むだけで満足できる人もいるだろう。ちょうど野球の観客のように。だが、恥ずかしながら、私も少し実作もする。プレーヤーでもあるわけだ。プレーヤーなら、スィングはどうすればいいのか、投げ方の基本は、とか知りたいことは山のようにある。野球の試合を楽しむのも野球の楽しみなら、スィングの理論を学ぶのも野球の楽しみではなかろうか。
つまるところ、私は文学をこじらせた人なのだ。だから同じく文学をこじらせた人たちの言葉に興味が尽きないのだ。
そういうことで、現代批評の歴史を辿りたいと思う。

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