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アイスネルワイゼン三木三奈3

第3場面 二人の母親との会話、そして謎

第3場面でも、第2場面に引き続き、登場人物の情報が会話形式で語られる。琴音の話相手は、ピアノレッスンをしている家の母親と自分の母親である。
以下、対比してみる。
ピアノレッスンの母を「ピ母」、自分の母を「自母」と表記する。

○与えてくれるもの
ピ母→ケーキ
自母→餅
※洋物のピアノはケーキとの親和性が高い。逆に餅は母との関係のすれ違いを象徴する。

○小林に対する評価
ピ母→信用できない。金に汚い
自母→実像は語らない。
※自分の周りのマイナス要素は語らない。

○クリスマスの伴奏の仕事
ピ母→正直うけたくなかった
自母→自分の演奏が評判で乞われた
※「自母」に嘘を言うのは、自分を価値ある人間と装いたいからだが、「自母」は琴音の才能を既に見限っている。

○お金
ピ母→レッスンの月謝をもらう。
自母→家賃の援助してもらう。更に3000円の上乗せを頼む。
※「ピ母」との雇用労働の関係は"対等"である。
「自母」とは援助するされるの関係である。"一方的"である。

○25日の彼
ピ母→知っている。プロポーズされると予想。
自母→存在さえ知らないらしい。
※「自母」へは秘密主義である。

と、まあこんな具合である。明らかに二人の母を対比的立場に置いている。
それは、二人との関係性の中で、琴音の置かれた状況をより明確にしたいからだと考えられる。
「ピ母」との関係は、契約という極めてドライな関係性の中にある。「ピ母」は話を聞いてくれ、無責任な感想を言う。琴音の生活・人生に干渉してくることはないから、本音を話せる。契約が終われば、関係性も切れるから、後腐れがない。
 血縁関係のある「自母」とは、一生関係は切れない。経済的援助を受けていれば尚更である。関係性は間違いなく重い。だから、琴音は易々と本音を語れない。母親に心配かけまいと本音を語らないのではなく、これ以上干渉されたくなくて、本音を語らないように見える。
 そして作者は、ここでも「自母」との会話を電話にする。なぜか。更に、電話の向こうの「自母」の声を記さない。なぜか。たぶん声まで出すと、抜き差しならなくなるからである。そうすると、小説のテーマが親子の確執となるからである。そうなれば小説に、和解か決裂か、いずれにしても決着が必要となる。そのことを書かなくてはならなくなる。こういう手法をとることで、この小説を親子関係をテーマにすることから回避できる。対立する母に顔はない。声もない。「自母」の存在は、琴音を取り巻く状況の、あるひとつの要因に過ぎない程度に低まる。

 さて、ここで対比以外の注目点は、琴音は何かあって前の職場には戻れない、と自身が語ることである。ここには、何か隠された事情がある。この謎は、物語を引っ張る力となる。読者は、語られる様々の言葉の破片から、その謎を解明しようとする。解明に届かないまでも、語られるエピソードから、この謎はどんな姿をしているのか見極めようとする。

 例えば、「ピ母」に「クリスマスにプロポーズされるんじゃない」と言われて「えー、どうなんでしょう」と琴音が笑って首を傾げる。後で、その時、ケーキのクリームが髪についていると分かるのだが、読者はそこにも意味を見てしまう。25日に、なにか悪いことが起きるんではないか、それは前の職場をやめたことと関係があるのではないか、と。
 作者の意図はどうであったかわからないが、結婚話が出ると嫌なことが起きたなあ、と覚えている読者は覚えている。そうしたことが、読めば読むほど重なっていく。冷蔵庫で冷やしておいたジュースが誰かに飲まれた時、誰が犯人か職場の人間の言動に異常に敏感になる、アレである。
あたかも、全てがニオワシ、全てが伏線、全てが25日への、職場を辞めたことへの、何かのヒントような気がしてくる。

これはこれで、作者の手である。







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