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アイスネルワイゼン三木三奈5

第5場面 優の家

琴音は優の家に行く。
家に上がる時、優はホコリが残ってないか気にする。人を招待してるのに、家にホコリ? 読者は軽い違和感を持つ。
 それは伏線となるのだが、それがわかる前に優と琴音は持つ者と持たざる者で対比されていく。持たざる者は勿論琴音である。

優は家庭をもっている。優しい夫と賢い息子を持っている。琴音は独身である。
プレゼントに持ってきた地球儀を優の息子は既に持っている。しかも息子の地球儀は、ひとまわり大きい。
優はウクレレ教室という、音楽を楽しく真剣に学べる場を持っている。琴音のレッスンに音楽の喜びはない。
優の子供は毎日讃美歌を歌っている。優は歌を持っている。琴音に、聞こえるように歌ってあげなさいと言われると、子供は歌をやめてしまう。

 逆に琴音にあって、優にないものもある。
 視力である。
優は、遺伝性の病気で将来必ず失明するという。今も大きなものは見えるが、小さなものは見えない。
だから、うちにホコリがあっても見えない。
子供が降るのを見つけた粉雪も見えない。
子供の視力も、やがて失われるかもしれない。それを優は恐れている。
だから、友人の中で視力のことをことさら話題にしない琴音に、優は感謝している。イブの日に琴音が呼ばれたのも、それが原因なのかも知れない。だが、感謝の言葉を言う優に対して、琴音の反応は、どこか他人事である。「そうなんだ」を連発する受け答えには、本当に優のことを思って、視力のことを話題にしないのか、疑問が残る。

そして、琴音と優の関係性は、徐々に不穏なものとなっていく。

 優に粉雪を見せられない息子が泣く。優が抱きしめると、子供は「ママのこと、愛してますから」と言う。

琴音はギョッとする。

次に、優が息子に、「ママも愛してるよ」と返す。夫も「パパも愛してるよ」と合わせる。そして最後に息子が夫に、「パパも愛してる」と言う。
 琴音は子供を、いい子と言い、名前もいい名だと言う。 優は、聖徳太子に因んで、息子の名前を「太子」つけた、と答えた。それを聞いて、

琴音は口元に手をやり、チラッと夫を見る。

反応して、夫は「田口さん。笑ってるよ」と言う。
よせよ、そんな親バカ丸出しの話、琴音さんに笑われてるよ、というわけである。
琴音はすぐに「笑ってないです」と言い、「笑ってないからね」と優に念押しする。
優は「わかってるよ。ことちゃんは、そんなことで笑う子じゃない。ことちゃんはいい子なんだから」
と言う。
 だが、琴音は明らかな確信犯である。わざと夫に笑うような仕草を見せて、夫の言葉を誘っていらる。琴音はなぜそのようなことをするのか。それは多分、優が「愛」を持っていて、琴音が「愛」を持ってないからだ。
 琴音は「愛」という言葉にギョッとした。「愛」という言葉に過敏にならざるを得ない状況が、今、琴音にはある。確信犯と言ったが、もしかしたら琴音は、「愛」という言葉を聞いて、無意識のうちにシニカルな気分になってしまったのかも知れない。それで、子供の名前が聖徳太子から来ているという、ただ聞き流せばいいようなことを笑った。そう、琴音にとって「愛」ある関係は笑うべきものなのだ。それは今、自分の「愛」が笑うに価するものだという自嘲なのだろうか。
 琴音は1年前まで会社員だった。そこでピアノを大人にも教えていた。彼氏は転勤で、今T市にいる。これから深夜バスで向かうつもりだ。
 普通に考えれば、琴音と彼氏は同じ会社にいた。一年前、何かがあって、琴音は会社を辞めた。彼氏は転勤した。琴音の「愛」はこの彼氏にあるはずだ。しかし、二人の間に「愛」があれば、「愛」という言葉にギョッとする必要などはない。むしろ「愛」という言葉に、親和的になるはずである。「愛」が優の家族にあるのなら、その「愛」ある関係を祝福するはずである。それができずにギョッとするのは、琴音と彼氏の「愛」が、今、揺らいでいるからではないのか。
 そのことを知らない優夫婦は、やれ新幹線代をだしてもらえだの、やれ恋人ならそれが当然だの、好きなことを言う。琴音は笑ってその話に乗っかるしかない。二人は琴音たちに「愛」があると思っているのだから。自分もまだ、そこに「愛」があると信じたいから。

 その後、子供が琴音に見せたいものがあると言い出す。ついていくと、そこにはピアノがあった。琴音は眉をひそめる。状況は少しずつ、琴音を追い詰めていく。


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