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アイスネルワイゼン三木三奈10

第10場面 深夜バス

琴音は駅に着くと、ドラッグストアで妊娠検査薬を買って、捨てて、バスに乗り込んで、座席が違うと追い立てられて、母親に電話する。
 誕生日プレゼントにカシミヤのマフラーを送ったと言うと、もう買ったと言われる。家賃のことをまた言われる。自分は今の仕事を辞めて事務員になると言う。加藤ができるなら自分もできる、と言う。母親に嗜められたらしく、琴音は激昂して、お母さんは私に何もくれなかったと言い電話を切る。
 妊娠検査薬を捨てたのはなぜだろう。必要ないからだ。自分は妊娠している。優は、検査薬だと正確なところはわからない。病院に行こう、と言った。わからないなら、妊娠してない可能性もあるはずだ。確かめようとしたのかも知れない。でも無駄だ。自分は妊娠している。分かっている。それで捨てた。
もう周りに頼る人はいない。それで、母親に電話する。妊娠のことまで相談するつもりはなかったろう。ただ自分に寄り添ってくれる人が欲しかったのだろう。でも、母親は小言ばかりを言う。琴音は電話を切る。いよいよ誰もいない。他に誰か、と思った時、加藤の作った曲が浮かぶ。
 作曲の才能があって、親が倒産して事務員になった同級生。薄い薄い繋がりだ。今まで友達とも認めてなかったような同級生。なのに、彼女の曲が口から漏れる。
 琴音は加藤にLINEする。
高校三年の冬休みに作曲したあの曲の音源が欲しい。
事務の仕事がしたいので話したい。
そしてキティのスタンプを送る。

2時間後、返事のメールが届く。
加藤の妹からだ。加藤は既に死んでいた。曲は妹がインフルエンザで伏せっていた時の誕生日プレゼントだった。アイスケーキを買って帰る時、浮かんだものだという。アイスケーキにちなんで「アイスネルワイゼン」と命名された。音源はないが、妹は覚えているので弾いてもいい。その時楽譜もお渡しする。
とあった。
 琴音は返事をしない。バスの窓ガラスに「アイスネル」と書き、すぐに消す。男が近づいてきて、光が漏れるのでカーテンを閉めてくれ、と言われる。琴音は感傷することすらできない。
琴音には誰もいない。いるとすれば、それはT市にいる彼氏だけだ。おそらく琴音との不倫で転勤を余儀なくされた彼氏。琴音は彼氏に会いに行くためにバスに乗っている。しかし、約束は本当にあるのだろうか。会えたとき、琴音は妊娠のことを、切り出せるのだろうか。いずれにしても、琴音に残された人は、彼氏しかいない。

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