見出し画像

小説精読 少年の日の思い出1



言わずと知れた、青春の巨匠ヘッセのお作でございます。まずは、冒頭の場面、これ必要のか問題から進めましょうか。
別にこの冒頭部分がなくても、物語としては成立します。冒頭が作中の現在で、この後客の少年時代の回想に入るが、回想に行きっぱなしで、現在には戻ってこない。で、この場面いるのか。いるんです。激しくいるんですな、これが。
このお話、客が夕方の散歩から帰って、私の書斎で雑談するところから始まります。もう夕暮れ近くで、窓の外には湖が見えている。
湖の側で書斎のある家。二人のベシャリも「悪く思わないでくれたまえ」とか。しかも私は葉巻をくゆらす。ハイソだな、おい。
そうです。二人はハイクラスの人間。人生の成功者として描かれる。何故?
それはね、この後の話が悲惨すぎるから。救いがないっちゃあ、そら、まぁ全く救いがない。こんな目にあって、この少年は大丈夫なのだろうか。この先、ちゃんと生きていけるのか。なんて、暗い予感が読後に残る。はずなのに、それはない。なぜなら、読者は知っているから。少年は人生の成功者になるってことを。
そうです。冒頭部分は物語のセーフティネットなのです。散々悪口言った後、でも「いい人」って最後に付け加えるようなもの。て違うか。
ともかくも、少年はこの経験を糧として立派な人間になりました。それを読者に予め了承させるために、冒頭部分は必要。
あとひとつの冒頭部分の必要性については次回。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?