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「星辰欽仰」

 明け方、這うように部屋に戻り、疲れた身体をベッドに沈ませる。頭の片隅ではシャワーを浴びようとか、化粧を落とさなければと考えてはいるものの、起き上がることはできない。神経はピンと張りつめているのに気分は爽快で、柔らかく、温かい布団に包まれて私は私を維持したまま、この、三階建のアパートの床を抜け、二階も一階も抜け、地球のマントルの奥深く、どこか別の世界へと落ちていく。  わずか三時間ほどの短い眠りのあいだに、これまで出会ったさまざまな人や場面が走馬灯のように現れては消えていった

    • 「公園」

       記録的な猛暑が続いていた八月のある日、すでに時間は午後の三時を過ぎていたが陽は天頂に留まり肌を焼くような痛みを伴った光線は街を歩く人間を威嚇し、じりじりと苛立たせ、こんな日がこれから一月以上も続くのかと考えただけで人間を殺すのに充分なほどであった。  ひとりの男が、整ったオフィス街の歩道を足をひきづるようにして歩き、暑さに不平を述べる相手もおらず、そんな元気もなく、ただ一刻も早くこの日差しを遮ることが可能な場所を探さねばならないという風に、黙々と歩いていた。  男は見たとこ

      • 「赤い橋」

        「赤い橋」  町外れを流れる川にかかった橋の傍で、帽子を被った青年が独り、釣り竿を垂れている。  太いミミズを付けた仕掛けを投入してから早三時間、竿先に付けた鈴はチリンとも鳴らない。陽が落ちて時間が経っても気温は依然として高いままで、昼間温められた川の水は濃緑に淀んで、静かに溜まっていた。付近の森では時折蝉が思い出したように短く鳴き声を上げ、夜行性の獣や、虫の這い回る音が顕微鏡を覗くように聞こえてくる。  青年は黙って闇の中の竿先を見つめながら、咥えたままの煙草に火も点けず

        • 「舞台」 2

           食事を終えてレストランを出るとほとんどの建物はもう入り口を閉めていたが、ショーウインドーだけはまだ煌々と灯りを点けて通りを照らしている。金属製の円盤が放射状に並んで輝いているエルメスの光線に眩しさを感じながら二人は歩いた。  そこで初めて幸一は葉子の低いヒールの靴音を耳にして、その親和的で軽やかなリズムに心地よさを感じていると、どこからかメロディーが聞こえてきた。二人で立ち止まって辺りを見回してみると、少し離れた通りの先に三人組のバンドが演奏しているのが見えた。バンドが演奏

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        「星辰欽仰」

          「舞台」

           十月の始めの頃、幸一は葉子と映画を見にいった。葉子は幸一のアルバイト先の元同僚で、 幸一が大学を卒業した後もそこで働き続けているのとは違い、彼女はほかの多くの大学生と一緒にどこかの会社に就職して、東京のどこかのビルで働いている。  夕方の四時半に地下鉄半蔵門線大手町駅で待ち合わせ、幸一は改札の傍ですることもなくただ立っていたのだが、女の子とデートをするときに幸一はいつも約束の時間よりも早く来て、やってくる相手を先に見つけるのをすこしドキドキしながら待つのが一種の癖のようにな

          「星辰欽仰」 5 終わり

           民宿はいわき市の郊外にある、高台の中腹に立つ二階建てのペンション風の、おしゃれな建物だった。敷地内にもう一棟、同じような建物があり、そちらがオーナー夫妻の住居となっていた。事前に電話をしていたので門の前で出迎えてくれたオーナーの本間さんにご挨拶をした。ちょび髭に眼鏡は福永さんと同じだが、背の高い頑丈そうな体つきで、常に穏やかな笑顔を浮かべているおじさんだった。  民宿の建物は一階が食堂兼談話スペースで、二階は宿泊客の個室が五つ並んでいる。他に宿泊客はいないようで、本間さんが

          「星辰欽仰」 5 終わり

          「星辰欽仰」 4

           一時間ほどかつての街で過ごしてから、出発した。もう日暮れも近い。ここから先数キロしか進めないはずだが、行けるところまで行ってみようという話なので道なりにそのまま進んでいく。今晩は福永さんの友人がやっているといういわき市内のペンションに泊まる予定だ。街灯もない道を、太平洋に沿って走り続けていく。対向車はいない。  幾つかの街と、街であった場所を通りぬけながら進んでいくと、唐突に真新しい銀色のフェンスで作られたゲートに進路を塞がれた。既に広野町の端の方まで来ていた。  ここま

          「星辰欽仰」 4

          「星辰欽仰」 3

           海沿いの道にもどり、塩屋崎灯台周辺をしばらく進んでいくと一軒の定食屋があった。私たちはハイエースを停めて中に入った。他にも何台かワゴン車やトラックが店の前の駐車場に停まっていて、お昼時を過ぎていたのに店内には十人ほどの客が食事をしていた。老夫婦が営む昔ながらの定食屋さんといった感じだ。壁に掛かった品書きを眺め、福永さんはカツ丼を注文した。松山くんもカツ丼を頼み、私はざる蕎麦を頼んだ。  通常、映画のスタッフはロケ中に外食する場合、目上の人が注文したものと同じものを頼むように

          「星辰欽仰」 3

          「星辰欽仰」 2

           三十分ほど走って、茨城県つくば市に入った。もう周囲には建物の姿はまばらで、ガードレール越しに見える眺望には緑の平野が延々と続いている。そのほとんどはゴルフ場だ。都会の景色との差異を出したいので私は何カットか撮影した。明るい日差しの下の世界は平穏でなにごともなく、だがなにごとかを孕みながら、華やいでいる。  こうして見ると関東って平らですね、と松山くんが言った。そりゃそうだろ、関東平野なんだから、と福永さんが答えた。もともと関東ってのは狩り場なんだよ、と言う。狩り場? と私が

          「星辰欽仰」 2

          「ケーキ」

          「ケーキ」  健一が小学校三年生の時に、クラスメイトのお母さんが亡くなった。  ある日、健一が家に帰ると、母がキッチンから出てきてこう言う。 「あんたのクラスの戸次くんのお母さん亡くなったのよ。この後お葬式があるから、そのまま制服着てて」  健一はランドセルを背負ったまま、 「わかった」とだけ答えた。  夕方のテレビを見るために居間のソファーに座るとゴジラがやってきたので、持ち上げてもみくちゃにしたらゴジラはとても迷惑そうな顔をして逃げていった。ゴジラというのは、そのころ家

          「ケーキ」

          これから定期的に小説を投稿していこうと思います。

          短いものから、すこし直しを入れて。まずは縦書きに変更するところから。 これを読む人がいるのかどうか、正直分からないし、どこの馬の骨とも知れぬ者の書いたものを読みたがるような物好きがいるのかもわかりません。 どうせ読むのならば、ロベルト・ボラーニョやカフカや、アイン・ランドを読みたいし、ヘミングウェイに遠藤周作、カポーティやジッドもいい。 そして古典を読む方がわたしは好きです。しかし彼らの作品は新たに書かれることはない。 新しい小説は今を生きる人間にしか書けない。死んだもの

          これから定期的に小説を投稿していこうと思います。