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       「星辰欽仰」

 明け方、這うように部屋に戻り、疲れた身体をベッドに沈ませる。頭の片隅ではシャワーを浴びようとか、化粧を落とさなければと考えてはいるものの、起き上がることはできない。神経はピンと張りつめているのに気分は爽快で、柔らかく、温かい布団に包まれて私は私を維持したまま、この、三階建のアパートの床を抜け、二階も一階も抜け、地球のマントルの奥深く、どこか別の世界へと落ちていく。
 わずか三時間ほどの短い眠りのあいだに、これまで出会ったさまざまな人や場面が走馬灯のように現れては消えていった。不思議とそういう夢のなかで、さも大事そうにクローズ・アップされる人物は、親や恋人や、仲のよい友人などではなく、過去にほんのひとことふたこと、言葉を交わしただけだったり、すれ違いざまに視線が交わっただけのような、実際の私の人生においては、瑣末な役割の人たちばかりだったりする。

 宮崎英介くんも、そのような端役の一人。私の通っていた区立中学の同級生で、肌が白く、ひょろっと痩せていて、女みたい、という言い方がしっくりとくるような線の細い男の子だった。女の私よりもよっぽど女性っぽいところがあったが、オカマっぽいとかそういうことではなく、歌舞伎の女形の化粧でもしたら抜群に似合いそうな、どこか上品で儚げな雰囲気を纏っていた。
 私と彼はクラスメイトだったことはない。同じ中学校にいるので互いの存在を知ってはいたし共通の友人もいたはずだが、口をきいたのはたった一度きり。それも偶々、学校帰りに校門を出るタイミングが一緒になったので、その日あったテストのことや、半年後の受験のことなどを軽く話しただけだ。時間にしてみれば五分ほど。私は電車通学だったので駅の方へ向かい、バス通学だったらしい彼は大通りの方へ向かうので、十字路で、じゃあ、と別れの挨拶をした。それから以降二人きりで話をしたことはないし、その後、彼がどこの高校に進学し、その後どうなったのか、今なにをしているのか、私は知らない。
 他の多くの同級生と同じように、顔も名前も、段々とうろ覚えになって忘れてしまうような、印象の薄い間柄であったはずなのに、成人して久しい私の夢や、想像や、ときには白想にまで、ふいに彼が現れ、十年前と同じ、黒いつめ襟の学生服に、ほっそりとした白い顔を乗せて、離れたところからこちらに向かって微笑んでくる。私は彼に声をかける。宮崎くん、と呼んでみる。しかし彼は答えない。なにかを言おうとしているような感じはあるが、その口が動くことはない。私は彼が現れるとどうしようもなく悲しい気持ちに襲われる。ノスタルジックな気分になってしまう。中学生の頃の私が、彼のことを好きだった、好意を持っていた、とかそういったことはない。ただ、彼を見ると悲しくなるのだ。
 私は彼に会いたいと思った。しかし具体的に行動して、今の彼がなにをしているのか、どこにいるのかを調べて、会いにいくようなことはしたくない。私は今の彼ではなく、あのときの彼、中学生の姿のままの彼に会いたいと強く思うようになった。それがなぜなのかはわからない。
 誰にも、私にとっての宮崎くんのような、家族でも恋人でもなく、友人ですらない、しかしその後幾度も現れる、謎のメッセージを持った人物がいるのだろうか?

 集合時間の十分前、午前八時五十分に渋谷駅近くの指定された場所にいくとハイエースの横で煙草をくわえている監督の福永さんと、制作部助手の松山くんがこちらに手を振っているのが見えた。私は小走りで駆け寄って、おはようございますと元気よく挨拶をした。
 目の前にコンビニがあったのでなにか買ってきたほうがいいですか? と聞くと、福永さんが、いや、向こうに着いてから適当に飯を食おう、と言うので私は車のハッチを開けて、先日積み込んだ機材の確認をした。今朝まで充電していたバッテリー四つを忘れずにリュックに入れてきたことも確認した。全部大丈夫です、行きましょう、と私が言うと、おう、と福永さんが答え、松山くんは運転席に乗りこみ、私はビデオカメラを抱えて助手席へ、福永さんは後部座席に陣取った。

 ハイエースはぶるるんとエンジン音を立て、震えながら六月の東京を走りはじめた。天気予報では今日も明日も東日本は快晴で、雨は降らないということになっている。
 車が走り出してからまだ首都高にも入らないうちに、後ろで福永さんが鞄をがさごそと探りながら、あれえと頓狂な声を上げた。どうしました? と聞くと、困ったなあ、置いてきちゃったよ、とぼやいている。すると隣で松山くんがくすくすと笑いはじめ、ちゃんと持ってきましたよ、監督。昨日打ち合わせのときにファミレスの机に置きっぱなしなんですから、と言い、カーキ色のシャツの胸ポケットから小型のICレコーダーのようなものを取りだした。それ、なんですか? と私が聞くと、ガイガーカウンター、と答えた。福永さんがすぐ、ガイガーじゃないよ。線量計、と訂正した。
 私にはガイガーカウンターと線量計の違いは分からない。だが、監督の福永さんが違うと言うからには、きっと違うのだろう。

 私たちが向かっているのは東京電力の福島第一原子力発電所周辺で、昨年の三月十一日に震災による津波でメルトダウンを起こし、今も周囲三十キロは立ち入り禁止となっている。発電所自体を撮影したいわけではなく、先月まで撮影していた「償い」という映画の登場人物が東京から車で原子力発電所に向かう場面があるため、その車窓から見える風景を撮る必要があった。映画本編は私の師匠であるカメラマンの高木さんが担当していたが、このような実景の撮影には助手の私が一人で行かされることが多かった。
 試しに、ここで計ってみようか。坂井さんにも使い方を教えるよ、と福永さんが言うので、私は手に持った小型の線量計で六本木通りを走る車内の線量を計ってみた。電源ボタンを押すと小さな液晶画面が点灯し、ピッピッと規則的に機械音を立てはじめる。十五秒ほどすると、液晶画面上に計測した放射線数値が表示される。黙って待っていると、0.02マイクロSVと出た。読み上げると、まだまだだなあ、と福永さんはひとりごち、松山、それ持っててよ。おれすぐ失くしちゃうからさ、と言う。松山くんはわかりました、と言って私から受けとった線量計を再びシャツの胸ポケットにしまった。
 ハイエースは谷町ジャンクションから首都高に入り、環状線にのって皇居の横を通過していく。千代田トンネルを抜けたところで堀の水面に反射した光がまぶしく私の眼を照らした。サングラスをかけた松山くんが、よい天気ですね、音楽かけたくなっちゃう、と言った。カメラ回すから駄目だよ。ドライブじゃないんだからさ、と福永さんがすこし怒った声を出した。本当に怒っているわけではなく、一応の注意、という感じで。すみません、とすぐに松山くんは反省した。それに、お前がかけるBGMはうるさくてかなわん、とも。平日のためか首都高はさほど混雑もしておらず、ハイエースはあっという間に都心部を抜けて隅田川沿いを進んでいく。建設途中のスカイツリーの傍を通った。震災当時、こんな細長い形状でよく倒れなかったものだと私は感心したが、中で働いていた知りあいが言うには、かなり色々なものが壊れたらしい。色々なもの、とはどのようなものなのか、具体的に聞いておけばよかった。

 埼玉県に入り116号を北上する。常磐道の本線料金所を過ぎたあたりから徐々にダンプカーや大型トラックが増えてきた。土木工事用の重機を乗せたトラックに何度も追い越されていった。みんな、被災地に向かってるんだろうな、と福永さんが言った。復興の? と私が聞くと、そう、と答える。あ、坂井さん、次の表示板いちおう撮っといて。私はすぐにビデオカメラの電源を入れ、足の間に挟んでいた三脚のヘッドを調整してから、まだ五十メートルほど先、進行方向にある行き先表示板を撮影した。フロントガラス越しにカメラを回すので映り込みが心配だったが、順光だったので問題はなかった。
 私がカメラを回しはじめると、途端に車内の空気が変わり、一種の緊張感が満ちた。後ろで、ケーブルでつないだモニターを黙って見つめていた福永さんが、よし、いいよ、と言ったので私はボタンを押して録画を停止させた。すこし速度を落としていた松山くんが再びアクセルを踏み込んでハイエースを加速させる。もっと車が増えてきたら、周りの風景も撮ろう、と福永さんが言った。わかりました、と私は答えた。
 インサートに使われる映像なので実際に本編に乗るのは1秒から2秒ほどのカットが2、3個だと思われる。その数秒の映像のために、こうして現地まで行かねばならない。とはいえ、カメラが回っていなければどこか旅行のような、軽い気持ちもあるにはあった。
 快晴の空は青々として、日差しはあたたかく、眠気を誘われる。松山くんはグローブボックスからガムを取り出して噛みはじめた。私は煙草を吸いたいと思ったが、それはもっと先のサービスエリアまで我慢しなければならなかった。その間も数回、福永さんの指示で何カットか撮影した。遠ざかる町並みや、続々と走るトラックの列、過ぎていく電光掲示板。ボールドを入れられないので、1カット撮るごとに私は小さなメモ帳にそのカットの内容と、ナンバーを記録していった。素材は多ければ多いほどいい、と福永さんは言った。一時間ほど走って、最初の休憩をとった。

 守谷のサービスエリアでトイレをすませ、煙草と飲み物などを買い、私は外の喫煙所に向かった。サービスエリアの駐車場は沢山の大型トラックで埋まっていた。その中に私たちが乗ってきた白いハイエースがちょこんと停まっている。
 喫煙所では福永さんと松山くんが先に煙草を燻らせていた。私も傍に座って、煙草に火を点けた。松山くんが、坂井さん、マイセンですか? すごいですね、と言ってきた。女のくせに男のような煙草を吸う、と言いたいのだろうが、もう言われ慣れているので私は適当に相づちを打つだけにした。ぼくは、いや、おれは、あんまり強いのは無理だな、と、私が聞いてもいないのに言う松山くんは、最新の電子煙草を吸っている。電子煙草なんて軟弱なやつが吸うものだと私は思う。日立までここから一時間くらいかな。まあ、混んでるからもうすこしかかるかもしれないけど。途中でもう何カットか素材を撮って、その後は海沿いを進んでみよう、と福永さんが言う。私は、はい、と答え、わかりました、と松山くんが答えた。まあ実景撮りではあるんだけど、半分は、去年とどれくらい変わってるか、この眼で見てみたいというか、それと、まだ見れてないあたりを回ってみようと思うんだ、と福永さんは言った。
 福永さんはテレビディレクター上がりの監督さんで、震災が起きてすぐに福島の南相馬や岩手の陸前高田にカメラを持っていったらしい。その時の話は断片的には聞いていた。私は震災後に福島に行くのは初めてだ。というか、東北地方にいくこと自体初めだ。元の景色を知らない私に、どう変わってしまったのかを知ることはできるのだろうか。 

 初夏の風は頬を撫でて通りすぎていく。煙はふわりと漂い、喫煙所の横の花壇にはブーゲンビリアの花が咲いていた。その淡い紫色の花弁の周りを何羽もの黄色い蝶が飛んでいる。高速道路のサービスエリアには蝶が多い。高架下の林や、森から飛んでくるのだろう。花壇には天敵になるカマキリもいない。守谷のサービスエリアにはすぐ横に大きな池、おそらく農業用水のための溜池があるので、そのあたりで繁殖しているのかもしれない。そんなことを考えていると二人が立ち上がったので、私も煙草の火を消してベンチか ら離れた。

                              (続く)

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