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「スーツ=軍服⁉」改訂版第43回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載43回 辻元よしふみ、辻元玲子

英国軍艦「ブレザー号」の逸話

では、ダブルブレストのブレザーの起源はなんであろうか。
シングルのブレザーには、ゴルフ・クラブ用のブレザーに見られる赤や緑の原色や、英国のレガッタ競技のシーズンに見受けられる派手なストライプ入りのブレザーなど、いろいろな色彩のイメージがあるのだが、ダブルとなると圧倒的に、紺色のネイビー・ブレザーのイメージが強い。これは当然で、やはり由来は英海軍なのである。
一般に言われている説としては、一八三七年、あるいは四五年に、ヴィクトリア女王の観閲を受けることになったフリゲート艦「HMSブレザー」艦長が、乗組員にそろいの制服を着せることを思いついたのが始まり、というものだ。このときは水兵用のピーコートを基本とし、海軍の金ボタンをつけたダブルの上着をあつらえたのだという。フリゲートというのは、大きな戦列艦の周囲を護衛したり、快速を生かして偵察をしたりする小型軍艦のことだ。HMSというのは「女王陛下の」または「国王陛下の」という枕詞だ。チャールズ二世の時代にロイヤルネイビーとなって以後、英海軍の軍艦の艦名には必ず頭についてくる。というか、HMSとあれば、なんの説明がなくとも英海軍の艦艇のこととなる。
英国海軍の歴史を見ると、一七四八年に士官の階級が整理され、士官用制服も決められた。ネイビーブルーの色調は、赤を基調とした英国陸軍とは好対照で、ちょうどその時期からインドのインディゴ染料が手に入りやすくなったことも背景にある。
一七九五年ごろから将官の袖に例の金色の階級線が入り、やがて十九世紀半ばまでに一般の士官にも広まる。だからこの時代、艦長などの士官にはちゃんと紺色の制服があった。折り返し襟のナポレオン風燕尾服で、艦長以上は金の肩章や刺繍で飾った。

「セーラー服」は1857年に制式に

しかし、下士官や水兵にはまだ、制服はなかったのである。士官の制服は自前であるのがどこの軍隊でも原則。しかし兵士については給与も低く、国がお仕着せを支給しないと制服はそろわない。陸軍はすでにルイ十四世の時代、一六六一年に連隊ごとのユニフォーム制定が当たり前となったが、軍艦は乗ってしまえば敵と味方の識別は無用。特に船上での斬り合いはなくなって専ら遠距離での大砲の撃ち合いとなったから、水兵の制服はいちばん後回しとされたのも当然である。ただし、フランス海軍はやはりルイ十四世の時代に士官の制服を定めており(一六六九年)、海軍用の軍服としては世界最古であった。英国海軍はこの点では大きく後れを取ったことになる。
いわゆるセーラー服が海軍で支給されるのはそろそろ蒸気船の時代となる一八五七年(異説もあるがこの前後の年なのは間違いない)。その前、ネルソン提督の時代にも原型となる服はあったのだが、あくまでも個人の工夫であって国が制定した服装ではなかった。あの大きな四角い襟はそもそも当時流行のお下げ髪で上着が汚れないための工夫だといい、三本のラインはネルソンの生涯を飾る三つの海戦での勝利を象徴するという説がある。後者についてはしかし、三つ目のトラファルガー海戦でネルソン本人が戦死しているにもかかわらず、ネルソンの生前から三本白線のセーラー服が存在したので、根拠に乏しい。また、帆船時代にはマスト上の水兵が四角い襟を立てて、遠くの号令を聞き分けたという逸話もよく紹介されるが、実態はよく分からない。
ちなみに、既述の通り、セーラー服が子供服や学生服になるのはヴィクトリア女王がエドワード・アルバート皇太子にセーラー服を着せたためである。
ともかく、当時の帆船のマストにずらりと乗員が並び、女王陛下に総衛兵礼式の整列をご覧いただくには、やはり服装もそろっているほうが望ましい。ということで、ブレザーの艦長はおそらくは自腹を切ったのだろうか、どうしたのか知らないが、水兵まで全員の制服を艦独自で制定したことになる。
一八三七年というとヴィクトリア女王が十八歳で即位した年である。即位後すぐに観艦式というのはありそうな気もするが、それで女王が「水兵の皆さんも制服をそろえると素敵ですこと」と仰って、それで水兵の制服導入につながった、とよく説明される流れから言うと、実際のセーラー服の支給まで二十年も時間がたっている。
これについては、英海軍の公式サイトROYALNAVY.mod.uk http://www.royal-navy.mod.uk/のNavy Slang(海軍の俗語)コーナーで、「HMSブレザー(J・W・ワシントン艦長)で一八四五年に、乗員の服装を紺に白のストライプが入ったジャケットにそろえた。これはもちろん、下士官兵に制服を支給するようになるより前のことである」との記述を見つけた。日本でよく言われている通説の一八三七年と年代がずれる。が、ここから十年ほど後で海軍の水兵服支給が始まる、ということで、一八四五年説のほうが、正しい気もする。

平和任務で名を残した名艦

 ほかにも、フリゲート艦ブレザーについて調べると、一八四三年に英東海岸を測量した海図というのが見つかった。艦長はJ・W・ワシントンとある。
 またこの艦はオーウェン・スタンレー艦長の艦隊に従いオーストラリアからニューギニアの測量遠征に従事したり、海底ケーブルの敷設作業に活躍したりと、戦争ではなくてかなり平和的な任務で大活躍したようである。英仏海峡に海底ケーブルが敷設されたのが一八五〇年、それを利用して、翌五一年にロンドンとパリのマーケット情報を配信し始めたのが、今日まで続くロイター通信社である。
 もし一八三七年、女王即位のときの観艦式がブレザー発祥だとするとワシントン艦長かどうか分からない。しかし四五年ごろ、とするなら確かに、この時期の指揮官はワシントン艦長という人物だったのは間違いないし、ブレザーの逸話の主もこの人に違いない。やはり一八四五年説の方が通りが良いようである。

 ◆4代目「ブレザー」号

 なお、英海軍では長い歴史の中で、伝統ある名前を何回も繰り返し軍艦に命名している。たとえばロイヤル・オーク(王家の樫)という艦名は、戦に大敗して命からがら樫の巨木の洞に逃げ一夜を明かしたチャールズ二世の故事から、十七世紀後半に初代が命名された。
十九世紀後半の装甲艦七代目「HMSロイヤル・オーク」は八角形の船窓を持っていたので有名だった。余談だが、後にオーデマ・ピゲ社が八角形のスポーツウオッチを「ロイヤル・オーク」と命名したのはここに由来する。第二次大戦では八代目の戦艦「HMSロイヤル・オーク」号がドイツ潜水艦Uボートに撃沈される悲劇で有名になった。
 「HMSブレザー」も、ワシントン艦長のフリゲート艦のほかに何世代もある。はっきり記録が分かっているものでは一八六八年就役の砲艦ブレザー(五代目)、七〇年に就役した砲艦ブレザー(六代目)などがある。そして、時代はぐっと下って一九八六年に就役の警備艇ブレザー(八代目)が現在も活躍中だ。これで分かるように、「まばゆく燃えるようなもの」という意味の「ブレザー」はフリゲートや砲艦など小型艦艇のもので、大型艦の名前ではないようである。
 おそらく、ワシントン艦長のフリゲートは、四代目ということになるのだろう。だが、私はこれ以前の記録を見つけることが出来なかった。

 ◆海軍士官のジャケットはダブルのブレザーに

 さて、時代は下り、水兵もセーラー服を支給されるようになって、英海軍の制服も現代に近づいた。第一次大戦後、さすがにフロックコート式の制服は古くさい、というかフロックコート自体がこの時期に廃れてくるために、海軍士官の制服は裾が短いダブルの上着ということになる。
 ということで、結果としてそれ以後の英海軍の士官制服はまさに紺色のブレザータイプである(ただし将校用の上着のボタンの数は八つで、普通は六ボタンまでの民間用とは違う)。これにならった世界各国のほとんどの海軍、また日本の海上自衛隊の制服も、今日までダブルのネイビー・ブレザーなのは言うまでもない。また、ドイツ海軍の上着は伝統的に、左右で十個もの金ボタンを飾るが、おそらくブレザーの世界でも最もボタンが多い形式なのではないだろうか。


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