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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第114回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載114回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

第十一 サングラスと眼鏡、万年筆、傘の章

眼鏡はフランシスコ・ザビエルが日本に持ち込んだ

眼鏡という物はすでに十三世紀後半にイタリアで発明され、一五五一年には戦国時代の日本に宣教師フランシスコ・ザビエルが持って来たという。徳川家康なども老眼鏡の愛用者だった。
十八世紀半ば、英国の技術者ジェームズ・アイスコフが色つきレンズの眼鏡の研究をし、欧州の避暑地や、アメリカ南部の日差しの強い地方では十九世紀中にサングラスがかなり広まっていた。
しかしあくまでも一部の洒落者のアイテムであり、一般的に色付き眼鏡が普及するのは二十世紀、第一次大戦後のアメリカで、一九二九年にサム・フォスターがニュージャージー州のアトランティックシティ海岸で売り出して評判になった「フォスター・グラント」が、最初のヒット商品だ。

軍用サングラスの代表格レイバン・アヴィエイター

一九二九年に、米陸軍航空隊の著名なテストパイロット、ジョン・マクレディー中尉は、基地出入りの業者だったボシュロム社に、パイロット用の遮光眼鏡の制作を依頼した。多くの飛行士が高空で「目が痛い、青い色がまぶしく、ちかちかして見えない」と訴えていたのである。そこでUVカット効果の高い緑色のレンズを装備し、飛行ゴーグルの内側にぴったり収まる新製品「レイバン・アヴィエイター」を開発、三七年に軍に正式採用された。
ボシュロム社は、一八五三年にドイツからの移民ヨハン・ヤコブ・ボッシュがヘンリー・ロムと共同設立した眼鏡メーカーだ。飛行ゴーグルの下に着用できるティアドロップ形をしたサングラスは、それまで眼鏡といえば丸形しかなかった当時、非常に斬新だった。
この「アヴィエイター(飛行士)」モデルにより、ボシュロムのサングラス部門が、有名なレイバン・ブランドとして誕生した。このサングラスは、米軍パイロットの代名詞となる。さらに戦後、日本にやってきたマッカーサー元帥が愛用したことで、日本でも有名になった。
レイバンのもう一つの代表作である「ウェイファーラー(旅人)」モデルは、五二年にレイモンド・ステージマンがデザインしたもので、逆台形のフレームがきわめて斬新だったため、サングラスだけでなく、一般の眼鏡フレームとしても人気を呼び、六〇年代には猫も杓子もこの形の眼鏡をかけていた。特に六〇年代のロック歌手、バディ・ホリーが愛用したことで有名だった。
八〇年代になって映画「ブルース・ブラザーズ」でウェイファーラーは再び脚光を浴びることとなり、今でも根強い人気がある。こういう眼鏡の台形フレームを日本ではウェリントンと呼ぶが、この理由は不明。なお、レイバンは一九九九年にイタリアのルックスオティカに買収された。


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