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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第108回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載108回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

古代から続く敬礼の歴史

ネルソン時代のボーター帽と、軍隊や警察などで今日でも使われる挙手の敬礼(ハンド・サリュート)にはかかわりがある。
右手を挙げ、肘を曲げて、帽子のつばにふれるような形で静止する敬礼は、古くは古代ローマの風習に起源があるという。暗殺が頻発した時代、ローマ市民は公共の場に出入りする際に、右の手のひらを公衆に見せ、武器を持っていないことを示した。ここから発展し、皇帝に忠誠を誓う「ハイル・カエサル!」の敬礼は右腕をまっすぐに伸ばして相手に示す形で、右腕に自由がなく、全権をゆだねるという意味を持った。二十世紀になって、ローマ帝国復活を目指したムッソリーニがイタリア・ファシスト党の敬礼として用い、さらにムッソリーニに影響を受けたナチ党総統ヒトラーが党の敬礼に採用した。「ハイル・ヒトラー!」のナチス式敬礼の由来である。――とはいうものの、実は詳しい経緯は分かっておらず、実際には二十世紀になってああいう形になった、という説もある。
一方で、古代ローマ時代の皇帝や将軍は、右手を挙げて兵士たちに演説をする習慣があった。ムッソリーニ元ネタは、むしろこれであったのではないか、という見方もある。
また、中世の騎士の馬上槍試合のあいさつは、ヘルメットのバイザーを右手で挙げることだった。これも一つのルーツだろう。人間の習慣とは突然現れるものではなく、ゆるやかに消滅したり、古い記憶が復活したりするものだからである。

その後、三角帽の時代には、帽子を脱いでお辞儀をする、というのがあいさつの作法となった。脱帽が敬礼の意味となったのである。
十八世紀半ば、英陸近衛コールドストリーム連隊で、敬礼の仕方を変更し、ただ脱帽するのではなく、両手を打ち鳴らして帽子を外し、そのまま頭を下げるといういささか派手なやり方を採用した。それがすぐに英軍各連隊で広まったが、実際のところ帽子の着脱が面倒でもあった。世紀の終わりまでには、腕の動作のみ残し、「手のひらを正面に開いて額に当てる」英陸軍式の敬礼に変化した。
同じ頃、英国海軍では艦船の喫水線やワイヤーを防護するために松ヤニやタールを塗り込んでいた。当然ながら手が汚れる。それで早くから脱帽の習慣は廃止して、右手を握りしめ、帽子に当てるだけとしていた。その帽子というのが、ボーター帽なのである。一方、タール塗りに直接参加しない士官も、手袋はどうしても汚れてしまう。その汚れた手袋の内側を相手に見せないように、手を裏側に返して、しかし握りしめないで、手の甲を相手に見せるような敬礼にした。
こうして手の汚れから生まれた英海軍式の「手のひらを隠す」敬礼は、一八二〇年代にはアメリカ海軍に、さらにその後、各国の陸海軍に採用されていった。現代では、古いスタイルである英国やフランスなどが「手のひらを相手に見せる敬礼」を行い、その他の国では「手のひらを内側に隠す」もしくは、やや外側に開く、というタイプの敬礼である。これはその国や組織により、いろいろな個性がある。敬礼の角度も、一般的に陸軍は胸を張ってヒジを横に張り出した敬礼を、海軍は狭い艦内でも出来るように、脇をしめて、拝むような角度の敬礼を採用している場合が多い。
また、本来の敬礼は、右手に武器を持っていないし、すぐに刀を抜くこともできません、という意味合いの姿勢なので、右腕で行うことが原則である。ただし、十九世紀半ばまでは、正式にルールが決まっていなかったために、左手による敬礼も少数ながら、見られたようだ。英国陸軍では一九一七年になって、公式に「敬礼は必ず右手で行うこと」と決定した。日本の自衛隊でも、右腕で行うものと規則で明文化している。だから、軍人や警察官、鉄道員などルールとして敬礼を行う人の場合、例外なく右手、右腕で行うもので、左利きだから左手で、ということはない。


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