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浦和レッズのリーグ最終戦&小野伸二の最終戦を見るために札幌遠征をする

《連続1604日目!》

明日12月3日はJ1リーグ最終戦。
浦和レッズは、リーグ3位以内を目指して、アウェーコンサドーレ札幌戦に挑む。


コンサドーレ札幌には、監督のミシャを始め、浦和レッズに在籍していた選手も多い。

その中でも小野伸二選手はやっぱり特別な存在。


これまで、浦和レッズを始めとしてJリーグやオランダ、ドイツなど世界で活躍した小野伸二選手。

浦和レッズ→

フェイエノールト(オランダ)→

浦和レッズ→ボーフム(ドイツ)→

清水エスパルス→

ウエスタンシドニー(オーストラリア)→

北海道コンサドーレ札幌→

FC琉球→

北海道コンサドーレ札幌

卓越したテクニックもそうだし、視野の広さもそうだし、サッカーに対する姿勢もそう。
本当に凄かった
そのすべてで、多くのファンやサポーターを魅了してくれた。

小野伸二選手に心から感謝したい。




浦和レッズサポーターの自分にとって、小野伸二選手の思い出はいろいろあるけれど、特に心に残っていることが2つある。



1.苦しいシーズンを共に闘ってくれた



18歳で浦和レッズに加入をしてくれた小野伸二選手。

「どうして、そんなところへパスがだせるの?」
彼の繰り出すプレーのひとつひとつが凄すぎて、そのプレーを見たいがためにスタジアムに通っていたと言っても、過言ではなかった。
18歳でフランスワールドカップに出場。浦和レッズサポーターにとって、本当に宝物みたいな存在だった。

しかし・・
1999年、小野伸二選手は大きなケガをして長期の離脱をする。

そして、それに合わせるように浦和レッズはJ2へ降格してしまった。

その中で、小野伸二選手は浦和レッズに残ってくれて、しかもキャプテンとして大変なシーズンを戦ってくれた。

そして、J2最終節、浦和レッズ史に残る奇跡の試合でもピッチに立って戦ってくれた。
(その試合の様子はこちらで書いています↓)




2.世界を見せてくれた


「世界で輝け小野伸二」

これは2001年に小野伸二選手をフェイエノールトへ送り出す時に、浦和レッズサポーターが大旗で出したメッセージだ。
まだ海外への移籍もそんなに多くない頃。
浦和レッズが初めて海外に送りだした選手が小野伸二だったと思う。

その後、オランダのフェイエノールトの一員としてUEFAカップで優勝。

2006年 に浦和レッズに復帰してから、J1リーグ優勝、天皇杯優勝。そして、2007年には、AFCチャンピオンズリーグの優勝に貢献をしてくれた。



日本代表として、ワールドカップでも活躍をしてくれた。

2002年の日韓ワールドカップの開幕戦。
自分は、小野伸二選手のボードを手作りして、埼玉スタジアムに駆け付けた。

実は、このボードが大人気。
海外から来たたくさんのサポーターと写真を撮ったり、海外のテレビ局や新聞記事にまで、載せてもらうことができた。



アウェー札幌ドームへ遠征しにいく



 今季限りでの引退を表明している元日本代表MF小野伸二(44)にとっては現役ラストマッチ。

練習後に報道陣の取材に応じたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(66)は、「私自身、明日スタートから出てもらうことを予定している」と、先発での起用を示唆した。チケットは完売、3万人超えの来場者が見込まれる札幌ドームで、“天才”はキックオフから、サッカーを楽しむその雄姿を届けにいく。


リーグ最終戦。
浦和からも多くのサポーターが札幌へ向かう。
もちろん、リーグ戦勝利が第一。
小野伸二選手がコンサドーレ札幌の先発で出るのであれば、浦和サポーターはブーイングを浴びせるかもしれない。

でも、けっして小野伸二選手が憎いわけではない。
それはリスペクトしてのブーイングだ。



そして、試合終了後には心から温かい拍手を送ることになると思う。


それも含めて、サッカーの世界。
楽しみたいと思う。



前乗りした北海道。
羽田空港にも新千歳空港にもレッズサポーターがたくさんいる。

そして、少し足を伸ばして観光も楽しんだ。
氷点下15℃の世界。
むちゃくちゃ寒い。

でも、明日の試合は熱くなることを期待している。


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#小野伸二

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