【つながる旅行記#232】福岡市博物館で例の『金印』に出会う
前回はなぜかサザエさん情報を学んでしまった。
だがこういう偶然の出会いもまた良い……!
では、いよいよ福岡市博物館の中へ入っていこう。
うわなんかすっごいオシャレ!!
美術館にでも来たのかと思った。
こりゃどんな展示が迎えてくれるのかテンション上がってきたぞ……!!
な、何だこの暗い空間は……?
そして中央になにかあるぞ……!(贅沢な空間の使い方)
こ、これは……!!
歴史の教科書で見たやつ!!
(※金印)
まさか長い時を経て、自分が金印の実物を見ることになるとは……!
なんだか芸能人に会ったときのような感動がある。(田舎者感)
しかしこう……
結構小さかったんですね……?
そう、金印は自分の想像していたよりだいぶちっちゃかったのだ。
いやまあ自分が勝手に10cm×10cmくらいあるドデカいハンコだと勘違いしていただけで、金印はまったく悪くないのだが。
というか三國無双の玉璽のせいだと思うので、三國無双が悪い。(暴論)
そんな金印だが、こんなに小さくても重さは108.729gもある。
2024年1月時点での金相場は金1gで1万円を越えているので、この小さい金印の金としての価値だけで108万円を越えるってこと……!?
(実際には金95.1%・銀4.5%、残りは銅などの合金だけど)
というか金1gが1万円になっていたことに驚愕だ。
マイントピア別子の記事を書いたときは8500円だったのに……。
次に金の値段の話題を出したときはどうなっているやら。
なお、展示によると108gは10円玉24枚分らしい。
なんか急に安っぽくなる例えだなと思いつつも、身近なもので重さを体感出来るようにするための学芸員の配慮なのかもしれない。
・・・
(ちょっと10円玉で試してみるか……?)
うわホントに24枚で108gになった!!
さて、そんな金印はどこで見つかったかというと、1784年の志賀島である。
田んぼの作業中に大きな石をどけたところ、金印があったとか。
(何がどうなってそんな場所に金印を隠すことになったんだ……?)
そして発見後の金印は福岡藩主の黒田家におさめられ、1931年に国宝に指定された後、1978年に黒田家から福岡市に寄贈されて今に至る。
志賀島は福岡の市街地から船やバスで行けるようなので、そのうち行くのもありかもしれない。
船だったら太宰府に行くのと同じくらいの距離なので、日帰りもできるだろう。
どんどん行きたいところが増えていく。
さて、古代中国ではこういう印章を外交で用いていたようで、モチーフの動物には色々種類があったらしい。(馬とか虎とか亀とかラクダとか)
こういった印章を周囲の国に配ることで、古代中国(漢)は異民族の脅威を取り除こうとしたようだ。
そして印章の動物の種類も、異民族を象徴するものになっているとか。
なお、志賀島で見つかった金印は蛇である。
実は蛇の金印は出土例が他になかったので、「これ偽物なんじゃね?」という説があったりもしたのだが、1956年に『テン王之印』という蛇の造形の金印が発見され、本物ということが確定したらしい。
(蛇の造形は南方の異民族向けという話なので、日本は南方だと思われていた……?)
中国の史書では他にも、『卑弥呼に与えた金印(親魏倭王)』『使節に与えた銀印』『伊予の使節の銀印』の記録があるようなので、それらもいつか田んぼから出てきたり……!?
そんなわけで、金印だけで1記事できてしまった。
やはりこういう伝説のアイテム的なものには惹かれてしまうのだろう。
いいもの見たなと思いつつ、他の展示もどんどん見ていこう。
次回へ続く……!
サポートには感謝のコメントをお返しします!