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「寄付は良いぞ」というのがちょっとだけ分かってきた気がする

いろいろなビジネス書で擦られすぎている「寄付は良いぞ」の概念。

いや巻末のセミナーに勧誘したいだけだろ」と斜に構えていた自分だが、セミナーはともかくとして、確かに寄付は良いんじゃないかと最近思えてきた。

そう、例えるならこれはリジェネなのだ。

いやファイナルファンタジーを知らない人には全然わからない例えか……?

リジェネ:定期的に体力を回復してくれる魔法


要するに、寄付というのはその後の人生で定期的に「幸福感」や「生きててええんやで」という気持ちを定期的に呼び起こしてくれるものなんじゃないかなと思ったのだ。


それでは自分が今までどんな寄付をしてきたのかという話だが、正直なところ全然してこなかった

本当につい最近になって、国立科学博物館のクラウドファンディングに参加したり、献血をはじめたくらいだ。


しかしポーランド孤児の記事を書く際に調べ物をしていて思ったのだ。

あのとき孤児たちのために寄付をした日本人は、きっとその後は「自分はあのとき良いことしたな…」とほんのり思いつつ一生を過ごせたんじゃないかなと。

いやもちろん、寄付した人たちが四六時中そんなことを考えていたとかいうわけではない。

例えば「ポーランド」という文字を何かでふいに見たときに、当時自分がポーランド孤児に寄付をした記憶がふわっと蘇り、なんともいえない自己肯定感の上昇を感じていたとか、そういう感じなんじゃないかと思うのだ。

なにせまだろくに寄付行為をしていない自分ですら、献血アプリの献血回数クラファンの感謝メールが届くたびに、「良いことしたなぁ…!」という充実感のようなものが湧いているのだから。(※単純な人間ですので)


そういう意味で、寄付の良さがちょっとだけわかった気がするのだ。

こんな風に、ふとした瞬間に自己肯定感を上げるきっかけになってくれるのが寄付なのかなと。

そしてそのふとした瞬間を増やすには、いろんな寄付をしておくのがいいんだろうなとも思った。



DIE WITH ZERO』という本の中に、「若いときは貯金なんてしないで、記憶に残る体験(旅行とか)をしておけ」という話が出てくる。

これは「体力的に若いときにしかできない事があるから」というのもあるが、先程の寄付の例と同じように、旅行などの経験継続的に利益をくれるからという理由もある。

例えば、旅行したときのことを思い出すだけで楽しくなったり、
旅行先のニュースへの感度が高くなったり、
旅行先が出身の人と仲良くなりやすかったり、
そういった色々なメリットが今後の人生で発揮され続けるのだ。


思えば過去の旅行記の画像を見て現在進行系でニヤニヤしたり思い出に浸っている自分なんて、まさにその実例みたいなもんである。

そして確かに旅行を通して得たものは多い気がしている。

なにか新しい事柄に触れるときも、旅行で得た知識がフックになってその学習を助けてくれたり、新たな興味を抱かせてくれるのは日々感じるのだ。


経験の蓄積
もまた、人生を豊かにする。

そしてそれは早いうちに沢山集めておくに越したことはない。


旅行以外にも、パートナーとの思い出、家族との思い出、子どもとの思い出など、蓄積できる経験は多種多様だ。

そして年齢制限のある体験が存在するのも紛れもない事実である。

(そこに関しては自分はまた気づくのが遅かった気がするが)


noteを見ていると、若くして日本一周したり、海外旅行したり、海外で働いちゃったりと、なんかもう自分より人生経験豊富な人が大量にいる。

彼らは既にかなりの経験を蓄積しており、今後中年や老人になっても、毎日相当な自己肯定感を感じながら生きていけることだろう。

そしてもしここに「寄付による自己肯定感アップ」まで加わったとしたら、もうなんか凄いことになりそうだ。



若いときは経験にお金を使いつつ、小規模でいいので寄付もして、そうやって経験と奉仕を長いこと蓄積できた人の人生後半戦は、きっと常に凄まじいリジェネ効果を纏いながら最高に充実した人生になりそうな気がする。

寄付なんてしないよと思っていた自分が、まさかそんな結論に至るとは。


皆さんも余裕がある方で寄付未経験なら、ぜひともこの感覚を体感してほしい。

……やはり人間は社会的動物ということなんだな。


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